§3. 日本の環境史

PartT. 日本人の自然観
 1. 自然と勉強(ズルニャン)
     天然 花鳥風月
 2. 仏教的自然観
     生きものに対するあわれみ いつくしみ
 3. 生類哀れみの令
     犬公方 一方でたかが「けだもの」

●他文化との違い
(1)欧米 自然との二分化
         対立・征服⇒保護
(2)メキシコ/アフリカ
      自然に人間が内包されている
           脅威・あきらめ
(3)日本
  伝統的家屋   日本庭園 箱庭 盆栽 借景
    → 自然と人間の間に境界を設けない
    逆に人工的な自然で満足しやすい
    → 自然が失われることへの歯止めがない

PartU. 明治の自然保護
初期の自然保護を導入し支えた人々= ヨーロッパ同様  知識人/猟師/登山家
                             (⇒市民・政府)
 1. 19世紀末ドイツに自然保護思想 
    天然記念物
     1919年 史跡名勝天然記念物保存法
 2. 1895年 狩猟法公布
 3. 1905年 日本山岳会設立

明治時代の公害
足尾鉱毒事件
     『谷中村滅亡史

足尾銅山 明治時代の最大の銅山
       日本で初めて水力発電を導入
       精錬過程で亜硫酸ガス
         砒素が煙と一緒にばらまかれる。

1877年 古河氏が足尾銅山を買収し、鉱山の仕事を開始
1878年 渡良瀬川下流洪水の引きが悪く、 魚の死骸があちこちに
1880年 かつて2800戸いた漁民が700戸に

明治後期に3度の洪水
1890年 大洪水 水に銅が含まれ、農作物に被害
  東大の分析により鉱毒であることが確定

1897年 2000人の農民が請願(警官に阻止される)
1898年 10,000人の農民が集団陳情で東京へ
1900年 2000人の上京陳情、逮捕者68名
1901年 明治天皇に対する直訴 ← 田中正造
1902年 谷中村を遊水池としてつぶす案


PartV. 戦後の環境史
1948年(昭和23年)
 尾瀬ヶ原: 貯水池と揚水発電計画が明らかになる。
1949年 「尾瀬保存期成同盟」結成。
 新聞で「電気か、コケか」など尾瀬問題が取りざたされ、反響を呼ぶ。

水俣病 (Minamata Disease)
1953年頃から 熊本県水俣市を中心に奇病が発生
1956年 5月1日 
 水俣のチッソ工場付属病院長から「原因不明の中枢神経疾患多発」の報告
       (水俣病正式報告
  水俣湾に流入するチッソ水俣工場の廃水に含まれる有機水銀が魚介類を
 介して人体に入り込んだためとの結論。
  しかし、政府の水俣病事件関係省庁連絡会は、何の結論も事後対策もないまま終了。
1959年 漁民と警官隊が新日本窒素
      水俣工場で衝突。

1961年 整形外科学会にて、神岡鉱山のカドミウムによるイタイイタイ病
発生説が発表される。
 8月 宮城県松島湾のカキ全滅で、地元漁民が東北電力仙台火力発電所
     へ海上デモ。

    参考: 1962年 『沈黙の春』

1963年5月 メッキ工場からの毒水流入で、多摩川中流の魚約15万匹が浮上死。
1965年 新潟県阿賀野川流域での有機水銀中毒患者発生が、新潟大学教授ら に
       よって発表される。■第二水俣病
     ⇒東京に初のスモッグ警報
1967年     四大公害
  4月5日 イタイイタイ病は三井金属神岡鉱業所の排水が原因と岡山大小林教授 
       と富山の荻野医師発表
  4月18日 厚生省が新潟水俣病は昭和電工鹿瀬工場排水のメチル水銀禍と
        発表。
  6月12日 新潟水俣病患者、昭電を相手に損害賠償請求訴訟。
        【初の本格的公害裁判】
 ※「公害対策基本法」公布
  12月 四日市公害裁判始まる。
       【日本初の大気汚染公害訴訟】

「公害対策基本法」 → 1993年「環境基本法」
典型七公害: 大気汚染、水質汚染、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭
(日照、通風、眺望阻害などは含まれていない)

