第5章 クジラ類利用法の価値と評価

研究会では、クジラ類の様々な利用方法を検討するに当たって、競合的な関係にある利用法と相互補完的な関係にある利用法を評価する際の問題を検討し、考慮すべき要素をいくつか選んでみた。ホエール・ウォッチングの価値を測定する方法を確立したとして、ホエール・ウォッチング産業が発展した結果として、見合わされた活動の価値を分析することも必要であろう。もちろん、いくつかの利用形態は共存しうるし相補的でさえあるだろう。ホエール・ウォッチングが開始された時点では、例えば捕鯨産業はすでに何年も前に崩壊していたと考えられるような場合には、実際見合わせる活動は何もないことになる。一方別の状況では、ホエール・ウォッチング産業は、地域で同じ対象のクジラ種あるいは個体群に対する捕鯨を行いたいとする人々とは、直接的競合関係にあるだろう。これは、どちらかの産業が他の産業に道を譲るといった圧力を誘発ことになりうる。もし、産業交代が促進されて、そのために見合わせられた産業があれば、その産業の価値は機会費用として一般に知られている。例えばもしある人が自転車に乗りたいと希望した場合には、彼は自動車を降りなければならない。自動車運転をあきらめることは、自転車に乗ることの機会費用である。

経済分析の役割はしばしば、将来社会のために最善の選択が何であるかを識別することにあり、我々の分析における機会費用の意義もこの点にある。このように、ホエール・ウォッチングを促進するために見合わされた、他の活動による便益推定が必要な場合もあることは、ホエール・ウォッチングの便益を見積もろうとするうえでの論理的結果だと言える。競合する便益―もしそれらが実際に競合しているとして―のそれぞれの組合せは、将来に渡ってのいろいろな時点で、どちらが人類の福祉にとっての最大の貢献となるかを計算するために比較されることになる。 


5.1. 利用法の要約

 クジラとイルカの利用方法は、相補的なものと対抗し合うもののどちらも、それぞれ二つに分けることができる。すなわち、クジラ類自身の利用とクジラ類の生息地の利用である。

5.1.1. クジラ及びイルカ類の利用

ホエール・ウォッチングとは別に、研究会参加者は、クジラ類の利用法として次のような方法があることを確認した。

 ●調査(クジラ類の生物学的指標としての利用を含む)
 ●除去(水族館、調査、軍事目的のための捕獲―致死的となりうる)
 ●営利目的の遠洋漁業(イルカ類はマグロや他の商業用魚類の発見を助ける―致死的となりうる)
 ●伝統的な協同漁業(イルカ類はボラ科や他の魚類を追い込んだり捕獲したりするのを助ける)
 ●文化的利用(致死的なものとそうでないものがある。例えばイッカクの牙、幸運のお守りや精力増進剤としてのbotoの生殖器や目等)(文献としてはSimmonds and Hutchison 1996等を参照)
 ●象徴―芸術、土産物、文学、政治的(自然保護、広告/マーケティングの象徴)
 ●狩猟(食料、餌、肥料、油のための捕鯨やイルカ漁)
 ●映画製作と写真撮影(商業用レコーディングのための音声収録を含む)
 ●クジラやイルカと一緒に泳ぐプログラム
 ●薬としての利用
 ●ドルフィン・セラピー(イルカを用いた医療活動)
 ●そして全く利用しないことも含まれる。

