第3章 経済、社会、環境への影響およびその意味

3.1. ホエール・ウォッチング産業の経済的影響およびその意味

ホエール・ウォッチング産業の発達は地域経済に数多くの変化を起こしうる。これらの変化の多くは、他の社会的あるいは環境上の変化と結びついている。例えば、経済が成長するにつれて、地域資源の利用方法に関して価値に変化が生じるかも知れない。労働の分配、労働者の待遇、富の分配について調整が生じるにつれて、地域経済に関する政策決定にも変化が生じるだろう。もし、観光産業が異なった文化を持ち込むことになれば、文化的対立が生じる恐れもある。

ホエール・ウォッチングについて議論する中で、研究会参加者は、自然を対象とする観光産業一般で、その中でも特にクジラやイルカ類を対象とする観光産業においては、業績が良くなることによって、多くのプラスの経済影響があることを感じとっている。このような経済的刺激によって、雇用の増進、積極的な社会接触、技術研修、教育、事業発展、社会基盤の整備が促されることになり、資源入手も容易になってくる。経済発展はしばしば地域資源に対する誇りを高めるように働き、持続的な資源利用に関して環境倫理(自然保護倫理)を促進する助けとなりうる。
 
もちろん、マイナスの経済影響も存在する。数多くの例がエコツーリズムの文献にある。例えば、Kinnard and O'brien (1996)は、エコツーリズムの参加者がインドネシアの公園への旅行に多額のお金を支払うが、地域社会にはほんのわずかしか利益がないことを報告している。Tangkoko DuaSudara 自然保護区が受け取っているのは、エコツアーの参加者が旅行に支払う全費用の2%のみに過ぎない。Place (1995)はコスタリカのTortuguero国立公園の状況を報告しており、そこでは、多くの旅行者は1泊100ドル以上する高級ホテルに宿泊している。しかしながら、ツアーは地元の旅行会社を通じては予約されないうえに、多くの商品やサービスは地域社会の外部で購入されるので漏出は大きい。

ジンバブエの国立公園では、直接の支出の65%が漏出している(Bregha 1989)。Bregha(5ページ)は世界銀行の報告から次のように引用している。「第3世界の国々における観光業の総所得のおよそ55%が、最終的には旅行者の本国へと『帰還』してしまっている。」また、ネパールでは、保護区の観光における支出の約3分の2が国内経済からの漏出となっているが、それは多くの商品やサービスが他の国々から輸入されたものだからである(Wells 1993)。Wells(1997)は、エコツーリズムの目的地からの漏出を推定した、いくつかの研究を概説している。

研究会参加者は、ホエール・ウォッチング観光地においても漏出が起こることを確認した。Glacier湾へやって来るクルーズ船や、カルフォルニア州サンディエゴからメキシコのバハにある礁湖へ向かう小さな自給型の船の存在は、何らかの対応策が講じられてはきたとはしても(公園入園料の支払いが求められたり、漏出を減らすために地元のボートを用いるように求められる場合もある)、かなりの額のお金が地域経済に決して組み込まれることがないことを示すものだ。漏出を最小化するために市場へ介入したり規制を行うことは、政府または地域社会の仕事である。

前に述べたように、1994年には全世界で約540万人がホエール・ウォッチング旅行に参加し、ツアーに推定1億2200万米ドル(直接収入)、ホエール・ウォッチング旅行に関連する全体としては5億400万米ドル(総収入)を費やした(Hoyt 1995a)。これらの支出は、国ごとによっても直接収入と総収入に分けられている。

この他にも、ホエール・ウォッチングが地域に与える経済影響について報告している研究がある。1986年にはバンクーバー島において、ホエール・ウォッチング参加者は一人当たり平均で370カナダドルを支払っており、旅行に117ドル、宿泊に59ドル、50ドルが直接ホエール・ウォッチングのツアーに、39ドルが他の費用に充てられていた。残りはパッケージ旅行に参加した人々の分である(Duffus 1988)。この額は1989年には、一人当たり400ドルにまで上昇している。1989年には10,000人がホエール・ウォッチングに参加したという推定に基づけば、推定400万ドルが地域経済に投入されたことになる(Duffus and Dearden 1990)。

