第2章 ホエール・ウォッチングの社会経済的価値
2.1. ホエール・ウォッチングの社会経済的価値入門
ホエール・ウォッチングとは、野生状態のクジラ類を観察するといった体験をしてみたいという観光客の需要を満足させることによって、収入、富、そして仕事を生み出す産業である。この産業は巨大な観光産業の小さな一部門であり、しばしばエコツーリズム産業を構成するものと見なされる。しかしながら本報告書では、ホエール・ウォッチング産業を説明するのに、エコツーリズムという用語を使うことを全般的に避けている。なぜならば、より深い生態学的な体験に熱中することを望んでいる観光客よりはむしろ、この産業は一般的な観光客を対象としていることが多いからだ。また、この産業をエコツーリズムの一環であると決めつけてしまう前に、ホエール・ウォッチングの環境上及び教育上の利点についてもっと良く知る必要がある(IFAW, WWF and WDCS 1997)。しかしながら、ホエール・ウォッチングが上手に運営されたならば、エコツーリズムが目指すところの「より深い」生態学的経験を含む、自然に基づいた、あるいは生態学的な観光体験となるであろうことは疑いようもない。
ひとつの産業としてみた場合、ホエール・ウォッチングは環境、社会、そして経済上の影響を持っている。社会経済学的分析の役割は、ホエール・ウォッチング産業がそのサービスを提供している社会の目標に資するようにするために、それらの影響を公平に調査し定量的に把握することにある。その結果、ホエール・ウォッチング産業の持つ影響を調査し計測する必要性がある一方で、この産業がその社会的経済的目標のためにより効果的に貢献できるように、資源管理、産業の実践方法や、政府による規制のために、新たな取組を導入したり改善したりしていくことになる。
社会経済的な影響分析における最初の段階では、調査対象となっている産業によって提供される特定のサービス、価値、もしくは影響を明らかにする人間が必要になる。(本報告書の中では、「サービス」、「価値」、「影響」といった用語はそれぞれ交換可能な形で使われている。しかしながら、これらの概念の間の実際の関係は、次のようなものである。すなわち、対象物(ここでは「クジラ類」あるいは「ホエール・ウォッチング」)は、プラスとマイナスの価値を提供するサービスを生み出し、それゆえ、人間主体に対する肉体的、感情的、あるいは精神的な影響を作り出すことになる。図1参照。)これらのサービスは地域ごとに異なるものとなろう。本報告書では、自分達なりの考え方をまとめたいという人々の指針となるよう、これら価値、サービス、影響すべてを一般的な見地から検討している。そのような価値/サービス/影響に対する検討は、それらのうち人類に影響を与えるすべてを明らかにするものとなろう。当然、これは自分たちをとりまく環境を含んだものとなる。なぜなら、人間は環境保全を大切なことであると信じており、環境の状態が変化することは、肉体的、感情的、精神的、あるいは他の方法によって人類に影響を及ぼすことを意味しているからである。したがって、本文において社会経済的影響について言及している際には、当然ながら環境影響をも含むことになる。もちろんこれはまた、経済学的な厚生分析(より一般的には費用便益分析として言及される)、そして環境アセスメントにおける標準的な手法である。
研究会の議論において、参加者達はクジラ類の価値とホエール・ウォッチング産業に関連する価値とが混同される傾向にあることを実感した。本報告書の焦点は、クジラやイルカ類によって生み出される価値/サービス/影響よりはむしろ、ホエール・ウォッチング産業によって創出される価値/サービス/影響についてのものである。図2で明らかなように、クジラ類は幅広い価値を生み出しており、その中に、研究会によって「野生状態のクジラ、イルカ、ネズミイルカ類の特定の種を陸上、海上、もしくは空中から商業的に観察すること」と定義されたホエール・ウォッチング産業が含まれている。したがって、ホエール・ウォッチングの価値は、クジラ類が生み出す価値の一つの側面でしかない(図3)。しかしながら、議論の内容や情況によっては、クジラ類やイルカ類が持つ広い範囲の価値を見てみることも、有益となったり、時には必要であったりするだろう。第5章では、クジラ類の様々な利用方法についての広い視点での議論の中に、ホエール・ウォッチングを位置づけて考察がなされている。その中で、クジラを殺して利用する方法に対して、生きたままのクジラによる様々な価値を考えてみることも適切だろう。しかし、クジラ類によって生み出される価値一般について意識してはいるものの、本報告書の大部分では、ホエール・ウォッチング産業によって創出される価値/サービス/影響に焦点を当てたものとなっている。
第2章の残りの部分は、社会経済的評価の背景となる基本的考え方を紹介している。そのような評価研究を始めるに当たって必要となる基本事項について、読者により理解を深めてもらいたい。そのような研究では、社会、経済、そして環境評価に関連した専門知識を持っており、地域で研究を行っている人々からデータを提供してもらい、それを中心にして進めることが望ましい。
図1.対象物、サービス、価値、影響、そして人間主体との間の関係
図2.クジラ類によって提供される価値/サービスとホエール・ウォッチング産業によって提供される価値/サービスとの間の関係
図3.クジラ類によって提供される価値/サービスとホエール・ウォッチング産業によって提供される価値/サービスとの違い
2.2. 社会経済的影響の分析とは?
社会経済的影響の分析は、特定の産業の経済的貢献ををはっきりさせるために用いられる。ホエール・ウォッチング産業の場合には、次のような社会的影響に特別な関心がある。
●ホエール・ウォッチング産業の経済的貢献を計測すること。
●ホエールウォッチング産業と他の産業との比較を行うこと。
●ホエール・ウォッチング産業により創り出される、市場に関係のない価値を判別し 測定すること
ここから先では、社会経済的影響を分析するための基本となる、経済学の予備知識が提供されている。研究会の参加者達は、ホエールウォッチングの社会経済的価値について分析し、議論するためには、これらの事項について理解することが不可欠であると感じていた。
2.2.1. 経済学の理論
1990年代後半、世界の大部分で最も優勢な経済学上の考え方は、新古典派経済学の枠組みである。他にも経済学的枠組みはあるものの、ホエール・ウォッチング産業による経済的貢献の分析という目的のためには、新古典派経済学によるアプローチは、国の財務当局をはじめ、報道関係や世界銀行といった幅広い人々によって容易に理解されうるという結果をもたらす。他の経済学的枠組みもまた、新古典派の取組を形作る基本理論を共有する傾向にあると言えるだろう。
人間社会が、一連の限りある資源から、限りのない欲求や必要性を満たすための方法を、経済学は研究するものである。その分析上鍵となる課題は、社会が最大の価値を獲得できるような資源の配分の仕方である。価値とは、必要性や欲求が満たされた時に、人間によって感じられる効用あるいは満足度として定義される。新古典派モデルでは、人々は与えられた資源から価値(福利、満足、幸福)を最大にしようと合理的に努める、と仮定する。こうして、19世紀および20世紀の大部分において、クジラ類は油、肉や他の製品といったクジラ製品という形で価値を提供するために、多くの国々による捕鯨の対象となった。20世紀後半になってから、捕鯨を行っていた国々の大部分は捕鯨を禁止することになり、今やそれらの生きものを観察し、研究し、鑑賞することによって社会が感じる価値―そしてホエール・ウォッチングからの財政的便益―を求めるようになった。
価値は、収益という財政的便益の形をとることもあれば、審美的便益といった実際に手にとることができない形をとることもある。こうしてクジラ類がただ存在するということも、人類にとっての価値を創出することになりうる。経済政策の目的は、たとえある対象物の審美的価値が財政的価値にまさるものとしても、社会に提供される価値の量を最大にすることである。このようにして、社会の選好によって決定された最も価値のある利用の仕方のために資源を配分すべきであることを、新古典派経済学の枠組みは明確にしているので、熱帯雨林はその財政的価値のために犠牲になるよりはむしろ、科学的審美的価値のために年々多くが保護されるようになってきているのだ。
こうして、社会が直面する選択肢を分析するための枠組みが提供されることになるのではあるが、同時にまた多くの疑問を引き起こすことになる。重要な疑問は例えば、「最大の価値とはどのように決められるのか?」、「この場合の社会とは何か?」、そして「最適な配分をどのように決めればよいか?」等である。
最大の価値をもたらす資源配分の推定は、通常市場によって行われることになる。経済理論によれば、効率的な市場は、資源を最も大きな価値を供給してくれる利用方法へと導く「見えざる手」を備えている。ここでのキーワードは、「効率的」という言葉である。非効率的な市場は、広い意味で言えば、基本的な経済学的前提のいくつかが侵害されている市場のことをいい、見えざる手は、社会にとっての価値の減少を招くような配分の仕方に資源を追いやる「見えない肘」に邪魔されていることになる(Jacobs 1991)。