1968年
  5月8日  厚生省、イタイイタイ病の原因は三井金属鉱業神岡鉱業所が排出した
         カドミウムと断定、イタイイタイ病に公害病正式認定。
  9月26日 厚生省、水俣病と阿賀野川水銀中毒に公害病正式認定。


1969年
  3月 川崎沖で「おできの魚」発見。
  5月 初の「公害白書」発表。
  6月 工場排水により、木曽川のアユ大量死。
  7月 静岡県内浦湾に赤潮大発生。
  8月 日本アエロジル四日市工場が数ヶ月にわたり
     塩酸を海へ流していた事実が明らかになる。
  12月 日本BHC工業会、BHC,DDTの製造中止を決定。
  ⇒ 厚生省、公害患者発生地域として四大公害被害地域と川崎市、
    大阪市淀川区の六ヶ所を指定、患者救済を決定。

1970年
  都道府県としては初めての自然保護条例が北海道において制定される。
  7月 東京杉並区で光化学スモッグによる被害発生。
  8月 静岡県、田子の浦港で、ヘドロ公害追放の住民抗議集会開催。
  12月の国会は「公害国会」と呼ばれる。
     水質汚濁防止法公布、海洋汚染防止法公布、
     公害対策基本法改正

1971年
  6月 イタイイタイ病裁判で原告が勝訴。
  7月 環境庁設立
  7月10日 日本野鳥の会など自然保護関係8団体全国干潟保護計画の作成
        を求め、環境庁に 陳情。
  8月 大阪で初めての光化学スモッグ注意報発令。
  9月 阿賀野川有機水銀中毒裁判で原告が勝訴。
  11月 四日市公害認定患者から初めて学童の死者

1972年
  2月 福岡で初めて母乳からPCB検出。
  3月 静岡県内浦湾の養殖ハマチからPCB検出
  7月 四日市公害裁判で原告が勝訴。
  8月 瀬戸内海に赤潮異常発生、
     徳島県では養殖ハマチ大量死。
  10月 環境庁、光化学スモッグの原因は自動車排ガスであると発表。
  ⇒通産省、PCB生産中止指導開始
  ⇒自然環境保全法公布

1973年
  3月 ⇒水俣病裁判で原告が勝訴。
     ⇒駿河湾の魚介類から水銀検出。
  長良川流域漁民らが、河口堰建設中止処分を申請。
  北海道開発庁、大雪山縦貫道路計画を断念。
    国立公園等における道路の新設に関する林修三自然環境保全審議会
   自然公園部会長談話発表。
  「諌早の自然を守る会」発足。
  ⇒北関東で酸性雨

1976  埋立投棄の六価クロム汚染問題化
1979 2月 南極のペンギンからPCB検出。
   スリーマイル島原発事故発生。

1980 日本ワシントン条約とラムサール条約 に加盟
6月17日 釧路湿原がラムサール条約
       登録湿地に指定される。

1982 南極昭和基地、オゾンホール発見

1983年
 ⇒関東地方公害対策推進本部、酸性雨についての統一調査を開始。
 ⇒環境庁、第一回酸性雨対策検討会を開く。
 ⇒国内7都市の9焼却場からダイオキシンが検出されたと、愛媛大学教授が発表。
 ⇒東京都環境保全局の赤潮調査で、東京湾が海水汚濁としては最悪の
   「腐水域」となっていることが明らかになる。

1985 大気汚染防止法改正(アスベストを特定粉じんに規定)
    風俗営業法改正(カラオケ騒音対策盛り込む)

1987 総合保養地域整備法 (リゾート法)
1988 IUCN、日本政府に新石垣空港計画再考を要請
   ウィーン条約、モントリオール議定書に日本が加入

1989 新石垣空港計画の建設予定地変更

1992 ワシントン条約京都会議開催
   世界遺産条約加盟
  「種の保存法(絶滅のおそれのある野生
   動植物の種の保存に関する法律)」公布。
1993 ラムサール条約釧路会議開催
  ⇒11月 「環境基本法」公布

1997 気候変動枠組み条約締約国会議京都にて開催



           
        前ページへ戻る