ハワイでは、1990年にホエール・ウォッチングのツアーに13万人が390万米ドル以上を費やしている(Forestell and Kaufman 1990)。ニュージーランドでは、Pearce and Wilson (1995)は5つの分類グループの中で、ホエール・ウォッチングに参加した観光客の平均支出額が最も高かったことを発見している(1回の旅行に3,265ニュージーランドドル、これに対して、海外からの観光客の平均支出は2,041ドルであった)。ホエール・ウォッチング参加者は他のグループに比べると1日当たりの支出は少ないが(89ニュージーランドドル、これに対して海外からの観光客の平均は111ドル)、平均で37日間滞在する。これに対して、すべての観光客の平均滞在日数は18日であった。Dedina and Young (1995)は、バハカリフォルニアの南部州におけるホエール・ウォッチング観光の経済影響を調べた。アメリカのツアー会社に支払われた金額の50〜65%はメキシコにおける実際の事業運営に使われているが、地元の給料や物品供給のためには1%以下しか費やされていない。このことは経済乗数が小さく、経済漏出が大きいことを意味している。

他のマイナス影響としては、単一の生産品への依存に由来するものがあり、これは一般的にリスクがあるものと考えられる。例えば、エルニーニョ現象によって供給される餌に変化が起これば、イルカがこれまで利用していた場所から移動してしまうかも知れない。こういったことは、「にわか景気とそれに続く不況」を伴う観光経済につながり、地域の景気後退と経済的および社会的問題を引き起こすだろう。ノルウェーやメキシコのバハのような地域では、ホエール・ウォッチングの季節性も同様の影響をもたらすことがあり得る。これは規模としてはより小さな問題かも知れないが、地域にとっての重要性は決して小さなものではない。こういった季節性は、クジラ類と観光客両者の季節的な移動によってもたらされ、それに左右されることになる。ドミニカでは、クジラは一年中いるのだが観光シーズンのピークは12月から3月の間に集中している。これに対してハワイのマウイ島では、ホエール・ウォッチングの時期が終わってしまう4月にはイルカ・ウォッチングが始められる。
 
ホエール・ウォッチングの成功はまた、世界の一般的な社会/経済状況にも依存している。観光は不況の時や経済の停滞期には真っ先に衰退するものだ。ホエール・ウォッチングにおいても、多角化戦略や、国内市場の刺激、オフシーズンに学童達に場所を提供するといった、賢明な事業経営が奨励されるべきである。利用客について知り、様々なニッチ(*)を開発することは重要である。多角化を広げることは弾力性を向上させる。しかしながらニュージーランドでは、ホエール・ウォッチングの事業者は許可証や規制を通じて厳しく管理されており、他の海洋哺乳類の観察ツアーへと多角化することは容易ではない。船や飛行機によるホエール・ウォッチング、イルカ・ウォッチング、イルカと泳げる場所、といった異なる事業者に対して別々の許可証が与えられているのである。 

* [訳注]ニッチ(生態学的地位):生態学用語であるが、ここでは様々な商売上の特徴を出して異なる層の顧客にアピールすること。


3.2. ホエール・ウォッチング産業の社会的影響およびその意味 

ホエール・ウォッチングの活動と発展は、地域社会にプラスとマイナスの両方の社会的影響をもたらしうる。社会状況は時間とともに変わるし、近代化や一般的な観光開発によっても多くの影響がもたらされる。それゆえ、社会的影響の原因を、特定のホエール・ウォッチングの発展にのみ求めるのは難しいと言えよう。しかしながら、一般的なエコツーリズムやホエール・ウォッチング事業が行われている数多くの地域で、様々な社会的影響がこれまでに報告されてきた。

まず一般的なエコツーリズムに関してだが、Wallace and Pierce (1996)はエコ・ツアー向けの新しい宿泊施設によってもたらされた数多くのプラスの変化について概説している。雇用、地域社会からの購入、地域社会の一層の活発化、輸送手段の改善、燃料・電気・電話がこれまで以上に利用できるようになることなどである。同様にMcNeely et al. (1991)は、既存文化の保護、地域の社会基盤整備の促進、政府による関心の増加、文化間の理解の向上といった貢献を通じて、エコツーリズムは社会便益をもたらしうることを示唆している。コスタリカのSanta Elena熱帯雨林保護区では、エコツーリズムによるプラス影響として、新しい伝統の学習と共有、教育の機会、雇用の機会、地域社会にとっての経済便益、地域を訪れる観光客との友情などが報告されている(Wearing and Larsen 1996)。カリブ海の小国ベリーズにあるオポッサム・ポイント生物学ステーションでは、エコツーリズム参加者が、地域の生徒達の進級を助けるための奨学金制度に寄付を行っている(Kangasa et al. 1995)。