例えば、クジラ類が持っている本質的価値を理由にして、クジラ類を保護しようという需要を満たすような市場はない。この需要は、人間社会の多くできわめて強く観察できるものであり、クジラ類を保護すること自体から得られる価値があることを示している。しかしながら、クジラ類の性質やそれらの保護による便益は、一般的に言って、(他の資源が所有されていることと同じ意味においては)誰によっても所有されていないということである。その結果として、クジラ類保護を積極的に提供することによって特定の個人が財政的な便益を得るとは考えにくい―それゆえ、誰もこのサービスを市場で供給するための一歩を踏み出そうとはしないのである。この意味において、自由市場においては破壊されるまで開発されてしまう可能性が高いコモンズ(共有地)と、同様な特性をクジラ類は所有しているものと見なすことができる(なぜならば、見えざる肘は保護する価値よりも捕獲をする価値の方を優先するからである)。一方、何らかの規制が行われている市場では、クジラ類は保護され、そして捕鯨よりもホエール・ウォッチングの機会を許すことになろう。自由市場では、個人個人がクジラの価値のすべてを獲得しようとすることを奨励することになり、何もしなければ全く経済的利益を得ないことになってしまう。この場合の自由市場は、おのずと捕鯨が導き出されることになる。実際、クジラのサービスに対する市場は全く効率が悪く、見えざる手によって設定されるであろういかなる制限をも越えて、捕鯨が進行する結果になってしまう。これとは対照的に、市場と政府との間の相互作用による規制が行われている市場では、幅広い選択肢の中から、社会の選好により調和するような形の結果をもたらすことが可能となる。
こうして、資源配分がもたらす結果を決定することになる、市場と政府との間の相互作用を注意深く調査する必要性が出てくる。市場は効率的に資源を配分することによって、社会に多くの価値をもたらすのであるが、不適切な利用の仕方をすれば、市場は社会によって要求される価値を台無しにしてしまう。保守的な議論がされる新古典派経済学では、見えざる手の能力を高めながら、見えざる肘による悪い影響を是正するのは政府の役割である。これまでの観察と経済理論によれば、市場の失敗(すなわち、見えざる肘の存在)の問題が広がっていくことは明らかである(※1)。多くのイデオロギー提唱者が雄弁に語るところにもかかわらず、自由市場は必ずしも効率的ではないし、効率的な市場は必ずしも自由なものではない!市場における非効率性は、自由市場の不備を効率的な方法で是正するという、政府の不変で幅広い役割を与えるものだ。
政府が市場の非効率性を是正するという、不変かつ幅広い役割をもつことは、自然保護の分野において特に当てはまるものだ。社会によって意識される多くの環境上の価値は、自由市場においては決して具現化することのない性質のものである。最も効率的であるという風評を持つ金融市場においてすら、市場をチェックし監視する政府の役割がきわめて強いものとなっている。このような政府の役割がなければ、金融市場に本来備わっている非効率性は、社会に対する便益をひどく減少させるものとなろう。このことは、自然保護市場においてより一層明確なものとなって現れ、クジラ類の科学的価値や本質的価値のような特定のサービスに対する市場は、政府の介入がなければ供給されることはなく、市場の失敗となってしまう。政府は、市場の欠陥を効率的に是正することができる場合には、価値を付加するのだ。
政府あるいは市場によって価値が付加されることは、そうすることによって創出される価値により、恩恵を被る社会やグループが存在することを意味している。これら恩恵を被る者は、本質的価値、財政的価値、審美的価値やその他の価値を供給する対象物―この場合ではクジラ類だが、自動車であったり他のものであったりすることが可能だ―からのサービスを享受していると見なされることになり、広い意味で経済学の文脈でいうところの「社会」として解釈される。図1は、対象物/サービス/価値について基本となる理論的解釈を、大まかに説明してくれる。人々は特定のサービスから得られる価値を体験するために、(金銭によって、あるいは他の取引手段を通じて)自ら進んで支払いを行う。自動車等の場合には、価値に対する需要を賄うために市場が生じるが、クジラ類の本質的価値に対する需要のような場合には、前述したように、市場生成は不可能である。こうして、社会は特定のグループを形成する個人すべての選好の合計として見なされる。クジラ類が持っている地球規模の問題としての性質、そして陸地で囲まれた国に住む人々さえもこれらの生物を高く評価する能力があることから考えれば、クジラ類から得られる価値を分析しようとする目的において、社会を形成する特定グループとは人類全体であることが明らかだ。
――――――――――
※注1 市場の失敗はしばしば外部性(externalities)として説明される。外部性とは、最初の取引によって引き起こされた「転移性の(fugitive)」影響を示しており、それは空間的・時間的に異なった場所における価値にさらなる変化を引き起こす。古典的な例としてはバラ園があげられよう。それはその所有者に便益をもたらすが、同時にまた、バラ園を作るかどうかという最初の決定にまったく参加していない通行人に対しても、転移性の影響(ここでは喜ばしい影響だが)を与えることになる。
それゆえ、クジラ類がもつ価値の経済分析では、すべての環境上の産物についてそうあるべきだが、地球全体の人口を用いて、地球規模でのクジラ類の価値を算定する必要がある。しかしながら主権国家の役割のおかげで、通常、そのような分析は政治的都合と、費用を抑えるといった実際的な理由から、関係する政治的管轄区域の範囲内で行われているだけである。社会のいかなる正確な定義もそうあるべきだが、社会の定義はそれが未来の市民を含むときには一層困難になる。
長期的にみて最適な成果とは、現在そして未来のすべての世代のために創造される価値(creation value)を市場および政府が最大化するような場合であるが、その達成のための必要性に沿った形で資源が配分されるように、市場を導く(あるいは、より正確に言えば、誤った方向に市場を導かない)ためには、将来の市民達による要求が重要な役割を果たすことを、長い間にわたって正統的な経済分析は認識してきた(Dasgupta and Heal 1979)。市場における未来の人々の不在(彼らはまだ生まれていない)によって、すべての市場はもともと、世代間にわたる資源配分に関しては非効率的であることが示されている。このことが重要なのは、現在の世代が不適切な資源配分を行うことによって、将来世代すべてにわたる厚生(welfare)を損なうことが可能なためである。この結果、特に環境資源に関しては、現在世代と将来世代の間で資源を配分するために、市民が政府を通じて明確な選択をすることが必要となってくる。市場はこの役割を補助するだけであるが、偶然による場合を除けば効率的な配分をもたらすことはない。クジラ類のような環境資源に立脚したサービスを供給する市場に関しては、世代間の公正の問題に対する対応として、将来の厚生が保護されるメカニズムとしての持続可能性に焦点が当てられてきた。そうは言ってみたものの、現在の世代が、将来すべての世代の厚生において永久的な損失を生じさせることは、いまだに比較的簡単であることが理解される。
厚生上の損失は、市場か政府のどちらかが、人々によって要求される特定のサービスを十分な量提供できなかった場合に発生する。このような失敗が起こり、自由市場(すなわち、政府によるいかなる干渉もない状況)によって矯正できなかった場合には、民主的手順を踏んで市民の要求を反映させながら、政府によって資源配分が行われる必要がある。こういった場合、政府もしくは政策への影響を求める人々は、公正かつ透明性のある分析を通じて、最適な(すなわち、幸福を最大化するような)資源配分を明らかにするために、価値の現在の組合せ、もしくは潜在的な組合せがもつ価値を算定する手段を探し求めることになる、いや探し求めるべきであろう。
この評価の過程としては、次のような段階を踏むことができる。
1. 競合関係にある資源の組合せ(すなわち、選択肢)を明確にする。
2. 資源の異なった組合せがもたらす価値を明確にする。
3. 資源の組合せに対して、それぞれの価値や価値の総計の評価を行う。
この広い考え方に沿った形で、多くの経済分析は行われることになる。分析のゴールが将来への最適な道を判断しようというものであれば、その分析は将来を考えたものとなるであろう。またこれと違うやり方では、分析は現在の資源配分を検討し、価値をもった既存の生産品を算定するものとなりうる。大部分の経済分析は、それを最終的に利用する人々の特定の要求に従った形で計画される。それゆえ、大部分の分析は、上に示された段階を踏襲しながらも、特定の状況を反映するように改変が加えられることとなる。
