〜〜デンマークにおける湿地再生〜〜


 2001年4月下旬に日本湿地ネットワーク主催のデンマーク環境視察ツアーに参加してきました。日本の湿地保全にとっても学ぶべきことがたくさんあったと思うので、記録の一部を紹介いたします。尚、ここに書かれている意見印象等は全く個人的なものです。
 デンマーク国内を移動していて発電用風車の多さにまず驚かされます。そしてはるばる日本からやってきた我々に対して、誇りを持って自分たちのやっている事業を説明してくれた方々、次から次へと参加者から出される質問に笑顔で答えてくださった皆さんの親切に、感謝の気持ちでいっぱいです。

 デンマークは国土面積が九州ぐらいですが、ラムサール条約の中でも湿地保全に尽力してきたことで評価が高い国です。1978年に条約に加盟してから現在までに38ヶ所を登録湿地に指定(うち11ヶ所はグリーンランド領)していますし、デンマーク政府代表が議長となって1987年の臨時締約国会議で改正案を認めさせるなど手腕を発揮、また国内の条約履行状況に関する本を英語版で出版するなど国際的にも貢献してきました。海外援助を行う政府機関DANIDAも世界各地の途上国で湿地保全を支援しています。ヨーロッパの中でもスウェーデンとともに湿地再生に力を入れています。1990年にスウェーデンで開催された湿地再生に関する国際会議でも先駆的事例としていくつかの例を報告しています。
今回のツアーは特にデンマーク国内での湿地再生の現場視察を中心にプログラムが組まれていました。もちろん湿地は再生するよりも、現在ある湿地を保全することの方が重要なのですが、そもそもラムサール条約が誕生するきっかけがヨーロッパ内における急激な湿地の喪失にあったわけで、今は少なくとも西ヨーロッパや北欧では再生の時代を迎えていると言えるでしょう。

[1] ワッデン海:ワイズユースと国際協力の実例、干拓地における湿地再生
 ワッデン海はオランダ、ドイツ、デンマークの3ヶ国にまたがり、ヨーロッパ最大の干潟をかかえる地域であり、多くの水鳥特に渡り鳥にとってヨーロッパで最も重要な地域の一つとなっている。現在は3ヶ国それぞれの領域ともラムサール登録湿地に指定されており、1982年には3ヶ国による協力が宣言され、1987年にそのための事務局がドイツに設置された。この多国間協力はラムサール条約で言うワイズユースの代表事例にも選ばれている。(このワッデン海を含むラムサール条約のワイズユース事例報告は条約事務局のホームページ http://ramsar.org/lib_wise_1.htm からダウンロード可能)
 ドイツは条約加盟(旧西ドイツ)の76年にワッデン海の自国部分を登録湿地に指定、オランダは1984年、もっとも遅れてデンマークは1987年にワッデン海を条約の登録湿地にした。ちなみにオランダの条約加盟は日本と同じ1980年だが、登録湿地は現在24ヶ所ある。デンマーク内のワッデン海「登録湿地」指定は3国の中で最後になったが、デンマーク政府は3ヶ国による協力の必要性を強調し、ドイツとオランダに協力を呼びかけた。
 1988年にワッデン海を含む北海全域で、アザラシ(ゴマフアザラシ)の大量死が発生し、工業化に伴う水質汚染がその一因とされた。こういった事件も3ヶ国の協力に拍車をかけた。3ヶ国の閣僚レベルの会議は3年に一度開かれるし、専門家間の打ち合わせはほぼ2ヶ月ごとに何らかの形で行われている。