ホエール・ウォッチングに関してでは、海洋哺乳類の世界を見せるために観光客を迎え入れることで、数多くの地域社会がその権限を増してきた。ニュージーランドのカイコウラでは、マッコウクジラを観るためのホエール・ウォッチング事業をマオリ族が経営している。事業運営を行うことと、文化的に重要な動物について解説する能力とが、文化の復興に貢献してきたと言える。地域社会の中には、毎年の行事である祭りによって自分達にとって重要な海洋哺乳類に光を当てているところもある(例えば、メキシコのバハにある San Ignacio 礁湖で行われるコククジラ祭り)(Dedina and Young 1995)。また他の状況では、ホエール・ウォッチングは漁期以外でも一年中雇用を提供し、失業や、おそらく他の社会的問題の減少に役立っているだろう。例えば San Ignacio礁湖におけるホエール・ウォッチングは、漁師達にとっての新たな選択肢のひとつとなっている(Dedina and Young 1995)。ハワイにおいては、ホエール・ウォッチングは海洋環境についての教育に大いに貢献している。南カリフォルニアでは、「アメリカ鯨類協会」がスポンサーになって、数万人の学童を対象に、ホエール・ウォッチング用ボートを使った海洋教育ツアーを実施している(Kaza 1982)。メキシコとアルゼンチンでは、クジラ類とイルカ類のいる主要地域の近くでは、ホエール・ウォッチングのおかげで、地元の人々や様々な組織、研究機関の環境意識が高まっている(Sanchez Pacheco 1997; Iniguez et al. 1997)。多くの国々で、ホエール・ウォッチングは地元の人々や国民の意識を高め、ひいては海洋保護区の設立を支持するように働いている。ノルウェーでは、ホエール・ウォッチングがクジラ類の新しい調査技術を導入する触媒の役割を果たした。Dowling (1991)は、オーストラリアのシャーク湾のイルカ・ウォッチングに関する地元の人々の態度を調べた。この地域の住民達は、仕事を通じて、あるいは自分達の家へのお客さんとして、観光客とかなりの接触を持っている。大部分の住民は、観光客が地域の楽しみを損なっていない(66%賛成)し、また地域のサービスの妨げになっていない(61%賛成)と考えていることが示された。また、住民達は、観光が他の商業活動よりも多くの地域収入を生み出していることに賛同(69%)している。

一般的なエコツーリズムによるマイナスの影響には、伝統文化の弱体化、独創性の喪失、人間関係の崩壊、生活様式の変化、商業主義、犯罪の増加、薬物やアルコール濫用の増加、混雑や騒音の増加、汚染、孤立集団の形成、社会経済的および空間的不平等の強化、文化的疎外、政策決定における独立性の喪失、そして工業国への依存などがある(Dogan 1989, Brohman 1996, Mansfeld and Ginosar 1994, Wearing and Larsen 1996)。野生生物をエコツーリズムの商品に変えてしまうような場合(商品化)には、そのような見え透いた商業主義を攻撃的だと思う先住民が出てくる場合もある。伝統が観光の目玉となるにつれて、文化的伝統がその独自性と価値を失いかねない。観光を志向した地域社会では、生活様式は短時間のうちに変化してしまうこともある。例えば、コスタリカのTortuguero 国立公園内の家族の食事は、観光が一般的になって以降、地域で作られた食料によるものから、わざわざ食料を購入するスタイルへと変わってしまった(Place 1988)。タイ北部では、トレッキング観光に関係する村々にかなりの変化が生じてしまい、住民達は今や手工芸品を盛んに売ろうとし、伝統のものではない衣服を着用し、外国の言葉や歌を用いている(Dearden 1988)。ペルーでは、潜在的な病気の感染や文化の崩壊を防ぐために、マヌ公園政策によってエコツーリズムの参加者と先住民との接触が禁止されている。しかし、先住民社会の中には、エコツーリズムによって観光客がやってくることや、彼らに手工芸品を売ることによる潜在的な収入に興味を示しているところもある(Groom et al. 1991)。
 
