ラムサール条約 湿地を核とした生態系保全のための国際条約

1. 湿地条約と条約湿地(登録湿地)

 「ラムサール条約」は水鳥に関する条約と誤解されることもあるが、湿地条約である。正式名称は「特に水鳥の坐息地として国際的に重要な湿地に関する条約」で、この日本語の語順から水鳥条約との誤解が生じやすい。イランのカスピ海の畔にある町ラムサールで開催された「湿地と水鳥に関する国際会議」で1971年に採択された。全世界を対象とした自然環境保全のための国際条約としては、他にワシントン条約、世界遺産条約、ボン条約、生物多様性条約があるが、これらの中でラムサール条約が最初に誕生した。
 条文自体はきわめてシンプルであり、原案段階ではわずか6条から構成されていた。まず条約が対象とする「湿地の定義」だが、簡単に分類すれば淡水性の内陸湿地として、湖沼、湿原、河川などがあり、汽水または海水性の沿岸湿地として、干潟、砂浜、マングローブ林、サンゴ礁まで湿地に含まれる.さらにこれら天然の湿地以外にも人工湿地として、水田、遊水池、ダム湖といったものも湿地として数えられている(表1参照)。

◆日本の主要な湿地タイプと条約湿地
1. 内陸湿地
 湖沼(淡水湖)   琵琶湖、伊豆沼・内沼、ウトナイ湖、クッチャロ湖
 湿原 釧路湿原、霧多布湿原、サロベツ原野、雨竜沼湿原
 地下水系・カルスト 秋吉台地下水系          
2. 沿岸湿地
 汽水湖 濤沸湖、三方五湖、宍道湖、中海
 干潟 谷津干潟、藤前干潟
 砂浜海岸 屋久島永田浜
 河口干潟・マングローブ林  漫湖、名蔵アンパル
 サンゴ礁  慶良間諸島海域・串本沿岸海域
3. 人工湿地
 堰止め湖・水田 蕪栗沼・周辺水田
 ダム湖 化女沼
 ため池 瓢湖
* 2009年8月時点で日本国内には37ヶ所の条約湿地がある。それぞれの湿地タイプとして代表的なものを挙げた。実際には多くの湿地が様々な要素を含む湿地複合体となっている。

 次にラムサール条約で最も重要な考え方が登場する。国際的に重要と考えられる湿地を登録すること(条約湿地もしくは登録湿地と呼ばれる)、そして湿地のワイズユース(賢明な利用)の促進が謳われている。
 どのような湿地が「国際的に重要」と考えられるのか。条約のCOP(締約国会議)はこれまでに条約湿地を選定するための基準を採択してきた。すなわち、生物地理学的にみて重要かどうか、絶滅危倶種が生息しているか、特定動物種または亜種の1%以上の個体数が記録される場合、2万羽以上の水鳥が定期的に利用する場合、魚類や漁業資源にとって重要な場合、を考慮に入れて条約湿地の候補地を選定することになっている、これらの選定基準は時代とともに検証され、新たに基準が付け加わってきた。