5.1.2. クジラ類の生息地の利用

ホエール・ウォッチングはその定義からもクジラ類のすみかあるいは生息地で行われるのだから、競合的および相補的利用としては、同じ地域あるいは生息地で起こる他の活動も列挙されるべきだと、研究会では合意された。もしクジラが殺されたり、移動させられることがないとしても、様々な活動はホエール・ウォッチングに直接的な影響を持つことがある。例えば、パラセーリングやジェットスキー、他のスリルのある乗り物を利用したレクリエーション活動が同じ場所で行われているならば、ホエール・ウォッチング参加者はクジラを観察したり楽しんだりすることはできなくなるだろう。もう一方で、兵器の試験や時には爆発を行うといった軍事活動は、クジラ類の聴覚に影響を及ぼしかねないし(Ketten 1995)、それらが行われる場所では、参加者やクジラ類に対する危険性からホエール・ウォッチング実施が論外となるだけではなく、そもそもクジラ類を追い払ってしまう結果を招くだろう。ある種のクジラ類にとっては他の種にとってよりも、問題が大きくなることもあるだろう。例えば、一般的に船の航行は多くのイルカとクジラ類には問題がないようである。イルカ類の多くでは、船首と船尾にできる波に乗ることを楽しんでいるようだ。しかし、船によって殺されてしまうホッキョククジラ(northern right whales)の例が定期的に報告されている。ホッキョククジラを含むセミクジラ類(right whales)全体で知られている死亡例の27%が、北大西洋西部における船との衝突が原因だとされている。この数字は種の将来を脅かすものとなっている(Kraus 1990; Kenney and Kraus 1993)。

クジラ類の生息地は、遠洋から河川や淡水湖に及んでいる。同一種であっても、地域の分布によって、いくつかの異なった生息地を利用する。あるクジラ類の特定個体群でさえ、季節による食料や狩りの必要性の変化のために生息地を変えることがある。ザトウクジラは冬の間熱帯や亜熱帯地方の海で生活し、いろいろな生息地を通って渡りを行い、水が冷たい地域の採餌場へと到達して夏を過ごす。シャチは、サケやニシンのような回遊する魚類を追って、かなりの旅をすることがある。世界中の大部分においては大陸棚へ続く近海水面が、ホエール・ウォッチングの対象となるクジラ類のすみか/生息地を提供している。

クジラ類そのものの利用よりも、その生息地の利用形態の方が明らかに数が多い。こういった利用形態のうちの多くは、クジラ個体群の特定の生息地内において、必ずしもクジラ類を害することなく、定期的にその必要が満たされていることは、指摘しておくべきだろう。ある程度の利害衝突があったとしても、頻度を少なくする等の時間的調整によって、うまく耐えられるものとなろう。海洋保護区の管理において、(単一の利用形態のために他のすべての利用形態を排斥して管理するのではなく)複合的な利用形態を取り込もうと試みるやり方は、海洋保護区が研究され始め、いろいろな国々で指定され始めた1980年代初頭から、広く受け入れられた一般原理となっている。

ホエール・ウォッチングとは別に、研究会は次のような生息地利用法があることを識別した。

 ●漁業
 ●養殖
 ●鉱業や探査(石油、塩類や他の無機物に対するもの)
 ●貯木場
 ●軍事活動(弾薬試験、廃棄物処理、軍事訓練場、爆発、音響試験、海軍のソナー等)
 ●影響試験
 ●レクリエーション(釣り、ダイビング、観光船、スノーケリング、ジェットスキーやパラセーリングのようなスリルある乗り物、サーフィン、帆船・ヨット、エンジン付きのレジャー用乗り物)
 ●海運業
 ●熱エネルギー発電や水車場
 ●潮力発電
 ●通信施設
 ●海洋保護区
 ●汚水/ゴミ/有害物質の投棄場所
 ●モニタリング/調査(例、海洋サーモグラフィ)
 ●陸上/沿岸開発(ゴルフコース、農業廃水処理、脱塩処理、都市化や開発、土壌浸食対策、堰、港湾、浚渫)
 ●船舶係留
 ●様々な構造物(ダム、沿岸警備、防波堤、波止場)
 ●宗教的文化的な利用