Place (1995)は、観光開発の大部分の費用が貧しい地方住民に不均衡に課せられていることを報告しており、彼らは農耕、林業、鉱業のための資源基盤を失ってしまうことになる。彼らはまた、燃料、建築資材、野生の食物、薬、そしてレクリエーション活動を提供してくれる場所の利用ができなくなる。政府は乏しい公共資金を観光のための社会基盤開発(例えば、空港建設、高速道路の改良)のために充ててしまい、基本的な社会サービス(例えば、公衆衛生、教育)のための資金は増加しないで終わるか、場合によっては下降してしまう。
 
King and Stewart (1996: 296)は、どのようにして文化や自然の要素(例えば、家内工芸品や動物群集)が、貨幣市場で交換される商品へと変えられうるかを述べている。先住民の人々にとって、自然の商品化は「彼らの環境の持つ意義が、利用価値を持った直接の生活手段の供給源から、交換価値を持った商品へと変化することを意味している。この変化は、先住民とその環境との間の関係が、大地に根ざした労働から観光客(大地を見に来る人々)のための労働への移行を表している。」 

ホエール・ウォッチングによるマイナスの社会的影響の実例を、記録している特別な文献はほとんどないと言っていいだろう。アルゼンチンのPuerto Deseadoでは、自然保護区への立ち入りが一部で禁止されたために、地域住民の中には観光開発に対して不満な者達もいる。村人達は保護区内の島々で、キャンプをすることも釣りをすることももはや許されないのである。これらの規制は、エコツーリズム産業の発達を支援するために、そして営巣している海鳥類を妨害しないように立入制限をするために設定されたものである。経済影響についてのところで議論されたように、単一の産業に依存することも、他に生活を支える産業がほとんどない地域社会では、考慮すべき社会問題である。どのような理由であれ、ホエール・ウォッチングに参加しようとする人が訪れなくなってしまったり、クジラ達が移動してしまったら、地域社会はとりわけ大きな打撃を受けやすくなる。
 
研究会参加者は、影響の規模によって多くの要因がプラスにもマイナスにもなりうる、例えば文化を豊かにすることも文化的摩擦を生じることもあり得る、と結論づけた。いずれにせよ文化は影響を受けることになるのだ。それが良いものか悪いものであるかは状況次第であり、このバランスが時とともに変化することは認識されなければならない。観光に関する文献には、観光の発展段階の特徴を表そうとした数多くのモデルがある。これらのモデルには、ホエール・ウォッチング産業を考えてみる上で参考になる点があるだろう。
 
Butler (1980)の「観光のライフサイクルモデル」(図7参照)は、観光地や観光の目玉となっているものは、次第に評判になるにつれ、数多くの一般的段階を経ていくと主張している。このモデルは、マーケティングや事業経営の分野で広く用いられている、典型的な「製品のライフサイクル」概念を反映したものだ(例えば、Lucas 1986; Anderson and Brown 1984)。これらの理論によれば、生産物(この場合はホエール・ウォッチング)は誕生―成長―成熟という発展段階をたどるであろうと主張されている。こういった一般的な発展段階は、ホエール・ウォッチングが長期間行われてきた場所で実際に観察されている(Forestell and Kaufman 1996)。しかしながら、図の中の安定段階は最終点であると見なされるべきではない。
 
図7. ホエール・ウォッチング地域の発展段階(Butler 1980より改変)

図8. ホエール・ウォッチング地域の発展段階と地域社会の反応
(Doxey 1975 より改変)

Doxey (1975)は、観光発展に対する地元社会の反応を概説するモデルを提案している(図8参照)。これらの反応は幅広いものとなっており、初期には人々が地域の可能性を考慮することによって、冷笑的態度を示す場合もあれば、大きな期待による高揚感もあるだろう。そのうちに、観光開発の費用が地元社会の負担となると感じられるようになれば、否定的反応が増えてしまうことになる。最終的には、地元住民も観光発展のレベルに適応し、受容するようになるだろう。しかしながら、他にも様々な要因が絡むので、こういった地元の反応を単純な因果関係の一部分として説明してしまってはならない。

