ラムサール条約解題(2010)

1. 国際自然環境保全条約
 地球規模での自然環境保全のための国際条約には、生物多様性条約、ラムサール条約、ワシントン条約(CITES)、ボン条約、そして自然遺産を対象にもつ世界遺産条約の五つがある。この中で、野生動物保護のみを対象としたボン条約(「移動性野生動物種の保護に関する条約」)には日本は未加盟であるが、他の四つの環境条約はすでに加盟済みである。生物多様性条約はこの中で最も新しく(1992年採択}、いわば包括的な概念である生物多様性を扱う。他の四つの環境条約はいずれも1970年代に誕生しているが、中でもラムサール条約は採択されたのが1971年と最も古い。
 世界遺産条約における世界自然遺産は、いわば卓越した景観の保全を図るものといえる。ワシントン条約は、国際取引が過剰消費を引き起こし絶滅の危機に陥った野生生物(動植物)を、国際取引の規制によって保護しようというものだ。そしてラムサール条約は、特定の生態系の保全を旧指した唯一の環境条約となっている。その正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に垂要な湿地に関する条約」といい、内容を一言で表せば「湿地条約」ということができる。
 ラムサール条約は卓越した湿地生態系全体の保全を図ろうというものだが、当然ながらその生態系に依存するさまざまな生物も保全対象にしている。その中でも水鳥は、世界各国の湿地を、繁殖地、越冬地あるいは渡りの途中の休憩地として利用する。したがって、その水烏を保護のためには国際協力が不可欠ということがたいへんわかりやすい。条約の正式名称にも「特に水鳥の生息地として」というフレーズがつけられているし、初期には水烏がシンボル的役剖も果たしてきた。もちろん水鳥のみが対象の条約ではない。しかしながら、今でもラムサール条約というと。水鳥保護の条約と思い込んでいる人々が多いことも確かだ。
 初期には、という言葉を用いたが、ラムサール条約発展の歴史を眺めてみると。条約の基盤整理が中心課題だった第1回締約国会議(COP1:1980年、イタリアのカリアリーで開催)から第4回締約国会議(1990年、スイスのモントルー会議〉がこれに当たると考えてよいだろう(表1参照)。条約は1971年、イランのカスピ海沿岸の町ラムサールで誕生した。この町の名前にちなんで、通称ラムサール条約と呼ばれている。条約がアジアの西端で誕生して以来、初めてアジア地域で開催された締約国会議が、日本の釧路市で開催されて以降を成長期と位置づけて良いだろう。
 ラムサール条約第5回締約国会議(1993年、釧路会議)以降は、第6回(1996年、オーストラリアのブリスベン市)、第7回(1999年、中米コスタリカの首都サンホセ市)、そして21世紀最初の会議が第8回(2002年、スペインのバレンシア市)、アフリカ大陸で最初の会議が第9回(2005年、ウガンダの首都カンパラ市)、そしてアジア地域では釧路会議に次いで2度目の開催となる第10回締約国会議が、韓国の昌原(チャンウォン)市で開催された。
 1993年以降の10年は、ラムサール条約にとっても湿地生態系や水烏を中心とした生物多様性概念にとどまらず、地球レベルでの環境問題と密接に結びつく重要な期間となった。
 釧路会議と2002年のバレンシア会議における共通項は、両会議の前に開催された「地球サミット」に対してラムサール条約の対応を明らかにした点である。

 【ラムサール条約締約国会議の歴史
 回次  開催年 開催地
 第1回 1980 カリアリー(イタリア)
 第2回 1984 フローニンヘン(オランダ)
 第3回 1987 レジャイナ(カナダ)
 第4回 1990 モントルー(スイス)
 第5回 l993 釧路(日本)
 第6回 1996 ブリスベン(オーストラリア)
 第7回 1999 サンボセ(コスタリカ)
 第8回 2002 バレンシア(スペイン)
 第9回 2005 カンパラ(ウガンダ)
 第10回 2008 昌原(韓国)
 第11回 2012 ブカレスト(ルーマニア)
 第12回 2015 プンタ・デル・エスタ(ウルグアイ)
 第13回 2018 ドバイ(アラブ首長国連邦)
 第14回 2021 武漢(中国)予定

