ラムサール条約と漁業
1971年に採択されたラムサール条約(正式名称「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」)は、自然環境条約として、またとくに海域も含む保護区の設定を目的とする国際条約として先駆的な存在である。今や特定タイプの生態系を保護する世界最大級のネットワークを構築するまでに至っている。
この条約が焦点を当てる湿地には、内陸湿地として湖沼や河川、沿岸湿地として汽水湖、マングローブ林、干潟、サンゴ礁などが含まれる。また、干潮時に水深が6mを超えない範囲の海域を基本的に全て湿地として定義している(第1条)。2012年3月現在、条約に基づき登録されている「国際的に重要な湿地(日本では登録湿地または条約湿地とよばれる)」の数は、全世界で2,000か所を超え、その総面積は200万km2に及んでいる。日本国内では2012年3月時点で37か所が登録され、総面積は1,310km2となっている。
(注)2012年7月のラムサール条約第11回締約国会議(COP11)において、日本政府は9か所の追加登録を予定している。
この条約の下で、締約国は1か所以上の湿地を登録し、その保全が義務づけられる。ただし、この条約は、生活を営んでいる人々を退去させて保護区をつくるという古典的アプローチが湿地においては困難であるという理解に基づき、湿地資源の利用の仕方─持続可能な利用手法─をワイズユース(日本語公定訳「適正な利用」、より一般的には「賢明な利用」)という言葉で表現して、その促進を求めている(第3条)。
1993年にアジア初の禰国会議湘本で開催された際(COP5, 釧路)、この湿地のワイズユースがテーマとなった。会議では世界中の湿地保全におけるワイズユース事例が多数報告された。例えば、ドイツ、オランダ、デンマークが共同で保全に取り組んだワッデン海の取り組みが報告され、北海で捕れるカレイの50%、ツノガレイの80%、ニシンのほぼ100%が、成長過程でワッデン海の干潟を必要としているとの推定が示された。また西アフリカのギニア=ビサウは、国家を挙げて沿岸湿地の保全管理に取り組んでいる事例を報告している。
次のCOP6(1996年, オーストラリア)では、ワイズユースの促進に重要な、湿地の持つ社会経済的な価値に焦点が当てられた。米国ルイジアナ州の沿岸湿地における漁業、狩猟、リクリエーション、そして暴風雨からの保護といった価値をはじめとして、さまざまな湿地の経済評価手法が報告された。COP6ではさらに、魚類及び魚類資源にとって「国際的に重要な湿地」を選定するための基準が新たに加えられた。ラムサール条約登録湿地の選定に、特定の生物分類群を基準として扱うのは水鳥と魚類だけである。次いで、COP7(1999年, コスタリカ)ではワイズユースの一環として、住民参加のためのガイドラインが採択された。
2005年のCOP9(ウガンダ)では貧困削減と湿地がテーマとなり、あらためて湿地と漁業に関する決議(「漁業資源の保全、生産及び持続可能な利用」)が採択された。これを受けて、2007年の『世界湿地の日』では、テーマを「湿地と漁業」とした。「世界湿地の日」はラムサール条約が誕生した2月2日を、世界中で多くの人々に湿地とその価値を知ってもらうための記念日としたものである。
「世界湿地の日2007」に向けて、ラムサール条約事務局は他の国際機関と協力して湿地と漁業に関する資料を発行した。それによれば、世界では10億人の人々が動物性蛋白質を魚介類に依存しており、3500万人の人々が水産業(漁業と養殖業)に従事している。過去40年間で魚介類への需要は倍増しており、世界的な人口増加とともに今後も増加し続けると考えられている。こうしたなか、世界各地のラムサール条約登録湿地では、漁業を維持し、湿地を管理するための試みが実施されている。
中国の登録湿地「西洞庭湖自然保護区」には800haの干拓地があり、1970年代に農地を広げるために堤防が築かれ排水が行われた。しかし、せっかくの干拓地も冠水に悩まされ、政府は1998年に再び湖に戻す英断を行った。堤防を一部残し、網を張ることにより、旧干拓地の湖水面では再び漁業が行われるようになった。漁獲のうち小型魚類は旧干拓地水面に放たれ、翌年以降の資源維持に貢献する。旧干拓地は魚類にとっては重要な繁殖地となり、一方渡り鳥たちにとっても重要な採餌場所となった。旧干拓地から放流される魚類は水鳥たちが越冬するのにきわめて重要だ。さらに旧干拓地に水鳥が訪れることは保全上良いことであると同時に、エコツーリズムに従事する漁業者たちにとっても好都合だ。彼らは民宿を営んだりボートツアーを提供している。
ハンガリーでは20世紀初頭に養魚池システムがつくられ、この養魚池が重要な役割を果たしている登録湿地がある。登録湿地内には50か所近い個人斯有の養魚池があり、小さいもので1haほど、大きいものでは70ha程度になる。これらは国内に3か所しかない有機漁場の一つとして認定されている。魚類が収穫されるだけではなく、リクリエーションとして釣りを行う人々にも利用が可能だ。釣りを行う人々の家族を対象に、漁場経営者は宿泊施設、キャンプサイト、伝統的なハンガリー料理を提供するレストラン、自転車レンタル店などを経営している。番屋を初期の漁業形態を紹介する博物館に改造しているところもある。また、ハンガリー水産試験機関と共同で、漁場の多角経営と資源管理、有機漁業の規格試験の調査研究も積極的に行っている。
タンザニア北東部のタンガ地方では海岸線に沿って、6か所の「共同管理地域」が設定されている。その面積は16万haに及び、サンゴ礁、マングローブ林、海草藻場、河口域が広がる。一つの共同管理地域は3~14の村落を含んでおり、沿岸環境を管理することによって人々の生活の糧を確保することが管理地域の目的となっている。村落ごとの管理委員会と地方政府の協力により、破壊的な漁法の制限、他地域から侵入してきて漁獲をする人々への対応、一部サンゴ礁や魚類資源回復のための漁獲制限地域の設定などを盛り込んだ管理計画策定が実施されてきた。また、漁業を行う地域住民の協力により、モニタリングに欠かせない漁獲データの収集分析も行われている。