 ワッデン海ネイチャーセンターに勤務するレンジャー、グラム氏にお話を伺った。彼はデンマーク政府環境エネルギー省、森林自然庁の職員である。センターは1985年に建設されて、年間約1万人が利用する。ピークは8月。
ワッデン海すべてが重要と言うよりは、その中の干潟が特に重要だとグラム氏は力説していた。砂丘域はそれほど重要ではないし、特に水鳥が集中するような場所はデンマーク内ワッデン海では4ヶ所知られているとのこと。
 この日は海岸線沿いにある新堤防とそれより内陸側にある旧堤防の間で行われた湿地再生現場、最大時で3万羽も訪れるというBarnacle geese (カオジロコクガン?学名Branta leucopsis)の群れの観察がハイライトとなった。
 オランダ同様長い干拓の歴史を持つこの地域でも、洪水対策(治水)と干拓を目的にして旧堤防の外側約1.4キロのラインに新堤防が建設された。干拓地の利用方法に関しては新堤防建設後も議論が続けられ、全部ではないが農地利用が進められた。
 しかし1979年に開始された新堤防建設によって、以前観察されていた水鳥の8割がこの地域からいなくなってしまった。そこでデンマーク議会では1983年に湿地再生プロジェクトを実施することを決定し、旧堤防と新堤防の間の私有地を買い上げることにした。塩水を導入し塩水潟湖とその周辺の塩性湿原を復元、これによって以前の6〜8割にまで水鳥が回復してきたとのこと。

[2] スキャーン川流域湿地再生プロジェクト:ヨーロッパ最大の湿地再生プロジェクト
 全流域ではユトラント半島の11%を占めるが、湿地再生プロジェクトの対象となった地域では、1960年代に干拓が行われた。費用の3分の2を国が出資し、残りは土地所有者が負担した。洪水対策とともに、約4000haの肥沃な土地が生み出された。堤防の建設により川は水路化され、西側に排水路とともに5ヶ所の排水ポンプが設置された。
 しかしながら数年間で環境上の問題が発生した。水質汚濁や富栄養化の問題が深刻となり、デンマーク議会は1987年に古い河川コースに戻し、湿地再生を行うことを決定した。水路化された現行河川コースの代わりに、1870年代の地図を参照して古い河川コースを掘削、そこから出る土砂で現河川は埋めてしまうという計画となった。1987〜89年にかけてどのくらいの面積を事業の対象にするかが検討された。結局現河川の南側のみを対象とすることが決定され、2200haが対象となり、残り1500haはそのまま農地として留めることになった。対象地域の農地所有者には土地スワップ、すなわち事業地域とは別の場所と農地を交換する方策がとられた。土地の交換に応じない場合には、土地は保有するが水位上昇は我慢してもらう、また、農薬・肥料を使わない代わりに政府から補償金をもらう。放牧を行い、干し草刈りを行うが、鳥の繁殖期が終わる夏の終わりまで草は刈らない、などの取り決めが話し合われた。
 地域住民の利害関係者の代表25名が2年間に渡り計18回の話し合いを行った。事業地域の狩猟に関しても、東側では基本的に狩猟を認める、一方西側では4年間は狩猟をしないでおき、その後新たに話し合いを持ってその後の方針を決定することなどが取り決められた。
 こうして1999年から新しい川が掘り始められ、土砂は現行河川を埋めるのに使われた。新しい川は曲がりくねっており、堤防はなく増水時には水は周囲にあふれるにまかせる。コンクリートは使わない。橋のある地点など護岸が必要な場所では、石を積み重ねるなどして対応。橋も建設材料として木を多用する。
 新しい川はこれまでの川に比べて7キロ長くなり延長が26キロとなる。

注:このスキャーン川の河口域にあるリンコビング・フィヨルド(入り江)はラムサール登録湿地(27,720ha)に指定されているが、環境の悪化から、国際的な注意を喚起する必要のある登録湿地リストである「(ラムサール条約)モントルーレコード」に記載されている。

[3] ヴェスト・スタディル・フィヨルド:完全な農地を再び湿原に
 南部にあるスタディル・フィヨルドとヴェスト・スダディル・フィヨルドとがラムサール登録湿地に指定されている(6,913ha)。地図で見ると海岸沿いにある2つの潟湖となっているが、150年前には海とつながっていたとのこと。このヴェスト・スダディル・フィヨルド北部にある湿原が干拓によって農地化されていたのだが、ここでも再び湿原に戻されていた。
 北側の土地約700haは一軒の農家によって所有されていた。1955年に干拓が行われ、完全に農地化されていたが、経営的な行き詰まりにより農家は土地を国に売却することを承諾、1993年に土地は買い上げられた。いろいろな土地利用案が出されたが、湿地復元プロジェクトが採択された。1999年から2年がかりで事業は進められ総工費は約3000万デンマーククローネ(約5億円)。事業の目的は野生生物の保護と水質の保全。旧堤防の上には現在サイクリング・ロードが建設されている。我々が訪れた日にはPink-footed geese(Anser brachyrhynchus)が10,000〜15,000羽、またハクガン(Snow goose: A. caerulescens)も観察された。
 水鳥が農作物に被害を与えないようにするため、餌の供給も行われており、1シーズンで約60トンの飼料が与えられるとのこと。