将来を考えたものであろうが、価値が持つ既存の値を査定するものにせよ、様々な状況は大きく分けて、次の2つのグループに入れることができる。
●厚生分析
●影響分析
厚生分析(経済学的厚生分析)は、ある選択肢により発生する厚生の大きさを測ろうとして、新古典派理論によって確立されたものである。例えば、厚生分析ではクジラ類が存在することによって創り出される本質的価値の値を算定しようという試みが行われるかも知れない。厚生はすべての経済活動の目的であると見なされ、それゆえ厚生分析は経済分析として理論的に正しい取組と見なされることになる。これに対して影響分析は、政治家達が、政府の異なった政策がどのような特定の効果を経済にもたらすのかという情報を求めたために成長してきたものである。この意味において、影響分析は市場で取引される価値について算定するに過ぎない。それゆえ、影響分析は何か特定の選択肢がもたらす経済的便益に関する部分分析でしかない。
2.2.2. 経済学的厚生分析の理論
経済学的厚生分析は、図4の中で経済学的影響分析と区別することができる。
図4. 生産物―ここではホエール・ウォッチング―の典型的な需要と供給に関する解説図
この図は、経済学において需要と供給の間の相互関係を表すために用いられる標準的な図である。均衡状態を示す点においては、市場価格はAで、購入量はDとなり、市場は一掃されている―売り手側はこれ以上供給しようとしないし、買い手側もこれ以上購入しようとはしない。(この章や本報告書全体を通じて出てくる基本的な経済学用語に精通していない人がいれば、巻末の用語解説を参照して欲しい。)
厚生分析では、生産物「ホエール・ウォッチング」についての三角形ABC部分の面積を知ることに焦点が当てられる。この三角形は、生産物ホエール・ウォッチングに対して、価格Aで量Dを購入する場合の、消費者余剰を明らかにしている。消費者余剰とは、次のようなことを意味している。すなわち、生産物ホエール・ウォッチングに関して消費者は、彼らが欲している価値に十分に見合ったものを得ようとして、需要表として知られる直線BZの下の部分においては、自ら進んで金銭による支払いをしようとする。市場価格がAであったとすれば、消費者には余剰部分ABC―消費者によって受け取られる「付加価値」と同等のものとなる―が残されることになる。もし市場価格が支払い意志額と等しい状態であったならば、消費者は取引によって何らの超過価値も得てはいない。効率的な市場では、売り手が利益を得ている一方で、消費者は市場価格として支払わなければならなかった価格に上乗せされて提供される超過価値という形で、付加価値を得ている。双方にそのような付加価値がなければ、取引に参加してもどちらの側にも便益はない。
消費者余剰として知られる三角形の下の領域も、厚生分析が算定しようとする部分であるが、この部分からは生産物ホエール・ウォッチングの消費者に対する価値の推定値が得られることになる。理論的には、ホエール・ウォッチングが提供するそれぞれのサービスに対する市場を推定することによって、分析を行うことができる。消費者が自分達の要求に応じて価値の一定部分を購入できるように、理論上それぞれのサービスについて独自の市場があるべきだ。しかしながら実際には、消費者はホエール・ウォッチングをひとつの単位として購入し、科学的な目的からレクリエーションとしての目的まで、幅広いいくつかのサービスを同時に消費することがある。その結果として、ホエール・ウォッチングにおける個々の構成要素としてのサービス/価値についての消費者余剰を算定するのではなくて、ホエール・ウォッチング全体についての消費者余剰を算定するというのが、より一般的に行われることになる。「環境」の諸現象に関連した多様な価値は、しばしば『総合経済価値』という名称の下でまとめて扱われる。これは別の言葉で言えば、純総合厚生あるいは純総合満足といった考え方に相当する。
ホエール・ウォッチングやホエール・ウォッチング産業に結びついた様々な価値については、セクション2.3に概要が述べられている。分析において、個々の価値を別々に分けて算定しないとしても、どのような価値が関連するのかを判別し総括的な議論をすることは、研究全体を通してのまとめとして役立つうえに重要である。これによって、価値を重複して計算することを防止するだけでなく、研究の枠組みを整えたり、分析結果の整合性を評価する過程でも手助けとなってくれるだろう。ある種の価値は、様々な選択肢に対して用いられる異なった評価技法によっても、より算定されやすいものであろう。
厚生を算定するには、次のような異なった技法を利用することができる。
1. 旅行費用法(Travel cost method: TCM):本報告書のセクション2.3.1.で概要が示されている。
2. 仮想評価法(Contingent valuation method: CVM):セクション4.3.2.参照
3. 費用便益分析(Cost-benefit analysis: CBA):セクション4.3.3.
4. ヘドニック・プライス(hedonic price)モデルのような他の方法。セクション4.3.4.
最初の2つの技法は、需要曲線の下の消費者余剰を推定するための枠組みを提供しており、理論的考え方にきわめて忠実である。旅行費用法(TCM)は、訪問者によって支払われる旅行費用から、ホエール・ウォッチングの需要曲線を推定しようというものである。仮想評価法では、旅行者や彼らのサービスに対する支払意志額を調べることによって、需要曲線を推定しようとする。ホエール・ウォッチング産業の場合には、訪問者達はクジラ類を見るためのツアーに参加するために集合地点まで移動してくるので、旅行費用法は特に役立つものとなるだろう。仮想評価法は、誤った利用をされた場合には、いくつかの潜在的な弱点をもつものとなるため、最も議論を呼ぶものとなってきた。米国環境保護庁においては、ノーベル賞受賞者であるKenneth ArrowとRobert Solow両氏が議長を務め、ブルーリボン専門家パネルと呼ばれるグループが検討を行ったきた。最近の報告書では、厳密な条件に合致することを条件として仮想評価法を承認している(US Federal Register 1993; US Environmental Protection Agency 1993)。ある選択肢がもたらす純益を推定するためには、費用便益分析と呼ばれる包括的な技法が実施されるのだが、その一部としてしばしば仮想評価法と旅行費用法が用いられている。
費用便益分析(CBA)は、戦後の再建に努めてきた世界銀行等の機関から発展してきた。それらの機関は、プロジェクトの異なる選択肢がもたらす、社会への純益を評価する方法を探し求めてきたのである。これらの分析方法は新古典派の考え方―本来、社会の純益を最大にしようとするもの、それゆえ、社会の純厚生や幸福を最大にするもの―に基礎をおいていた。仮想評価法だけでも時として十分な場合があり、適切な条件の下では費用便益分析に取って代わることさえありうる。しかしながら、ホエール・ウォッチング産業の影響のいくつかも、潜在的にそうであるように、多くのプロジェクトはたいへん複雑なものだ。プロジェクトによって生み出される価値のいくつかは(良いものであれ悪いものであれ)、例えば仮想評価法分析等に馴染まないものもある。そして、仮想評価法や関連した手法は費用のかかりすぎるものとなりうる。そのような場合には、仮想評価法や旅行費用法を用いなくとも、すべての費用と便益を調査し重み付けをすることのみを求めている費用便益分析は、社会的に最適な成果を判別するための、柔軟な枠組みを提供してくれるだろう。
費用便益分析により提供される柔軟な枠組みでは、―特に我々がOECD(経済協力開発機構)が勧告している取組を用いる場合には―必ずしも分析の結果として一つの数字を出す必要はない(OECD 1976)。データがひとつの単位に集約されるならばそれに越したことはないが、たいていの場合には、異なった価値についてのデータを集約して、結果として一つの数字にまとめることはできない。そのような場合には異なる選択肢が比較できるように、すべての影響(あるいは価値)を判別して、それらの順位付けを示すことで十分であると、OECDは報告している。このやり方では、上部には選択肢がすべて並べられており、左端にはすべての影響を配した表が作成されることになる。
OECDは、林業と観光の間で利害が衝突している場合について、選択可能ないくつかのプロジェクトを評価する手段として、評価表を提示している(表1参照)。この表を用いることによって、政策決定に関わる人々は、それぞれの価値に対して異なる選択肢が与える影響を比較することができた。ホエール・ウォッチングの場合にも似たような表を作成することができるだろう。
表1. 伐採対観光の選択肢について提案された評価表(OECD 1986)