Forestell and Kaufman (1996)は、ハワイとオーストラリアにおける経験から、ホエール・ウォッチング発展の分析を行っている。彼らの研究によれば、ホエール・ウォッチングに関係する事業者達は、初期における発見段階、成長時の競合段階、政府機関が関与して規制を行うにつれての対立段階、そして最終的には産業が成熟して安定した状態に入る、といったような過程を経ることが示唆されている。これらの観察は、Butlerのライフサイクルによる取組と一致していると思われる(図9参照)。

 図9. ホエール・ウォッチング発展と事業者の反応の諸段階
(Forestell and Kaufman 1996 より改変)

Duffus and Dearden (1990)は、野生生物の魅力に特別な関心を持っていて、自立して行動できる人々が参加するような、類似の観光形態のライフサイクルを、ホエール・ウォッチングもたどると考えている。こういった人々は、Butler のモデルにおける発見と探求の段階において、ごく一般的に見られる。その後の、成長期、地盤強化期、安定期においては、通常の観光客が多勢を占めることになる。一般観光客は、旅行の助けとなる様々な社会基盤に依存してしてしまうことが多いし、特定地域の持つ魅力に対してきわだった関心があるわけでもない。 

ホエール・ウォッチングの社会的影響について追加しておくべき概念として、「レクリエーション上の遷移」があるだろう。この概念は、原生自然地域や公園管理の分野において関係者に広く理解されているものであり、観光の目玉となる場所が発達するにつれて、特定のタイプの観光客が順次置き換わっていくことを説明したものだ。初期の発見段階に典型的な特徴として、観光の目玉となる場所には施設がほとんどない。原生自然とも呼べるほど開発されておらず、冒険家や(新天地の)開拓者と見なされるような人々のみが訪れる。その場所がより知られて以前よりは頻繁に人が訪れるようになると、何らかの社会基盤が発達する(例えば、トイレ設備、立ち入るための道路、駐車場)。その結果として、その場所が元来持っていた、損なわれていない自然といった特質はある程度失われてしまう。そして、原生的自然に魅了されていた初期の訪問者達は、満足できなくなってしまい、他の人々に置き換わっていくのだ。この発展と置き換わりのパターンは、一連の継続的段階を続けることになる。最終的な結果として、観光の目玉となる場所はかなり開発されて、きわめて人気の高いものとなる。元来の原始的で人の手の入っていなかった自然が失われてしまったという事実にも関わらず、訪れている観光客達は自らの体験に大層満足を示すということになる。しかしながら、そういった状況に不満を示すような人々は、すでに置き換えられて他の場所を求めて去ってしまっていることになり、環境の質の低下は現時点での観光客を調査することによっては明らかにならない。 

頭に留めておくべき重要な点は、ホエール・ウォッチングによる社会的影響は時とともに変化するという点であることに、研究会参加者も同意している。これまでに説明されてきたモデルは必ずしも特定の場所を示すものではないし、また、全てのホエール・ウォッチング地点がこれらの発展段階をを経過すると予想されるものでもない。しかしながら、研究会で取りあげられたこれらのモデルは普遍的に当てはめられるものではないとしても、社会経済評価においては、地域の発展段階を考慮する必要性があることを強調している。 
 

3.3. ホエール・ウォッチング産業の環境影響と意義

ホエール・ウォッチングは非消費的な活動として説明されることがある。消費的な活動と非消費的な活動は通常、ある動物の意図的排除を伴うかどうかによって区別されるのだが、ホエール・ウォッチングにおいてもクジラ類に対する環境費用が発生する。ホエール・ウォッチング産業の費用及び便益を評価する場合には、これらがきちんと説明されなければならない。消費的と非消費的という言葉の使い方については、研究会でも議論がなされた。そして、ホエール・ウォッチングは、クジラ類自体の直接消費を行うものではないが、クジラ類に対する環境悪化を引き起こすという意味において消費的であるという結論に達した。ともあれ、こういった用語の使用は、ホエール・ウォッチングの価値を算定する際には混乱を招きかねないので、今回の議論の中では用いないことが決定された。