[4] ゲッダル塩性湿原:海岸沿いの湿原の再生
 この日、ゲッダル塩性湿原と次の2ヶ所、スポットラップ湖とブロックフォルム湖とを案内してくれたのは、これまで同様環境エネルギー省職員の方であった。彼はデンマークにおける湿地再生の背景を説明してくれた。
 1990年代初めにデンマーク議会は基金を創設して、国内各地で湿地の復元に着手した。この決定の背景には、過去50年間に渡ってデンマーク各地で湿地、すなわち小さな湖、湿原や渓流が、開発や干拓などによって次から次へと失われていった事実がある。基本的には農地のための開発であった。
 ゲッダル塩性湿原があるこの地域では、これまでに失われた塩性湿原の面積は30,000haに及ぶ。海岸線に近いゲッダル湿原では、1950年代に農家が堤防を築き、排水を行なって牧草地を作り出した。50年代末から1992年までこの場所は湿原ではなく、完全に農地となっていた。牧草地の他にも穀物が生産されており、毎年耕されてきた。しばらくの間はデンマークの農業がきわめて好景気だった時期と重なっており、農家の人々はかなりの収入をあげた。しかし、80年代になると農業を続けるためにはかなりの投資を続けなくてはならなくなり、農業継続の熱意は覚めていった。
 この場所にある堤防は特に冬の嵐から内陸部を守るためのものだが、冬の間にあちこちで決壊が起こり補修のためには金がかかった。また、20〜25年農業を続けていると土地が痩せてくるうえにここでは塩分濃度が高くなり農業に適さなくなってきた。そこで政府が土地を買い上げることになり、環境エネルギー省としては湿地再生を行いたかったが、まず地域住民の意見を聞いてみることにした。
 最初の会合は一般的な雰囲気を推しはかるためのもので、その結果湿地再生事業には多くの賛同者がいることがわかった。そのため、具体的な計画作りが始められ、150haの湿地が再生されることが決まった。この後、2回目以降の会合で個別の農家と土地購入のための具体的な話合いが進められた。
 1992年に2年間続けられた土地の購入が終わり、工事が開始された。冬の堤防(winter dyke)と呼ばれる堤防は、手を入れて低くするがなくさないことが決められた。すなわち冬、水位が高い時には堤防内部に海水が侵入、一方夏には内部は乾いていく。我々が訪れた4月末はまだ水が大部分残っており、湖と言ってもいいほどであった。この塩性湿原では夏の間、牛の放牧を許可しリース料を徴収する。再生湿地どこでもいいわけではなく、ヨシ原がある途中の場所までである。このリース料は湿地の管理費用として利用される。同時に牛の放牧によって草丈が低く抑えられ、これが水鳥に好ましい生息地を提供することになる。
 一般の人々を対象に毎年2〜3回ほど、人々を招待し双眼鏡も貸し出すなどして再生された湿原に対する人々の理解を得るようにしている。地域の環境NGOにも好評で、彼らの活動が新聞に掲載されることによって一般の人々が湿地に興味を持つきっかけにもなっている。
 こういった湿地の再生のためには、3つの要素が不可欠となる。1:土地購入等の資金、2:地方自治体との協力関係の確立、3:農家や地域住民との協力、である。