「地球サミット」は国連主催による環境と開発を考える国際会議だ。釧路会議の前年である1992年、ブラジルのリオデジャネイロにおいて第1回「地球サミット」が開催され、そのために生物多様性条約と気候変動枠組条約が誕生した、この地球サミットに対応するため、ラムサール条約では検討チームがつくられた。その結果、ラムサール条約としての対応を声明文としてまとめ、釧路会議の決議1『釧路声明』が採択された。また、釧路会議は地球サミット以降の全世界を対象とした環境関連条約の締約国会議としては初めてのものだったため、日本国内だけでなく世界的にもメディアの注目を集めた会議となった。この地球サミットから10年後、2002年8月には南アフリカ共和国のヨハネスブルグにおいて「リオ+10」と銘打った第2回目の地球サミットが開催された。それからわずか3ヵ月後に開催されたラムサール条約バレンシア会議では、釧路会議同様に地球サミットへの対応が考慮され、決議1「湿地と水」を採択し淡水資源保全に関するラムサール条約の今後の貢献を誓った。
 そして2005年のカンパラ会議では、「ミレニアム開発目標」と歩調を合わせる形で「湿地保全と貧困対策」が議論され、「ミレニアム生態系評価」における湿地の現況が報告された。ビクトリア湖畔で開催されたこともあって、内水面を含めた湿地における漁業資源の確保が議論された。また、東南アジアで発生した津波被害から「自然災害と湿地」、エジプト政府代表の発言に基づいて「鳥インフルエンザと湿地」が重要案件として決議に盛り込まれた。2008年の昌原会議は、さらにラムサール条約と環境問題における世界的な動きの関係が強くなり。「湿地と気候変動」、「湿地とバイオ燃料」に関する議論が白熱した。

2. ラムサール条約加盟国の義務
 1971年に、全世界を対象とした自然環境保全のための初めての政府聞条約として、ラムサール条約が誕生したわけだが、その後羅にあたる他の自然環境保全条約と比べると、内容はきわめてシンプルなものとなっている。条文第6条以降は、締約国会議や条約事務局、条約改正のための手続きなど、事務的な内容にかかわるものとなっており、条約の内容のみを知るためには、条約の第1条から第5条までを把握すれば十分といえる。
 第1条はラムサール条約が保全の対象としている「湿地」の定義を示している。湿地という言葉は各言語圏で独自の使われ方をしてきたり、あるいはまったく存在しなかったりする場合もある。初期の研究では、世界中にはおそらく50以上もの異なる湿地の定義があると考えられた。しかし、これらを包括的に扱おうと、ラムサール条約の湿地定義は、最も広範な対象を扱える湿地の定義を採用した。
 ラムサール条約における湿地の定義をわかりやすくまとめれば、大分類としてまず自然湿地と人工湿地に分けられる。自然湿地はさらに、内陸あるいは淡水湿地と、沿1華湿地あるいは塩水湿地の二つに大別できる。内陸湿地/淡水湿地には湖沼、河川、湿原ほかが含まれ、沿去1と湿地/塩水湿地は汽水湖も含み、干潟、海草藻場、マングローブ林、そしてサンゴ礁も対象と考えることができる。人工湿地には水田、遊水池、ダム湖などを含めて考えることができるが、安易に人工湿地を自然の湿地の代替えと考えないようにする注意が必要だ。第2条から第5条までは、細かい部分を除けばそれぞれ条約締約国(加盟国)の義務を示していると考えられる(表2参照)。

 【ラムサール条約締約国の義務
 1. 条約湿地の指定(2条)
 2. ワイズユースの促進(3条)
 3. 湿地保護区の設置(4条)
 4. 国際協力(5条)

 第2条はラムサール条約の大前提、条約湿地について述べている、条約に加盟しようという国家は。最初に1ヵ所、国内の湿地を条約事務局が管理するリストに登録すべく「国際的に重要な湿地」を選定すべきことが示されている。日本では「(ラムサール)条約湿地または登録湿地」として知られている。日本政府は1980年に条約に加盟する際、日本第1号のラムサール条約湿地として、北海道東部の釧路湿原を選定・指定した。もちろん各加盟国は、最初に最低1ヵ所の条約湿地を指定し加盟国となった後には、国内条約湿地の数を増やすことが期待されている。日本では2009年2月時点で37ヵ所の条約湿地がこれまでに登録されている(表3)。
 ラムサール条約湿地にふさわしい湿地を選ぶために、国際的に重要な湿地の選定基準が提供されている。大別すると、さまざまな湿地の種類を世界的に網羅していくための基準、そして生物多様性保全の観点から選定する基準とがある。後者の中には「定期的に2万羽以上の水鳥を支える場合」、あるいは「水鳥個体数の1%を定期的に支える場合」という、具体的な数値基準を盛り込んだ『水鳥基準』がある。2万羽あるいは世界推定個体数の1%という具体的な数値基準は、判断の際に迷うことがないため多用されている。