OECDは非金銭的価値のそれぞれに対する相対指数を開発した。そして、選択肢を評価するために、異なった社会グループによって創り出された階級付け(ランキング)を用いることを推奨している。また、不確実性を取り扱うためには、重要な変数について感応度分析(sensitivity analysis)を用いることを勧めている。また、あるプロジェクトは、政策決定の対象となるまでの準備期間に、前進と後退を繰り返す必要があることも考慮されている。これは、ひとつのプロジェクトはいくつかの段階を経て進行し、新しい情報が入手できるようになった際には、初期段階に戻ることも必要となることを意味している。この繰り返しの過程は、入手しうる限りの新しい情報を手に入れるまで、しばらくの間続けられることになるだろう。
それぞれの価値のランキングを示すための算定技法は、分析者によって決定される。どのようにして価値が算定されるかは、それぞれの研究の状況に依存している。個々の選択肢によって生み出される価値の量的把握によって、分析者は次に選択肢を最も好ましいものから最も好ましくないものまでランク付けをすることができる。費用便益分析は、その中でそれぞれの選択肢によって創り出されるすべての影響が調べられる、大雑把な枠組みを提供してくれるものだ。これには社会的影響が含まれている。すなわち、費用便益分析は、全般的な社会厚生を算定するため、社会影響分析を構成要素として含むことができるのだ。このことは少なくとも経済学的な観点からは、理論的に正しいと言うことができる。
最後に、こういった比較的よく知られている仮想評価法、旅行費用法、費用便益分析といった枠組みに加えて、いろいろと新たな技法が最近になって出現してきていることも述べておこう。これらの技法は4.3.4.で議論されているが、いずれも、何よりも重要な目的である、社会厚生を算定するための補足的手段として見なされるべきである。
2.2.3. 経済影響分析の理論
2.2.3.1. 厚生に基礎をおく研究と影響に基礎をおく研究との間の関係
図4では、消費者余剰(三角形ABC)のもつ役割が具体的に示される。ここで消費者余剰は、消費者がホエール・ウォッチングのツアー参加のために支払いをする時に体験する、厚生上の利益を示している。ツアーは例えば、市場一掃価格(需給均衡時の価格)Aドルの費用がかかるが、消費者はAからBの間に範囲の価格ならば支払う意志があるものと考えることができる。少なくとも一人の消費者は、この体験のために他よりもずっと高い価格Bドルを自ら進んで支払うだろう。この消費者がそれよりも安い価格であるAドルを支払うことで済むという事実は、この消費者が大きな余剰分、すなわち消費者余剰を獲得することを意味している。同様のことが、市場価格よりも高い値段を払ってもよいとする他のすべての消費者について当てはまる。市場価格を自ら進んで支払う意志がない(その支払意志額がAドルよりも低い)消費者については、彼らは市場には参加しないことになり、それゆえホエール・ウォッチングのツアーのための支払いを行わないわけだ。消費者余剰の算定は、通常社会によって体験される厚生と同等のものだと解釈され、そのため分析は普通三角形ABCにのみ焦点を当てることとなる。しかしながら、三角形ACEもまたホエール・ウォッチングの提供者と消費者との間の取引によって生み出される厚生の一部分として算定される。この三角形ACEは「生産者余剰」として知られている(図5参照)。
図5. 生産者余剰は三角形ACEの面積と等しい。
生産者余剰は、生産費用(供給曲線―XYを結ぶ線―によって示される)と市場価格Aの間の相違として定義される。また、生産者余剰はACEの面積に等しいと言える。理論上では、(生産者余剰が「純粋」利益に等しい場合には、生産者にとっての)厚生上の利益を追加してくれる源泉であると言える。これは社会によって体験される厚生全体の算定値を示すためには、消費者によって体験される厚生上の利益に付け加えられるべきものである(※2)。しかしながら、純粋利益の役割は漠然としている。なぜならば経済理論によると、効率的な市場においては純粋利益はゼロにまで削られていって、なってしまうからだ。この理由によって、大部分の分析においては、生産者余剰は存在せず無視することができるものと想定することが可能だ。また、多くの環境上の価値やサービスにおいては、生産費用は実質的にゼロであり、したがって社会の厚生を算定する目的においても、生産者余剰はないという可能性が高いことから、無視してよいことになる。
※2: 純粋利益は超常利益(super-normal profit)と等しい。生産者をその産業内に維持していくために求められる利益レベルを想定した場合、それを超えた利益のことを超常利益と考える。超常利益は効率的な市場においては、競争によって無くなってしまう。また、生産者余剰は、生産者が供給レベルを維持していくために必要とするよりも多い収入分と考えられる。生産者余剰は、生産者をその産業内に維持していくために求められるレベルに対する超過分であり、したがって超常利益と等しくなる。超常利益は効率的な市場ではゼロにまで減少させられるが、「現実の」世界では効率的な市場はまれであり、生産者余剰が生まれる余地がある。そして、おそらく上向きの傾斜を持つ供給曲線が維持されることになる。
社会厚生を見るための分析の役割は、これまでに述べられてきた通りである。図5では、ホエール・ウォッチングのような特定のサービスに関して、社会の幸福度(happiness of society)を推定する際の、消費者余剰と生産者余剰のそれぞれの役割が区別されている。
地域社会はまた、四辺ACDOによって示される部分についても関心をもつことになる。この四角形部分は、ホエール・ウォッチング産業によって得られる総収入を示している。ホエール・ウォッチング産業によって得られる総収入が、社会における他のすべての市場や取引に基づいた活動によって得られる総収入に加算されたときに、我々は経済の規模を知る数値を持つことになる。ここで経済とは、市場において売買可能な財やサービスが、生産され、消費者に届けられるシステムのことを示している。経済理論の説明にも関わらず、一般大衆が消費者余剰として知られる部分ABCよりも、ACDOの部分に大きな興味を示すというのは事実である。この部分に対する人々の大きな関心の理由は、人口を食べさせ住む家を与えるという経済の役割にある。あるアメリカの探偵小説作家によれば、「俺たちゃあみんな、小切手6枚分だけ貧困から救われてるってことさ」ということになる。もしこれが世界の大部分において本当のことならば、「豊かな」経済圏に住む人々も、「貧しい」経済圏に住む人々も、彼らが信じているよりははるかに共通している部分があるわけだ。それは、経済的損失に対する恐れは、厚生上の大きな利益に対する見込みよりも強い影響力を持っていることを意味しているかも知れない。貧困に対する恐れは、政府の政策決定過程において、経済の動向こそが常に存在しており他を圧倒する要因となってしまうという傾向をつくり出す。こうして、経済学者に大きな憂いを起こさせてしまうのだが、一般の人々からも政治家からも四角形ACDOは三角形ABC―これは理論上はより重要であるのだが―よりも大きな注目を受けることになる。大部分の政治家は、ACDOの大きさを増すアイデアに対しては好意的に反応する。三角形ABCは手にとって見せることができないので、TVカメラの前で説明することが困難である。一方、図形ACDOに結びついた雇用や利益といった概念は一般大衆に売り込みやすく、特に経済がうまくいっていない時にはなおさらである。
図形ACDOの意義についてはさらに、1930年代の大恐慌とその後の状況に対する現代社会の対応を考えることによって説明できるだろう。政府は、当時の体験を二度と繰り返さないようにすると誓い、経済サイクルが悪化しそうな局面が出てきた場合には、極力これを最小化できるよう、経済管理を強化してきた。このことによって次には、経済上のデータを提供し、プロジェクトを評価するために開発された技法の数は爆発的に増加した。そして、この過程において政治家達は、ありとあらゆる場所で「プロジェクト赤字による混乱」に大きな懸念を示し、経済を強化しそうなプロジェクトの必要性を説いてまわった。その結果として、政治家、ロビイストやその他の多くの人々が、特定の活動による「経済影響」に関心を持つこととになった。これは、良い生活水準を確保するという、正当化されやすい重要な課題に直接影響するものと見なされたわけだ。
しかしながら、良い生活水準を達成しようという関心はしばしば、限られた証拠や疑わしい経済理論によって、経済に恩恵をもたらすと都合のいいように解釈されるプロジェクトにつながってしまい、行き過ぎた結果となる。また、自分達の特定のプロジェクトのために、なぜ政府が財政的にも環境上でも大衆の資源を使う必要があるのかを正当化しようとする、ロビイスト達による「一大産業」をも生み出した。これに対抗するために、様々なプロジェクトの経済実績に関する主張を、正しく分析しようという需要も生まれている。こうして、プロジェクトや特定の活動が存在することの正当性を判断するために、その経済影響を計測できるということが大変重要であると見なされるようになってきた。そういったプロジェクトや特定の活動の存在が、政府による何らかの政策決定に依存している場合には特に重要だ。