ホエール・ウォッチングの環境影響は3つの要素を持った形で存在していると考えることが出来る。すなわち、影響の性質、影響が起こる範囲、そして影響の即時性、である。研究会参加者は、クジラ類に影響を与えかねない特定の行動がもたらす環境費用は、しばしば利用者側ではなくて資源側―クジラ類あるいはその生息地―によって負担されているのではないか、という懸念があることに注目した。
 
「ホエールウォッチング管理の科学的側面に関する研究集会報告書」(IFAW, Tethys & Europe Conservation 1995)の中で述べられているように、ホエール・ウォッチングにおいてはたいていの場合、人間の存在によってもたらされる騒音等に対して、クジラ達は明らかにそれとわかる反応を示すこともあれば、微妙な動きのこともあり、きわめて様々なやり方で反応する可能性がある。これらの変化は、行動におけるものであったり生理的なものであったりするかも知れない。また、即応する場合もあれば短い期間内に生じる場合もあるだろうし、より長い時間枠の中で発生する影響と結びつくものかも知れない。この報告書の中ではさらに、対象となるクジラ類やそのすぐ周りの環境を越えた範囲においても、様々な環境影響が起こりうることが述べられている。まず、ホエール・ウォッチング事業の発展と運営があり、旅行する一般大衆の必要を満たすために地域社会の拡張がある。また、ホエール・ウォッチングの目的地において観光客の出入りが増加することに伴う環境費用がある。表4は、我々が識別した環境費用の一般的なカテゴリーと、それらの影響が発生する場所との関係を示している。

 表4. 環境影響:影響発生の場所による関係
 

ホエール・ウォッチングの発展とそれに伴う環境費用を考えるにあたり、研究会参加者は、一つの例として海の中の音に注目してみた。海の中の音は、聴覚を情報収集や意思伝達の主要手段としている、海洋哺乳類やその他の音に敏感な動物達に対して影響を与える潜在的要因と考えられる。船や航空機からの音といった、人間による音は、動物たちを驚かせたり、通常の行動パターンを妨害したり、意思伝達を妨げたりすることがある(Richardson 1995)。海洋哺乳類や魚類の一部は音を主要な感覚手段として用いており、音に対して特に敏感になっている。彼らは少なくとも低い音には一般的に慣れているが、そういった慣れを生じさせる音や、いらだち、恐怖を引き起こす音、意志伝達の妨げ、生理的な害、あるいは生息地の放棄を起こさせる音のレベルと種類については、1件1件個別に研究する必要がある(Richardson and Wursig 1997)。

音には短期的影響や長期的影響を持つもの、そして、まったく影響のないものがある。例えば、毎日同じ時刻にフェリーが近くを通過するとした場合、クジラ達は、その音に慣れてしまいやすいだろう。しかしながら、同じ群れであっても、多くの船が一日中近くにいるようならば、仮にその地域が採食場や休憩場として好ましい場所であっても、やむなく放棄してしまう可能性がある。例えば、サンディエゴ湾を繁殖地および子育ての場所として利用していたコククジラ達は、船の往来が多かったために、その場を放棄したと信じられている(Jones and Swartz 1984)。そして(この例ほど明らかではないが)同様の例が、他の種や異なった状況について報告されている。

どんな船でも海を進む際に騒音を立てる。カヤックでさえ、休息しているクジラやイルカ達を驚かせたり怯えさせたりすることがある。一般的に、小さな動力の船は高周波の音を出し、大きな動力を持った船は低周波の音を出す。高周波の音、とりわけ超音波は、大形のヒゲクジラの類(低周波の音に敏感である)よりも、小さなハクジラの仲間に対して大きな影響を与えやすい。ニベ科や他の魚については、広い周波数帯の音(多くの周波数を持った音)は、彼らの意思伝達手段を妨害してしまい、空間配置といった生息地利用に変化を引き起こしてしまうことがある(Tavolga 1964)。低周波の音は距離に伴って急速に弱まったりしないため、広い地域を音で覆い影響を与える恐れがある(Wenz 1962)。