  日本国内の条約湿地
 指定年 名称 (所在地:世界全体での指定番号)
1 1980 釧路湿原 (北海道/4市町村:205)
2 1995 伊豆沼・内沼 (宮城県/栗原市+登米市:318)
3 1988 クッチャロ湖 (北海道浜頓別町:439)
4 1991 ウトナイ湖 (北海道苫小牧市:539)
5 1993 霧多布湿原 (北海道浜中町:613)
6  〃 厚岸湖・別寒辺牛湿原 (北海道厚岸町:614)
7  〃 谷津干潟 (千葉県習志野市:615)
8  〃 片野鴨池 (石川県加賀市:616)
9  〃 琵琶湖 (滋賀県/17市町:617)
10 1996 佐潟 (新潟市:820)
11 1999 漫湖 (沖縄県/那覇市+豊見城市:996)
12 2002 藤前干潟 (愛知県名古屋市+飛島村:1200)
13 〃 宮島沼 (北海道美唄市:1201)
14 2005 阿寒湖 (北海道釧路市:1540)
15 〃 秋吉台地下水系 (山口県/秋芳町+美東町:1541)
16 〃 風蓮湖・春國岱 (北海道/根室市+別海町:1542)
17 〃 仏沼 (青森県三沢市:1543)
18 〃 藺牟田池 (鹿児島県薩摩川内市:1544)
19 〃 蕪栗沼・周辺水田 (宮城県/3市:1545)
20 〃 慶良問諸島海域 (沖縄県/渡嘉敷村+座間味村:1546)
21 〃 くじゅう坊ヵツル・タデ原湿原 (大分県/竹田市+九重町:1547)
22 〃 串本珊瑚群落 (和歌山県串本町:1548)
23 〃 三方五湖 (福井県/若狭町+美浜町:1549)
24 〃 名蔵アンパル (沖縄県石垣市:1550)
25 〃 中海 (鳥取県+島根県/5市町:1551)
26 〃 野付半島・野付湾 (北海道/別海町+標津町:1552)
27 〃 奥日光湿原 (栃木県日光市:1553)
28 〃 尾瀬 (福島県+新潟県+群馬県/3市町:1554)
29 〃 サロベッ原野 (北海道豊富町+幌延町:1555)
30 〃 宍道湖 (島根県/松江市+出雲市+斐川町:1556)
31 〃 濤沸湖 (北海道/網走市+小清水町:1557)
32 〃 雨竜沼湿原 (北海道雨竜町:1558)
33 〃 屋久島永田浜 (鹿児島県上屋久町:1559)
34 2008 瓢湖 (新潟県阿賀野市:1842)
35 〃 化女沼 (宮城県大崎市:1843)
36 〃 大山上池・下池 (山形県鶴岡市:1844)
37 〃 久米島の渓流 (沖縄県久米島町:1845)