政府の政策決定に大きく依存している多くの環境問題において、こういった状況は、競合する資源利用法に対して、好ましいと思われる管理方法を正当化するための質問にすぎないのかも知れない。あるいはまた、政府の様々な関心事の中で、何らかの環境資源の相対的重要性を高めるために、経済的貢献を定量化しようとするものかも知れない。経済政策の不幸な運用法の例として、もし「何かが計測できないとすれば、それは存在しない」というものがあげられるだろう。例えば観光産業では、他の産業と比較した場合の傑出点や重要性を示そうとしばしばもがくことになる。観光産業の構成要素は個別に計測されるのではなくて、輸送や宿泊などのように他の産業の一部として計測されるからである。こうした理由で、自然環境は観光産業の多くの運営において中心となっているにもかかわらず、その経済的意義は見過ごされやすくなっている。こういった状況下では、観光や他の産業による経済影響の算定値を持つことが重要となってくる。
経済影響評価を、経済厚生評価と競合するものと見なすべきではない。二つの技法は補足的なものであり、―満足のいく成功を収めるためには、しばしば同様なデータや関連データを必要とする。経済厚生評価は(費用便益分析、旅行費用法、仮想評価法、あるいは他の技法を用いたとしても)、「経済学的に正しい」取組方法だ―そして時とともに、社会全体の選択を分析するための適切な手段として受け入れられるようになるだろう。これは1930年代の経済崩壊後に大きな成長を遂げた、マクロ経済による経営学によって経験されたことであり、いまや政府の活動における中心的な役割が想定されるようになっている。同様に、これからの数十年間に厚生分析の影響は大きくなっていくだろう。しかしながら当面の間、州や地域、国家の環境資源は消失していくことになるだろう。これは部分的には、まだ未発達の経済影響評価を用いることが原因だ。このため、自然環境の経済への貢献を評価することは、微気候に始まり森林やクジラ類に至るすべての自然資源が、世界経済のどの部分で貴重な投入となっているかを判断することになり、地球の自然遺産を保全する活動のきわめて重要な部分となる。経済厚生の研究は、環境と経済の相互作用の働きを明らかにし、自然環境を保全するための新たな理由を提供することができる。
2.2.3.2. 経済影響評価:その理論
経済影響研究によって計測しようとするものは、構成要素となる資源を組み合わせることによって生産物を生みだし、その価値が構成要素である部分部分の価値の合計を上回るようなやり方(すなわち、価値の付加)による、財政的な意味における価値創造である。この過程を通じて、経済活動は富を創り出すわけだ。経済理論は、入手可能な技術とリスクの一定レベルを考慮して、創り出される財政的富が最大となるような方法で、資源を組み合わせる必要があることを示唆している。こうして、市場経済における富の創出は、まず、人々が生産物を作り出すこと(資源を組み合わせて価値を創出/付加する)によって行われ、そして次に、それらの生産物を売り手と買い手の両者が益を得るように取り引きすることによって行われることになる。取引が強制的に行われる場合や、片方の側だけ利用されてしまい、ほとんどかまったく益を得ることのできないような状態では、彼らは通常の状況では取引に加わることを望まないようになり、こういった過程は「窃盗」と呼ばれることになる。これは経済や市場が機能すべき効率的なやり方ではない。そのようなやり方は取引の減少、投資の減少、そして富の全般的な下落につながってしまう―経済政策が意図するものとまさに正反対の状況である。
経済政策が影響研究を求めるは、どの活動が最も経済に貢献するかについての情報を得なければならないという必要性によって促されているのだ。こうした研究は、生産者と消費者との間の取引や、生産物から生じる金銭や富の流れを査定することになる。経済影響研究が陥りやすい主要な危険性は、分析の対象が明確に定義されていないことである。すなわち、「どのように経済が便益を受けているか」という質問は、具体的には何を意味しているのかということである。
多くの傍観者にとっては、重要な経済分析とは販売収入の増加や、高い雇用者数といった問題に焦点を当てたものであろう。しかしながら経済学者にとっては、経済改善の鍵は富創出の改善にある。富創出の改善は、(一定リスクの下において)投資された資本に対する収益によって算定される。国民経済統計(国連によって開発された『国民経済計算体系』に基づく。これは、すべての経済取引を記録し分類するため、大部分の国々によって採択されている。)においては、産業活動によって付加された価値を算定することが課題である。こうして、生産にかかる費用を差し引くことによって、経済学者はある産業における純利益を得ようとする。これは、投資に対する収益の概念と酷似している。これらの概念が似通っていることは偶然ではなく、両方とも新古典派経済学の考え方に由来していることから生じている。国民会計では経済全体における富の生産規模を算定しようとするし、一方、収益率はそれぞれのビジネスによって創出された富の相対的価値を算定するものだ。経済影響研究は、上で述べたすべてのデータ―雇用や販売収入から収益率まで―が推定できるような方法で、実施することが可能である。しかしながら、経済実績を算定するための鍵となる情報は、投資に対する収益の割合である。
経済影響研究では、あたかも雇用の創出や販売収入が経済実績の主要な数値であるかのように、これらについての情報を提供することがふつうである。雇用の創出は経済の中で、富の創出過程の結果として発生する。富は、新しい事業に再び投資することが可能な余剰利潤の蓄積を許すので、エンジンを提供していると言える―そしてこの新しい事業は、新しい雇用を創出し、新しい販売収入を創り出す。この反対は必ずしも真実ではない―すなわち、雇用の創出は偶然による場合をのぞいて、必ずしも富を創り出すわけではない。同様に、我々はプロジェクトから多くの販売収入を創り出すことができるが、収益率はたいへん低いものになることもある。こうしたプロジェクトでは投資されたすべての単位当たりの資本に対して、収益率の高いプロジェクトと比べた時には少ない富しか生み出さない。最大の富を創り出すための論理は、投資されたすべての単位当たりの資本が、最大の収益率を得るようにすることを求める。収益率を明らかにする経済影響研究は、経済分析の基礎原則に忠実なものとなっている。しかしながら、収益率に焦点を当てていない分析も、収益率の数値のようには経済実績を明らかに示してはくれないとしても、それなりに有用でありうる。例えばホエール・ウォッチングでは、販売収入のデータは、特に海外からの訪問客から得られている場合には、その国または地域の経済に注ぎ込まれるかなりの額の外貨があることを明らかにしてくれる―この金額は多くの場合、ホエール・ウォッチングがなければ、それほど、あるいはまったくそこには流れ込まないものだろう。
経済影響研究は、一般的に、どの分析においても大体同様の過程を通じて経済実績を算定すると言える。これまでに述べてきたように、経済影響分析は1930年代以降のプロジェクト分析を通じて発達してきたのだが、それにも関わらず経済影響研究は分野としては、例えば経済厚生分析のようには厳密に検討されていないままに留まっている。経済厚生分析の論文は、発表されるまでには厳しい審査の対象となるのに対して、経済影響分析は通常論文としては審査対象とならないことが多い。例えば、大学の経済学部で経済影響分析のみを扱うカリキュラムに出会うことはまあないだろう。また、多くの経済学者は、市場がそれ自体で発展していくものと信じているため、この課題をお門違いのものと思っているようだ。こういったところが現状であるが、それと同時に、経済学の中でも多くの分野はこの課題に対して貢献するものを持っていると言える。また、大部分の経済学者は、経済影響分析の研究を完成させるための方法を知っているだろう。しかしながら、一般的には、経済影響分析の技法が学ばれているとしたら、それは主に観光産業について学ぶ課程の、関連講義としてであろう―そこでは、観光産業の感覚を身につけるための唯一の方法が、経済影響の方法論を用いることなのだ。
出発点として、ホエール・ウォッチングの経済影響研究のために提案された構成要素が付録Aに概説してある。
2.2.3.3. 経済影響査定の専門用語
経済影響研究を実施あるいは依頼しようと考えている地域社会、ホエール・ウォッチング事業者、NGO、他の人々は、多くの新しい用語と概念に遭遇するだろう。やや詳しい用語解説が本報告書の巻末に示されている。しかしながら、いくつかの用語や概念の使い方を議論しておくことは役立つだろう。
経済影響に関して役立つ定義は、資源の経済価値とは、その資源が枯渇した場合に失われる経済活動に等しい、というものだ。この点に関しては、将来を見通すようなやり方で調べることができる。すなわち、資源が枯渇するとしたら、経済活動には将来何が起こるのだろうか?あるいは、これとは逆に過去を考慮するやり方もある。もしある日を境に資源が利用できなくなっていたとしたら、経済活動は過去においてどうなっていただろうか?