5.2. 代替利用の推定評価

動物のような生きた自然資源は、潜在的な利用法を2つ以上持つ傾向にある。様々な利用法どうしの関係は、「完全に両立可能な」関係と「互いに相容れない」関係との2つの両極端の間のどこかになる。例えば、捕鯨と海洋保護区におけるクジラの保護とは互いに相容れないことは明らかだ。また、ホエール・ウォッチングと大部分のクジラ研究はかなりの程度両立可能と言える。「最適化」と呼ばれる、ある資源の最善の利用法もしくは利用法の組合せを確立しようとする経済学的手法がある。最適化には、例えば持続可能収量の観点から定義するといった、目的を設定することが要求される。複合的な目的が可能である。

最適化それ自体は完璧な手法ではないかも知れない。社会的に受け入れ可能な解決策に達するためには、たくさんの政策決定基準と組み合わされる必要がある(Greiner et al. 1997; OECD 1986)。その中で最も重要なのは、『ホエールウォッチング管理の科学的側面に関する研究集会報告書』(IFAW, Tethys, & Europe Conservation 1995)の中で詳細な議論がされている、「予防原則」である。
 
予防原則では、もし潜在的な利用法が深刻もしくは不可逆的な結果を招く危険性がある場合には、その利用法は実施されてはならないことを意味している。システムの動きについての科学的情報が限られている時には、予防は生物資源の管理や利用に最も重要なことである。このことは特に、陸地における自然システムよりもよく理解されていない、海洋生態系において言えることだ。複雑な生物学的システムは、人間による利用や管理活動に対して、いつも直線的な反応をただちに示すわけではない。時間の遅れや、原因と結果の間の空間的距離、そして閾値行動(threshold behavior)によって、しばしば特徴づけられることになる。予防は、ある手段(instrument)が深刻もしくは不可逆的な結果を招く危険性を避けることができるかどうかを評価する。研究会では、クジラとイルカの多くの種類において生物学、個体群動態、個体の行動に関する情報が不足していることが指摘されている。このことを理由とするだけでも、クジラやイルカの仲間を彼らの自然環境から移動させたり除去させたりしなければならない利用法―殺すことも含まれるが、それだけに限られない―の妥当性が疑問視されるという意見が研究会では相次いだ。

第4章4.3.3.で述べられた採点モデルの取組においては、予防原則は、利用の選択肢が原則に従っているか(=1)、あるいはそれに反しているか(=0)を評価する部分指数を設定することによって組み込むことが可能である。次に行われる総計段階で部分指数の掛け算を行うことによって、深刻な結果を招く危険性を持つ選択肢の指数はゼロとなり、不適切な選択であることが示される。

ホエール・ウォッチング以外のクジラ類の利用形態がもたらす社会的経済的影響の規模を調べるためには、本報告書の第4章で論じられたのと同じ技法を、大部分の場合において適用することができる。いずれの場合においても、代替利用法を比較するための信頼できる基礎を確立するためには、様々な利用法に対して首尾一貫した方法論を用いて評価を行う必要がある。利用法を評価するための方法は、費用便益分析から、経済厚生あるいは影響査定技法までの間で異なってくる。

こういった問題を扱う場合について、経済学者はいくつかの点で警告を行っている。まず、最終結果の変動幅が推定できるようにするために、学術審査(peer review)および質の高い感応度分析によって、結果が注意深く検証されるべきだと指摘されている。さらに、(蓋然性の反対としての)不確実性を扱う予防原則や持続可能性といった考え方についても、注意深く取り扱う必要がある。持続可能性と予防原則は、自然資源についての仕事をしてきた大部分の経済学者、特に生態経済学者は理解をしているし、これらの概念を扱った仕事を日々しているのだが、まだ経済学者の間で全般的に受け入れられたものではない。最後に、クジラ類、魚類、そして海洋システムを扱う仕事の複雑さは、特定の生物学分野の外では理解されないであろう、という指摘がされている。それゆえ、様々な介入によって起こる可能性のある、複雑で直線的でない反応については詳細にわたって記載され説明される必要がある。

代替利用法の価値評価に関する議論を終えるにあたって、研究会では、金銭上の利益の代わりに自然資源の生存を脅かしてしまうことが、この分野における永遠の大問題であることが認識された。