3. 湿地のワイズユース
 湿地は、はるか背から人々を引きつけてきて、さまざまな人間活動の舞台となってきた。ラムサール条約では、こうした湿地を保全するために人間活動の排斥を試みることは不可能であり、現実的なアプローチではないとして。「ワイズユース(賢明な利用)」を考慮することを加盟国に求めることにした(条約第3条)。このワイズユースの概念は、現在用いられている「持続的な利用」とほぼ同じである。
 しかし、初期には加盟国および条約湿地の増加を図ることが関係者の活動の中心であり、ワイズユースの議論は遅れていた。1987年の第3回締約国会議(カナダのレジャイナ)でようやく「ワイズユース」の定義が採択され、1990年の第4回締約国会議(スイスのモントルー)では「ワイズユース概念を実施するための指針(ガイドライン)」が採択された。しかし。これらの定義や指針では、世界各国の湿地管理関係者が、具体的にワイズユースとは何かを判断する材料としてはまだ十分ではないと考えられた。そこで、1993年に日本で締約国会議を開催することが決定されてから、第5回締約国会議の中心テーマはワイズユースとすることが決定された。
 ワイズユース研究のための特別プロジェクトチームが結成され、世界各地からワイズユースの具体例を収集し。その比較検討が行われた。その結果、国家レベルで湿地政策を作成したカナダの例やウガンダ、ギニアロビサウの国家としての取組み。国境を越えて協力を行った地中海と、ドイツ、オランダ、デンマークにまたがるワッデン海、そして個別の湿地に関して12ヵ所の例、合計17例がワイズユースを知るための参考例として選ばれた。これら分析の結果として、六つの要素が湿地のワイズユースを成功するための要素として抽出された。すなわち、①社会経済的要因への考慮、②地域住民の関与、③他の公共機関・民間企業との連携(パートナーシップ)、④(体制を整えたり担当者を配備するなどの)制度上の改善、⑤集水域や沿岸域全体での考慮、⑥予防原則、といった考え方である。もちろんこれらをすべて兼ね備えないとワイズユースにならないとか、どれか一つでもカバーすれば即ワイズユースになるというものではなく、これらのいくつかが組み合わさった場合に湿地のワイズユースがうまくいくようだ、という判断基準である、また、これらの要素以外にもワイズユースを成功させるアプローチがみつかれば順次追加してゆけばよい。
 釧路会議でこういった結果が報告されていた際に、「集水域で考える?そんなことは現実問題として不可能だ!」と日本政府代表団の1人が叫んでいたのを記憶している。現在、釧路湿原で進められている自然再生事業では「集水域での取組み」がキーワードの一つになっており、日本国内での取組みも大きく進展してきている。
 釧路会議の意義をまとめてみると、これまでにあげた①『釧路声明』、②ワイズユースの検討、のほかにも③普及啓発・環境教育・研修、④干潟の保全、⑤湿地の管理計画、があげられる、地球サミットの影響もあり、ラムサール条約釧路会議はメディアの注FIを浴び、国際NGO代表も「メディアの影響力」を強調していた。このことから、惰報発信!提供に積極的に取り組む必要性が確認され、その後のさまざまなプログラムに結びついていく。また、環境庁(当時)による日本国内の湿地に関する調査の報告、そして国内NGO代表の発言から、日本国内でとくに各地の干潟が危機にあることが指摘された。この指摘を踏まえて急遽、東アジアの干潟をはじめとする潮間帯湿地の保全をよびかける文章が勧告に加えられた。また、分科会の大きなテーマの一つとして、湿地を管理するための計画策定ガイドラインづくりがあった。これはその後日本でも導人されてきた「順応的管理」を取り入れたもので、湿地管理計画策定のための『釧路ガイドライン』とよばれた。その後、釧路ガイドラインはオランダ政府による湿地研修の教科書として採用され、世界各国の湿地管理者がこの研修で釧路ガイドラインの有益さを学んだ。
 さらに地域レベルでの成果をあげれば、釧路会議はアジアで初めて囲催される締約国会議として、アジア諸国にラムサール条約の意義を強く訴えかける役割を果たした。

4. 湿地の経済価値と住民参加型湿地管理  (ブリスベン会議とサンボセ会議)
 釧路会議で抽出されたワイズユースの要素のいくつかは、ブリスベン会議(1996年)でもさらに検討が加えられることとなる。ブリスベン会議における重要な決定としては、①魚類資源②生態学的な特徴とその変化、③湿地の経済的価値、④地域住民参加、に関するものがあげられる。すなわち、魚類資源に注目して、条約湿地(リストにあげられる「国際的に重要な湿地」)を選定するための基準が新しく採択された、条文にある「生態学的特徴とその変化」が意味が詳細に検討された。そして湿地の経済的価値と住民参加は、釧路会議でワイズユースの要素として考えられたものをさらに深めたものだ、湿地の経済的価値に関しては、世界的な環境経済学者たちの協力を得て、条約事務局から『湿地の経済評価』に関するテキストが出版された。条約の公式言語である英仏スペイン語以外にも日本語、中国語やドイツ語などに翻訳されている。湿地の価値を貨幣に換算しようという試みには当然限界もあり、湿地の価値はそれだけではないという批判ももちろんある。しかし現在の地球上の人間活動で、経済活動を否定するような環境保全の考え方は理想論のみで終わりかねない。一方また、環境保全を考慮に入れない経済活動はこれからは否定されていくだろうという理解が必要だ。
 湿地管理における住民参加のあり方に関しては、さらに検討をして欲しいという要望が強く、ワイズユースのプロジェクトチームがつくられたように、住民参加に関する国際的なプロジェクトチームが立ち上げられ、その成果を次回締約国会議で報告することが決定された。
 また、上記四つ以外にも地域的には、第5回締約国会議の主催国日本政府と第6回締約国会議の主催国オーストラリア政府とが中心的役割を果たし。⑤束アジア~オーストラリア地域の水鳥ネットワークが立ち上げられた。
 1999年、戦争と環境破壊の世紀ともいわれた20世紀最後の締約国会議は中米のコスタリカで開催された。コスタリカは当時すでにエコツーリズムのメッカともいわれており、途上国で開催される初めての締約国会議であった。湿地管理における住民参加の議論では、rl`南米から多くの先住民代表の参加者もあり、議論が紛糾した。合意形成は難しいかと思われたが、最終的には、「先住民を含めた地域住民による湿地管理への参加」に関するガイドラインが採択された。ガイドライン案をプロジェクトチームで作成するに先立って、釧路会議の際のワイズユースプロジェクトと同じような手法がとられた。すなわち世界各国から住民参加による湿地管理の好例(もしくは失敗例)を収集し、そこからエッセンスを抽出するというものだ。世界各国から23ヵ所の湿地管理と住民参加0)試みが選択されて、総合的な分析が行われた。住民参加による湿地保全が成功するためには、①奨励策、②信頼関係、③柔軟性、④情報交換と関係者研修の実施、⑤継続性、といった要素がきわめて重要であることが指摘された。