経済活動を計測することは、販売数と、人から人の手に渡った金額(貨幣を用いない交換の場合には、他の計測値となる)を調べることを意味している。販売数がわかれば、ある産業によって得られた総収入を示す値が提供されることになる。このデータは次に、その産業の規模や構造(関係者の数、販売の割合)、顧客の種類とその分布、それぞれの事業において投入される費用、労働力の大きさと供給者の役割、研究地域の内外における支出の地理的広がり、といった事項に関する数々のデータと統合される。この最後の項目は、雇用を含んだ供給者の地理学的広がりとも関連して、収入が研究地域から他の地域へと漏れている量を明らかにする。歴史的データは、関連産業における変化を追いつつ、ホエール・ウォッチング産業の成長に影響を及ぼす他の変数や、政策展開に影響を与えるような以前からの傾向を明らかにしてくれる。
ホエール・ウォッチング産業は、算定されるべき便益のうちの、ひとつの構成要素に過ぎない。時には、実施されなかったプロジェクトの機会費用を算定する必要性がある場合もあるだろう。さらに、ホエール・ウォッチングや実施されなかった産業の常数便益を突きとめることも価値があるだろう。ホエール・ウォッチング産業に加えて、経済影響研究では関連産業に結びついた経済便益も算定する必要がある。例えば、観光客はホエール・ウォッチングを行う機会があるという、その理由だけのためにホエール・ウォッチングが営業されている場所まで旅行するかも知れない。しかし、その旅行者は同時に、ホテルに宿泊するし、店で買い物をしたりレストランで支払いをするだろう。また、その地域の別のツアーにも参加するかも知れない。ホエール・ウォッチングのツアー自体の経費よりも、ホエール・ウォッチング産業によって左右され、もたらされる経費の方がはるかに多い。岬からクジラを眺めることのできるオーストラリアでは、観光客は船で出ていく必要がない。そうではあっても、観光客は地域で旅行し、食事や宿泊にお金を使うので、ホエール・ウォッチング産業に帰因する経済便益がある。中心となるホエール・ウォッチング産業や実施されなかった産業のみならず、こういった関連した観光産業に対しても、まったく同じ算定手段を応用することができる。
2.2.3.4. ホエ−ル・ウォッチング産業の産業発展と他の政策上の問題点
経済影響評価は、将来的な比較の役に立ち、政策の成果を判断する目安となる一連の基礎データを提供するのみならず、ホエール・ウォッチング産業に関するしっかりとした基礎知識と理解を提供する役に立つべきである。しかし、経済影響評価が提供するものを超えるような種類の調査も、ホエール・ウォッチング産業のために準備することができるだろう。研究会の初めの議論では、主要ドルを獲得すること、すなわち、この産業が潜在的な顧客をうまく探し出して参加を促すこと、という関心事に焦点を当てていた。その次に研究会参加者達は、ホエール・ウォッチングの周辺地域から流れ出てしまう現金の漏出量を最小限にする必要があることに着目した。これらの関心事はどちらも、他に経済活動の機会があまりないか、極めて限られている地域におけるホエール・ウォッチング事業から出されてきたものだ。研究会では、資源の持続可能性を脅かすことなく、地域社会がその経済状況を改善できるよう、こういった機会を最大限に利用できるようにすることに関心が払われた。このために、以下に列記されているようないくつかの問題点があげられた。これらの問題点は、ホエール・ウォッチング産業およびそれに直結する地域社会の経済的成功に関係している。これらの問題点を理解するためには、マーケティング、研修、環境管理、政府の普及活動、政府機関担当者の能力向上、その他関連する話題についての詳細な報告が必要となってくるだろう。
研究会参加者は、次のような問題点をあげたが、これらの検討にはさらなる検討が必要となってくる。また、このリストは現段階ではすべてを網羅しているとは言えないだろう。
・ホエール・ウォッチング産業のマーケティングを行うことは、収入の流れを最大にする効率的な手段かも知れない。考慮すべき問題は、一地方全体に恩恵を与えるマーケティング・プログラムの費用を誰が払うかだ。地域(ホエール・ウォッチング産業も含まれている)が、マーケティング努力の最適レベルを受けられるように保証するためには、政府が重要な役割を果たさなければならない。これは、マーケティング分析によって最もうまく対処されうる問題である。
・資源を増大させたり管理するためには、産業に対する規制を用いることができる―もし不適切なやり方で適用された場合には、産業を損なってしまうこともあり得るので注意が必要である。大部分の経済学者は、競争に制限を加えるような規制については神経質になるだろう―経済理論によれば、制御しようと考えても理性的な個人や企業の能力を超えてしまう問題、例えばクジラ類の保護、都市計画、社会基盤整備の計画といった、外部性や影響の問題を制限するために規制が用いられるべきであることが示唆されている。環境保全といった他の要求次第では、規制は、費用よりもはるかに大きい便益をもたらし、効率的な資源利用を促進することが期待されている。
・価値付加技術は、訪問者の親戚や友人達の参加を奨励することによって、きわめて大きな当初売上を獲得しようとするものである。続いて、繰り返し訪問する人々を増やすことを目的として努力することができる。さらに価値を付加する技術としては、地域の魅力(たいていは自然が豊かなことを意味する)を高めたり、人々が気に入るような呼び物をもっと増やしたりすることにより、訪問者の滞在日数を伸ばしたり、1日当たりの支払額を増やすことに努める。投入(インプット)側における価値の付加としては、ホテルがその地域で作られた食材をより多く使うよう奨励し、その結果漏出を防ぐようなプログラムの開発が必要となるだろう。この他の技術としては、ホエール・ウォッチング体験の追加として、訪問者により多くの解説や参加型体験を提供することが必要となるだろう。
・環境影響管理は地域の長期的成功に不可欠である。「モナリザ効果」は、長期的価値を最大のものとするためには、貴重な呼び物が保護されなければならないことを示唆している。「モナリザ効果」とはモナリザの絵画を隠喩としているのだが、たとえ小さな四辺形でも絵から切り取られれば、その絵の価値は失われてしまうことを意味している。これと同じように、忍び寄る開発計画はホエール・ウォッチングの場所の魅力―それゆえ一般の人々が訪問するために進んで払おうとする支払い意志額―を減少させてしまうだろう。
・ホエール・ウォッチング産業からの地元の便益を最大にすることで、地域の環境ひいてはクジラ類の個体群を保護しようとする、動機が与えられるべきである。鍵となるのは、地域社会全体を通じて便益が流れていくような構造に、ホエール・ウォッチング産業を仕向けていくことである。構造が重要であるということは、次のような例で示されるだろう。すなわち、ある状況(ホエール・ウォッチングではないことにしておこう)においては産業の貧弱な構造ゆえに、一部の地域住民が資源を衰退させる、あるいは少なくとも資源の状態について頓着しないような動機を与えてしまいかねない。そのような状況は、結果として社会的損害(内輪もめ等)が生じる可能性があるからではなく、生物学的資源が被害を被るために、避けられねばならないのだ。
・クジラ類を保護するための戦略は、ホエール・ウォッチング産業の発達過程と注意深く統合されなければならない。これは注意深い扱いを必要とする微妙な問題であるが、生態学的構成要素や経済的構成要素、もしくは両者の間の相互作用の管理を誤った場合には、それが生物学的システムや経済学的システムに有害な影響をもたらすことは明らかである。ありがちな例だが、地域管理が産業の発達に立ち遅れて発展し、規制措置が経済発展にあわてて追いつこうとするので緊張を生み出す結果となることがある。規制の構造、産業パターン、そしてクジラ類の必要性を分析することによって、こういった問題に関する指針が提供されなければならない。また、ホエール・ウォッチング管理をテーマとして以前に開催された研究会が、詳細なガイダンスを提供している(IFAW, Tethys & Europe Conservation 1995)。