[5] スポットラップ湖:農地における湖の復元
 かつてはスポットラップ城城主が地域の大地主であり、遠く海外からも出稼ぎにやってくる人々を使って大規模な耕作が行われていた。そのため湖があった場所も排水され、完璧に農地化されてしまっていた。
 ここに80haの淡水湖とそれを取り囲む50haの草地を復元することになった。昔の記録等を基にかつての湖の範囲を特定し、湖の深さも専門家によって設計がなされた。最深の場所は深さ2m程だが、陸地に近いところでは50cm以下の場所が多くなっている。ゲッダル塩性湿原では復元と同時に多くの水鳥が戻ってきたが、ここでは湖の復元とともに多くの魚類が戻ってきた。かつて排水に使われたポンプ小屋も一種の文化的遺産として残されており、現在は水鳥の観察小屋として利用されている。また、かつて小作人が住んでいた小屋も現在はインフォメーション・センターに改造されて利用されている。展示物の中には1740年代の絵画があり、こういった資料を基に湖が復元された。

[6] ブロックフォルム湖:複合生態系の再生
 この地域は淡水湖および森林域の再生が行われ、、さらに湿原域そしてその周辺の農地から構成されている。湖・森林・湿原と異なったビオトープの復元および相互関係を考えるたいへん興味深い地域となっている。
 この地域では売りに出された農地の利用の仕方について話合いがもたれ、政府からは20機の発電用風車を設置するアイデアが出されたが、地域住民はこれに反対した。その代わり湖を復元する案が出され、国、郡、地元で出資し合って土地を購入、湖を復元することが決められた。
 この日訪れたのはいずれも個別の生態系復元域であるが、これらの成功により、デンマーク政府はもっと広範囲で考える必要性を実感しているとのこと。半島域全体の中で湿地再生の重要地域を選び出すだけではなく、それらを小川で結んでコリド−としてとらえる必要性がある。この考え方はまだ構想段階であるが、実施されれば将来的に非常に重要な計画となることは間違いない。

[7] (おまけ)スタ−ンズ・フィヨルド:デンマーク14番目のラムサール登録湿地
 再生湿地がない、登録湿地。自然エネルギー利用で有名なサムソ島北部に位置しており、キョクアジサシやタテゴトアザラシが観察される。デンマークには国立公園はなく、保護区には人々が家を持ち、生活することが許されている。しかし保護区によって様々な規制が行われている。
 昨年、環境エネルギー省は国内の保護区やラムサール登録湿地の今後の管理のやり方について、地域住民との話合いを各地で開始した。地元、郡(カウンティ)、国の担当者、ハンター、漁師、バードウォッチング愛好家や様々な利害関係者が参加。スターン・フィヨルドについても、この冬に4〜5回の会合が開かれた。こういった会合が重要なことは以下の例からもわかる。
 この保護区には南北に狩猟禁止区域があるが、その北側の境界がそのままでは問題があることが会合の中で指摘された。カイさん宅から、ボートで海上に出ていくことができなくなってしまうのだ。この指摘から、狩猟禁止区域の境界が一部変更された。
 北東部の岬にはかつて裕福な漁師達が造った村があるが、現在多くは夏の避暑用別荘(サマーハウス)となっている。そのうちの一軒では屋根にソーラーパネルを設置している。通常の場所ではソーラーパネルを設置するのに特別な許可は要らないが、ここは保護区の中なので許可を得てソーラーパネルを設置した。屋根が45度の角度のところにパネルを設置するのが、最も太陽光を利用するのに効率がいいのだが、その設置の仕方では周りから反射光が目に入ってしまう。そこで、この家ではもっと角度の緩やかな場所に設置せざるをえなかった。
 このように保護区の中でも場所によって様々な規制があるために、政府からはそれらの規制に見合った補償金が支払われている。この補償金システムに関しては、保護区ごとに異なっており話合いによって規制内容と補償の仕方が違ってくる。当保護区の中でも土砂を掘って売ることが許されている場所、土地を転売してもいいが避暑用目的の利用のために売ってはいけない、といった規制の仕方がある。

 湿地再生のやり方、地域住民との話し合いの進め方には日本も多くを学ぶべきだと思います。もちろん、どんな国も完璧ではなく、最近もデンマーク領内グリーンランド地域のラムサール登録湿地の管理失敗が、大きなニュースになっています。これについては機会を改めて紹介したいと思います。

 最後にこのツアーを企画、同行してくださった日本湿地ネットワークの方々に感謝いたします。願わくばNGO関係者だけでなく、行政に携わる人々がデンマークを訪れ、相互に学ばれることを期待したいと思います。


                                              
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