5. バレンシア会議とカンパラ会議
 21世紀に入って最初の会議、バレンシア会議ではこれまでになく多い、全部で45もの決議が採択された、
 前述したように、第2回地球サミット(開発と環境に関するヨハネスブルグサミット〉に対応する形で採択された決議エは、淡水資源に焦点をあてている。貴重な資源となり紛争の原因にもなりかねない淡水の確保は、人類の課題としてますます重要になってくる。とくに途上国の多くの人々にとっては、飲むことのできる清潔な水の確保は最重要課題だ。湿地は水を蓄える場所そして浄化機能を提供してくれる場所として重要であり、決議1は湿地の保全を逓じてラムサール条約としても貢献していこうとするものだ。
 決議2は、「世界ダム委員会」の報告を受けて「ダムと湿地」に関してまとめられたものだ。しかし一方で、会議の開催国であるスペイン政府が進めている巨大な水利用開発事業が、ラムサール条約湿地はじめ多くの水系に悪影響を及ぼす懸念が問題となった。スペイン国内だけでなくヨーロッパ各地のNGOが集結して、政府の事業計illliに懸念を表明した。スペイン政府は矢面に立たされつつ、さまざまな情報を提供していくこと、影響の有無についてオープンに議論していくことを約束した。
 ラムサール条約と他の環境条約との関係では、とくに生物多様性条約との協力がつねに諜題となってきた。バレンシア会議の決議3は、「気候変動と湿地」、すなわち地球温暖化と湿地の関係についてまとめられたものだ。地球が温暖化していく中で、湿地は被害者か?救世主か?が問われる。海水面が上昇したり氷河が溶けたりすることによって、湿地は甚大な影響を受けてしまうおそれがあるとともに、湿地は森林とともに多量の二酸化炭索の吸収源であり、気候変動を緩和する役割を果たしていると考えられる。したがって気候変動の観点からも湿地保全はきわめて重要になっている。
 決議16「湿地再生の原則とガイドライン」は、2003年1月に施行された「自然再生推進法」とも関連し、日本国内でも議論が行われた。湿地再生は、釧路会議で採択された『釧路声明」の中ですでに唱われているように、とくに先進国では世界の趨勢であった、ブリスベン会議の勧告15「湿地の再生」、サンホセ会議の決議1「湿地の保全とワイズユースのための国の計画策定の一要素としての再生」を踏まえて、バレンシア会議でガイドラインが誕生した。
 2005年の第9回締約国会議は束アブ1」カのウガンダで開催され、首都カンパラの郊外に位置するビクトリア湖畔のリゾートホテルが会場となった。1999年のサンホセ会議(コスタリカ)に次いで、途上国で開催されるラムサール条約締約国会議としては2回目である。コスタリカでの会議は途上国で最初の締約国会議開催として、アメリカ合衆国などの先進国からの支援が行われた。ウガンダでの会議は、資金調達などに一膚の困難がともなっての会議開催となった。貧困対策と湿地保全、そして漁業資源確保と湿地保全に関する決議が採択された。また決議案には盛り込まれていなかったが、エジプト政府代表からの問題提起を受けて、新たに「高病原性烏インフルエンザと今後の湿地保全」に関する決議が採択された。
 湿地保全と貧困対策に関する決議は、21世紀になって世界的規模で取り組まれている「ミレニアム開発目標」に対応するとともに、「ミレニアム生態系評価」における生態系サービスと人類の福祉にも関連している。また、釧路会議のテーマであったワイズユース、サンホセ会議での住民参加型湿地管理を発展させた内容にもなっている。さらに「ミレニアム生態系評価」の中聞報告は、世界的規模での湿地喪失に焦点をあてており、湿地部門を担当した専門家集団はラムサール条約の関係者だ。湿地と他の生態系、とくに集水域レベルでの保全の取組みが課題となり、これもまた釧路会議でのワイズユースにかかわる議論を検証する形になる。
 また、アフリカ地域で今後、湿地保全に関する地域レベルでの協力を進めるために、他の地域を参考にすることが必要とされた。このため日本政府は「ラムサール条約における地域湿地シンポジウムの重要性」に関する決議を提案し、採択された。アジア地域ではこれまでに「アジア湿地シンポジウム」が4回開催されており、日本政府やNGOも重要な役割を果たしてきた。
 ウガンダで開催されたCOP9(第9回締約国会謎〉、そして次に韓国で開催されたCOPlOでは、ともに国家元首(ウガンダ大統領および韓国大統領)が会議開催にあたってスピーチを行い、政府としても湿地保全が重要課題であることを世界にアピールした。