・観光の発達はいつも良いものとは限らない。社会的影響は、インフレから資産価値の気まぐれな変化、過剰開発、犯罪増加、政治汚職、汚染、ゴミの散乱まで幅広いものとなりうる。これらの問題―時としてホエール・ウォッチング産業の急激な成長の結果であることもあるのだが―も幅広い対応戦略を必要とする。これらのすべてが必ずしもホエール・ウォッチングの結果ではないだろう―いくつかについてはどのみち生じてしまうものだろう―が、他については何らかの管理上の措置が必要となるだろう。この過程では、起こりうる問題とその解決策を判断するために、とりわけ社会影響分析が必要となるだろう。生じてくる変化の社会的意味を判断するためには、しばしば経済/社会/文化に関する地域の専門家を雇うことが必要になってくるだろう。利害衝突の内容次第であるが、その地域に住む人々が地域の社会ダイナミックスについては最も良く把握している場合が多々ある。
・最も危険な影響は、財産権の保有を変更したり収入の流れを止めてしまうような影響である。こういった影響―それは一部の人々の収入を得る能力を損なったり、全般的な繁栄改善のチャンスから特定グループが閉め出されるような結果を生んだりする―は、暴力や深刻な社会崩壊を招きかねない。便益を広く行き渡るようにし、費用を削減するための方法が開発されなければならない。また、あるグループの収入を増加させるために他のグループの収入を減少させるようなアプローチは避けられねばならない。
・もうひとつの危険の可能性は、新しい産業の導入が、既存の文化価値に対する深刻な挑戦となるような結果を招く場合である。例えば、服装の規制(ビキニ水着はダメ、長いズボンをはくこと)も文化的あるいは宗教的に慎重を要する問題として、地域によってはホエール・ウォッチングのプログラムに要求されることもあるだろう。もうひとつの例として、以前は物々交換だけの農耕システムが普及していた場所において、現金経済が導入されたことによる変化があげられる。これは異なるグループの現状を変えてしまい、不利益を被ったグループによる激しい反発の原因となる。男女のうちどちらかが何らかの便益を受け取り、それによって他の性別との間の力関係が純然と変わってしまうような場合には、男女の性別による役割が影響を受けることになる。例えばある開発は、男性の位置を高めてしまい、便益を受け取らなかった女性を無視することを助長してしまいかねない。同様に、開発によって労働者の間に分裂が生じ、以前には存在しなかった緊張感や嫉妬を生み出してしまうこともある。
経済影響分析は多様な分野であり、他の分析形態やそれ以外のものへと自然に移行していくことになり、新たなプログラムや根底に潜む病の治療法が開発されるようになる。ここで述べられている側面のいくつかは、本報告書において今後さらに議論され発展していくことになる。研究会参加者達は、今後の研究や比較のために多くの産業構造を提示している(Box 1.参照)。
Box 1. 産業構造の例
今後の研究や比較のために役立ちそうな産業構造のうち、いくつかの例を次に示す。
●アルゼンチンのChubut州政府は、収入の大部分が地域に留まるようにするため、ホエール・ウォッチング会社にいくらかの規制を課している。政府はホエール・ウォッチングのチケットが売られるたびに、課徴金を受け取るようになっている。
●日本の小笠原では、フェリーの定期便の数が限られていることと、そこまでの旅費がけっこうかかるために、訪問客は島まで旅行した時にはある意味で囚われの聴衆となる。したがって、訪問客はある程度の滞在を余儀なくされ、そのためにお金を使うことになる。
●日本の大方町(高知県)には漁協があり、ホエール・ウォッチングのツアーを営業する者は、特別会員となって当番制でツアーを営業する。会員以外はツアーを営業することができない。大方にはまた、ホエール・ウォッチング・センターがあり、人々はこのセンターで土産物を購入するので、お金を地域に留めておくための良い戦略となっている。ここ以外でも、世界中の様々なホエール・ウォッチングの経営で、この戦略が用いられている。
●ニュージーランドのカイコウラにおける「イルカとの遭遇」ツアーでは、イルカ観察ツアーの後で参加者は土産物店を通ってから解散するようになっている。このことは売店での追加販売が最大になるよう奨励していることになる。
●「海洋協会冒険旅行(Oceanic Society Expeditions: OSE)」ではペルーのアマゾン地域へ、ペルー国内の航空会社の飛行機を用いて移動する。イキトスの街で最初と最後に1泊ずつするが、大型の船に食料を持ち込み、アマゾン河を航行する間船での生活となる。当初は地域の人々との交流も試みられたが、文化があまりにも異なっているためOSEは影響が地域社会にとって破壊的であると判断した。主催者側は、自給自足の旅の方が実際に、文化的影響を最小限にし資源保護を行うためには、より良い方法であると考えている。
2.3. ホエール・ウォッチング産業の価値とサービス
ホエール・ウォッチングの経済価値を知るためには、ホエール・ウォッチング産業(対象物)と個人(主体)の認識の間の相互作用から生じる社会への影響を、思慮深く識別することが必要になってくる。ここでいう個人の認識とは、例えば自然や第三者に対して、環境上の損傷やその他の様々な形態での便益/費用が加えられていることを、個人が感知した場合が含まれている。分析におけるここでの対象物とは、基礎をなすクジラ類と呼ばれる自然現象のことではなくて、明らかにホエール・ウォッチング産業のことを意味している。この違いを注意深く理解しておかねばならないことは、ホエール・ウォッチング産業による経済便益を、クジラ類自身による経済便益と混同しないようにする必要が出てきた時点で、より明らかになるだろう。
対象物の経済価値を算定するためには、対象物によって生み出され、顧客によって受け取られる、もしくはその存在を認知される、すべてのサービス(別の言葉で言えば価値)を明らかにすることが必要となる。ここで顧客とは、対象物あるいは対象物の変化によって影響を受ける人々として定義される。これらの関係は図1に概略されており、ここでは対象物、サービス、価値、そして人間主体(顧客)が配置されている。
社会経済学的側面をテーマにした今回の研究会は、「ホエール・ウォッチング」として知られている対象物の価値を算定することに焦点を当てている。通常こういった仕事は、対象物から発生するサービス(この場合ホエール・ウォッチングになる)ではなくて、対象物(クジラ類)の価値を算定することに焦点を当てるのが普通だろう。この意味において、今回の研究会は少し変わっていると言ってもいいだろう。図3は、人間中心の経済の枠組みの中における、クジラ類、そしてホエール・ウォッチング産業、さらに人間に対してクジラ類(およびホエール・ウォッチング産業)から提供されるサービスとの間の関係を、示そうとしている。
図6は、ホエール・ウォッチングの価値を表現する様々な形態を一覧にしている。この図は、ある資源の「総合経済価値」(すなわち、対象物によって提供されるサービス)を経済学が算定する際の、伝統的な枠組みとなっている。対象物によって生み出される価値と、それぞれの価値がとる形態との間の関係を示すために、図3と図6を組み合わせて表2が作られている。この表では、ホエール・ウォッチングによって提供される価値と、それぞれの価値がとる異なった形態とが相互参照できるようになっている。表には空欄があって、それぞれ算定値によって埋められるようになっている。それらを合計することによって、最終的にはホエール・ウォッチングの総合経済価値が提供されることになる。
表2.ホエール・ウォッチング産業から得られる潜在的な経済価値のリスト
(それぞれの価値の説明には、表3を参照)
表3.それぞれの価値の説明
図6.ホエール・ウォッチング産業から得られる価値の標準的な環境経済学的類 型図
研究会では、すべての価値が考慮に入れられるようにし、また、価値を重複して算定しないようにするために、潜在的価値を注意深く識別することが必要であると、判断されている。それゆえ、研究会参加者は価値のリストアップを試みた。表2と表3に示されているこれらの価値は、代表的なものとして扱われるべきで、それらの解釈と範囲については地域ごとに異なる可能性もあることが指摘されている。
まず最初に研究会参加者は、「利用価値」と「非利用価値」とを区別するところから始めた。利用価値は、資源の実際の利用、ホエール・ウォッチングの場合では体験の結果として生じるものである。これに対して非利用価値では、利用を伴わない。この場合、便益は単に、将来における利用の潜在的可能性、将来世代による利用、あるいはまったく利用しない場合から生じる。