2. 湿地のワイズユース(賢明な利用)
 ラムサール条約のもうひとつの重要な取組みであるワイズユース原則も、また時代とともに成長している。1980年代にはラムサール条約の外では「持続可能性」が議論された。ワイズユース(賢明な利用)は「持続的な利用」とほほ同義であるという解釈だったが、2005年には新しい定義が採択された。すなわち、「持続可能な開発」の枠組からはみ出ないことは問違いないが、湿地の生態学的特徴を維持することが湿地のワイズユースであるとの定義となった。
 生態学的特徴もラムサール条約の用語であり、基本的には湿地が「国際的に重要」だと判断されたときの主要な生態学的情報を示すことになる。条約湿地を登録する際に必要な手続きとして、生態学的特徴に関する情報を締約国政府が提供しなければならない。その生態学的特徴が維持されていればワイズユースはうまくいっているだろうと予測されるが、生態学的特徴が入為的要件によって好ましくない変化をしていることがわかれば、少なくともワイズユースとは呼べないことになる。
 ラムサール条約の広報資料の言葉を借りれば、ローマ時代から世の為政者たちは人びとの支持を得るため、そのままでは何の価値ももたらさないと考えられた湿地をつぶして、もっと使い勝手の良い土地を生み出そうとしてきた。すなわち、湿地開発による短期的経済効果のみが強調されてきた。また、じめじめした土地という言葉自体イメージが悪く、実際に病気を媒介する生物の温床と考えられていた。逆に言えば生物多様性が豊かな生態系なのだが、その価値がまったくと言っていいほど理解されず世界中で失われ続けてきた。ようやく20世紀の後半になって湿地の喪失にブレーキをかける必要性が認識され、ラムサール条約が誕生した。
 その後、湿地は生物多様性が豊かであること、漁業塑にとって重要な場所が多いこと、水の浄化機能や貯水機能をもっていること、炭素貯蔵機能、洪水や暴風雨からの保護、といった湿地の果たしている役割が注目されるようになってきた。これらは条約関係機関で分析が行われ、世界に発信されるようになった。たとえば、泥炭を形成する湿原において多量の炭素が隔離されていることが指摘されている(写真1)。
 グローバルな自然環境保全条約の中で、ラムサール条約は唯一、特定生態系の保全
を目的とした条約である。政府間条約であり、条約自体の運営に関する決定権も運用資金も他の条約同様締約国(加盟国)が主役だ。しかしながら、特定生態系すなわち湿地の保全のためには、中央政府ももちろんだが、地方政府そして湿地の周りに暮らす人ぴとの協力が不可欠だ。
 国際的に重要な湿地の選定までは自然科学的情報がとくに重要となるが、条約湿地としての指定や指定後の管理の仕方には社会経済学的要素が大きくかかわってくる。たとえば住民参加のあり方、利害関係者による合意形成の手法、湿地の持つ機能や価値の経済的分析、湿地資源を活用したエコツーリズムの推進などが重要だ。
 湿地の価値を人びとが認識できなければ、湿地のワィズユースは促進できないため、湿地の経済評価がワイズユースにとって重要であることが大きく取り上げられ(COP6:オーストラリア、1996年)、湿地の管理には地域住民の積極的な参加が必要で、時には先住民の知恵に学ぶことも必要であることからガイドラインが策定された(COP7:コスタリカ、1999年)。21世紀に入ってからは、湿地の文化的価値を検討する作業部会も策定されている。

3. 湿地保護区と国際協力
 条約湿地の指定は、じつはそのままでは湿地が保護区となることを意味していない。極端な話、世界的には私有地であっても条約湿地指定が可能だ。スペインでは企業の所有する塩田が水鳥たちに利用されることから、南米チリでは、個人の所有する牧場内の湿地が条約湿地に指定された例もある。一方、日本国内では条約担当官庁である環境省のこれまでの方針として、国立公園もしくは国定公園、あるいは国設鳥獣保護区に前もって指定してからの条約湿地指定となっている。
 国際条約としては当然であるが、国際協力の推進も求められている。メコン川やドナウ川といった複数の国家にまたがる河川や湖、そして特定の経路に沿って移動する渡り鳥たち、これらの保全には国際協力が不可欠であり、ラムサール条約はこういった国際協力を推進するための舞台を提供してきた.また、湿地保全に関する国家間の支援や、研修分野における国際協力も重要だ。
 アジアでは1993年にアジァ地域で最初の締約国会議が日本(顯市)で開催され、アジァ諸国の加盟促進に貢献した。また、2008年にはアジア地域で2回目となる締約国会議が韓国(昌原[チャンウォン]市)にて開催された(写真2)。日韓の国際協力では、NdOの意見を基に日韓政府共同提案という形になった水田決議が同会議で採択されている。生物多様性保全の観点から、環境に配慮した水田耕作のやり方を摸索していくことが求められている。
 このように、湿地という限られた生態系の保全を目指しているラムサール条約ではあるが、より広い視野に立って湿地に影響を及ぼす集水域や、さまざまな要素を考慮に入れた保全策が求められることになる。