6. 昌原会議
 アジアで最初のラムサール条約締約国会議が釧路で開催されたことから、韓国政府は調査団をたびたび釧路地域に送り込み、会議の準備状況から周辺湿地の保全状況、活用状況などを参考にした。政府は準備段階からラムサール条約会議の開催を、「環境オリンピック」として国内外にアピールし、多くのアトラクションが催される豪華な会議となった。開会式には韓国大統領をはじめ、UNEP事務局長、IUCN事務総長も参加し、国連事務総長からのビデオメッセージも紹介された。
 第10回締約国会議の中心テーマは「湿地と人々の健康」と設定され、関連イベントも数多く企面された、条約関係者が世界規模で推進するイベントに、「世界湿地の日」がある。これは条約採択日である2月2日を記念し、毎年異なるテーマで世界的なイベントが実施されるものだ。2008年には韓国でも「湿地と人々の健康」をテーマに大々的なイベントが実施された、
 昌原会議で採択された決議「湿地と人々の健康」は、第9回締約国会議における「湿地保全と貧困対策」同様ミレニアム生態系評価における生態系サービスと人々の福祉に対応するものだ。また、韓国政府からの提案で、釧路会議における『釧路声明』に対応した、「昌原宣言」も採択された。さらに日韓政府の共同提案という形で、人工湿地ではあるが水田の役割を見直すために「水田と生物多様性」に関する決議が提案され、採択された。
 その一方で、世界的な問題である「気候変動と湿地保全⊥「湿地とバイオ燃料」といった課題の議論は最後まで合意形成に苦労した。これらはラムサール条約以外の場所でもすでに議論されている問題であるため、それらとの整合性の問題があった。すでに政府が対外的に一定の態度を表明している場合には、ラムサール条約の中でもそれを容易には変えることができない。決議案は修正に修正を重ね、態度を留保する政府代表も出た。最終的には、閉会式開始予定を1時間以上遅らせて一応の決着をみるに至った。これまではラムサール条約の独自性が有益な議論をもたらしてきたが、個別の環境条約のいわばグローバリゼーションが生じてきて、他の環境条約との整合性を保つのに多くの努力が必要となってきた。そのため、個別湿地の保全についての報告や議論にはほとんど時間が割けなかった。全世界でまもなく2,000ヵ所もの条約湿地が指定されようとしているわけだから、個別湿地の議論が難しいのは理解できる。しかし、ラムサール条約がこれまでに成功を収めてきた一番の鍵は、現地からの声を国際社会に持ち込んで、共通の課題とみなしたり、協力を呼びかけることにあったはずだ。まもなく採択40周年を迎えようとしているラムサール条約は、もう一度原点に立ち戻り、個別の湿地保全に役立つ仕組みの強化が必要とされている。