音の影響と船の接近の影響とを明確に区別することができないこともある。しかしながら、海洋哺乳類は船首波に乗ることもあれば、船を避けることもあるので、単に船が存在するだけでも彼らの行動に影響を与えると言っていいだろう。航空機の影に対しても、たくさんの種において驚いた反応を示すことが記録されている。また、泳いでいる人間に対しても、好奇心を示したり、避ける反応を示したりすることがあるし、さらには攻撃的な対応を引き出すこともあり得る。数多くの船が存在することは、海洋哺乳類の移動パターンにさえ影響を与えかねない。例えば、ハワイのケアラカクア湾においてHawaiian spinner dolphins はボートが停泊している地域を避けるのだが、このことにより、彼らの日中の休息行動は制限され、以前に彼らが占有していた湾の半分しか利用することができなくなってしまっている(Norris et al. 1994)。
 
音と接近による影響は、ホエール・ウォッチング船からだけ生み出されるものではなく、沿岸近くや陸上における様々な活動によってももちろん発生する。海岸線沿いの道路における交通量が多ければ、騒音が空気中を伝わり、振動が伝達され、さらには地表から流れ込む水が遮断されるなどして、動物たちが沿岸近くで休息するのが邪魔されるかも知れない。そういった音が周囲のレベルよりも大きなものなのか、慣れることはできないのかといった問題は今後の検討を待つ必要がある(Greene 1995)。ホエール・ウォッチングが行われている地点へ参加者や荷物を運ぶ、バス、ボート、航空機、自動車、トラック、列車といった交通機関は、音響や視覚に関して、地域だけではなく、地球規模でも影響をもたらすことが考えられる。

ホエール・ウォッチングは、プラスの教育、科学、環境上の便益をどの程度提供してくれ、それは環境費用に勝る(あるいは緩和する)ものなのだろうか?冒険と受け取ることができるような数々の旅行を研究することによって、潜在的な環境上の便益について役立つ情報を得ることができる。Asfeldt (1992)はカナダのNahanni 国立公園において、原生自然地域を旅するカヌーイスト達を対象に、旅をする前と旅をしてから6ヶ月後の比較調査を行った。旅の後では回答者達は、Nahanni国立公園が脅かされるような事態になれば、国立公園存続のために政府に働きかけようとする可能性が高く、また、次の1年以内に似たような原生自然地域を旅する可能性が高いことを示していた。こういった意図について調べることは、一般的な態度というよりは行動について予想するものなのだが、他にも多くの要因がその後の行動に影響する(Peter and Olson 1990)。ホエール・ウォッチングのツアーにおける教育的努力の結果、参加者に行動上の変化(考え方への影響を生む)が生じるかどうか、についてはほとんど知られていない。  

Hoytによれば世界中のホエール・ウォッチングの半分以上が、商業的な目的だけのために行われており、多くの教育上そして科学上の機会が失われている(Hoyt, 私信)。例えば、米国ニューイングランド南部では、21のホエール・ウォッチング事業者のうち、18がすべてのツアーにナチュラリストが添乗すると広告している。しかし、写真を用いてクジラの個体識別をする調査に協力しているのは半分だけであり、論文に結びついた科学的研究に貢献しているのは3分の1のみであった(Hoyt 1994a)。Hoyt はまた、ニューイングランド南部においてホエール・ウォッチングが行っている科学的貢献の経済価値を推定している。ホエール・ウォッチングのシーズンを125日と仮定して、写真による個体識別と他の研究努力の経済価値は事業者一人につき年間125,000米ドルと推定された。ニューイングランド南部において、研究を奨励しそのためにボートを利用することを認めている、すべての事業者についての総計では、年間875,000ドルとなる。また、1975年から1991年までの間にホエール・ウォッチングに参加するためにステルワーゲン岸(Stellwagen Bank)を訪れた数百万の人々は、地域の生息地保護を推進する強力な支持母体となったと言うことができるだろう。この地域は1992年に公式に「米国国家海洋サンクチュアリ」として指定されている。1975年にプロビンスタウンでホエール・ウォッチングが始められる前には、ほとんどの人がステルワーゲン岸の名前を聞いたこともなく、またクジラが定期的に地域を利用していることも知られていなかった。

研究会参加者は、収支決算では、ホエール・ウォッチングによる便益は、この産業による環境費用よりも大きいものとなりうる、しかしこのことを当然のこととしてとらえてはいけないと考えている。環境費用と影響を小さくして、教育および科学上の便益を最大のものとするよう努めることが極めて重要である。