研究会ではさらに、他のエコツーリズムの分野についてもこれまでに行われているのと同様(Wells 1997)、利用価値を「直接」利用価値と「間接」利用価値とに分けた。直接利用価値は、ホエール・ウォッチングに個人的に参加することによって、その現場において得られる価値である。ホエール・ウォッチングの体験に直接関わる人々はすべて、直接利用による便益を得ることができる。すなわち、その中に含まれるのは、ホエール・ウォッチング参加者、船等に一緒に乗り合わせる研究者、ホエール・ウォッチング事業者、ナチュラリストでもあるガイド達である。間接利用価値は、ホエール・ウォッチング体験の結果として、その場所を離れたところで生み出される。
非利用価値に関して、研究会では4つの主要カテゴリーを識別している。
●存在価値(existence value):個人で実際に参加することがありそうかどうかに関わりなく、現在あるいは将来において、ひとつの体験としてのホエール・ウォッチングが存在し続ける、ということを知っていることから引き出される便益。
●遺産価値(bequest value):ホエール・ウォッチングが将来世代のために存在し続けることを知っていることから引き出される便益。
●選択価値(option value):将来いつかの時点で、個人的に利用することができるように、ホエール・ウォッチングが今後も存在すると知っていることから引き出される便益。
●準選択価値(quasi-option value):ホエール・ウォッチングについて知り、それに参加することを決定するのに役だつ情報から得られる便益。
表2における空欄のそれぞれは、社会の一員と定義されるすべての個人によって感じられる純価値の総計を示している。調査に直接関係する社会を定義することは、研究における課題の中のひとつである。個人の集合体が社会と呼ばれ、通常はひとつの国家に所属する人々を扱う。これらの個人のそれぞれは彼ら特有の好みを持っている。したがって、表の中に示されたそれぞれの価値に対しては、おそらく異なった反応をするだろう。
ホエール・ウォッチングに参加する個人利用者それぞれは、参加した時の状況などから、異なった価値を得ることが指摘された。経済学では、地域全体を通じて、すべての利用者が得たものと失ったものを合計し、地域における総計を評価する。価値の影響にも差違があり、それは個人による価値の違い、そして異なる利用者グループによる価値の違いに起因するものであることが認識された。厚生分析の目的は、関係する個人すべての価値を合計することによって、地域社会全体における厚生価値の総合値を推定することにある。
理論的には、表2の空欄それぞれについて、個人が得た価値を知るために、ひとりひとりについて一連の査定を行うことができる。個人によって得られた価値は次に、それぞれの空欄ごとに合計されて、社会によって経験された価値の総計が得られる。これらは(効用あるいはドルの形で)何らかの数値で示されることになる。そして、各欄の数値は行ごと、または列ごとに合計が出され、列の項目もしくは行の項目それぞれについて社会によって体験された総計値が表されることになる。例えば、地域社会はホエール・ウォッチング産業の存在価値の推定総計値を得ることができるし、ホエール・ウォッチング産業の遺産価値(heritage values)について社会が体験する総計値を得ることもできる。列ごとの値すべての合計値は、行ごとの値すべての合計値と等しい数字になる。この行(列)の合計値は、ホエール・ウォッチング産業による総合経済価値(total economic value: TEV)を示しており、この産業によって社会に付加された価値が含まれている。
しかしながら、上に述べたような取組は実際にはかなりたいへんなもので、完璧に実施されることはありそうにないと言える。通常、総合経済価値を分析しようという場合には、それぞれの構成要素の価値を推定することよりはむしろ、全体としての総合経済価値の算定に焦点をおくのが普通である。これは、ひとつひとつの空欄における価値を算定することが実際にはかなり難しいことに由来している。データの大部分は簡単に得ることができないのだ。これとは対照的に、費用便益分析(CBA)においては、それぞれのサービスに適した技法を発展させることによって、それぞれの空欄における価値を算定しようと試みることが多い。次に、任意の段階付けを行って、それぞれの価値がどの程度の貢献をしたかの推定を示すランキング表を作成することによって、これらの技法による結果が表される(OECD 1986)。この表は、対象となっている産業が、社会に対してどれだけ厚生上の貢献をしたかの概略を提供してくれるものとなる。
ある産業の存在価値について、経済学者がその推定値をしばしば見ることはないであろう―そうは言っても、自然資源の存在価値の場合と同様に、論理的には実行可能と考えられる(Grey 私信)。大部分の産業では、そのような推定値はゼロであるか、場合によってはマイナスでさえあるだろう。大きな文化的意義を持っている産業において、初めてその値がプラスとなるものと思われる。これらの価値を含むことによって、厚生分析は完全なものと言えるだろう。
一般の場合と異なっている特徴の2つ目は、存在価値や他の価値が、直接対象物そのものの価値ではなく、対象物から得られるサービスについての価値であることに帰因している。(人間は対象物から提供されるサービスに価値を見出しているのであって、それゆえ、価値は対象物ではなくてサービスに付随したものであることは明らかだ。※4)通常の場合であれば、このことは大きな問題とはならない。なぜならば、対象物とその価値は密接に結びついており、対象物を考察することとサービスを考察することに実際的な違いはないからである。自然資源の場合やそれに依存する産業の場合には、しばしば対象物には複合的なサービスが結びついている。混乱を避けるためには、少なくとも全体を構成している個々の価値要素が判断できるように、表2のような格子型リストを用いることが推奨されている。
※注4:本質的価値は、サービスとしても存在すること自体だと見なすことが出来るかも知れない。しかしながら、それは代替可能ではない―すなわち、もし対象物がなくなれば本質的価値もまたなくなってしまう。こうして、本質的価値をサービスと見なすことは、対象物なしで済ますことを意味してはいない。このことは他の価値についても当てはまるが、その程度はより低い。どの程度であるかは、代替することがどれだけ可能かどうかによって決まってくる。自然資源に関しては、代替できる可能性はゼロであることが大部分だろう。このことはクジラ類については確かに当てはまる。これらの生きものに対する代替物はないのだから。
経済学的観点から見て一般と異なる要素の3番目は、存在価値が対象物ではなくてサービスに結びついているやり方である。これは上で述べた点から自然に考えられることであり、もし我々が価値を見出しているのがサービスであれば、算定されるべきはサービスの存在価値であることになる。ここで大事な点は、例えば、ある産業による文化的サービスは、直接楽しまれているかも知れない(直接利用価値の要素となる)が、同時にまたプラスの存在価値要素や遺産価値要素も兼ね備えているかも知れないということだ。我々が考察の対象としているのが、対象物や産業が提供してくれるサービスの全体的なまとまりであって、その個々の要素をひとつひとつ検討しているのではない場合には、標準的な環境経済学的類型図は依然として当を得たものだと言える。
格子型の表を用いることによる最大の利点は、価値が見落とされることなく、すべての価値が考慮されるようにし、また、分析過程をより透明なものにしてくれる点である。これを用いることによって、仮想評価法のような大まかな技法を用いて査定された価値全体のまとまりの中に、正確にどの価値が含まれているのかを特定することを、分析者は強いられることになる。費用便益分析を用いる目的のためには、算定すべき価値を明らかにしてくれる。また、価値を識別する過程において、包括的な枠組みを課すことにより、価値を重複して算定する危険を減らしてくれる。しかしながら、これによって分析が完了してしまうわけではない。これからの章で議論される、厚生計測や経済影響評価のための方法を用いる必要がある。