§1. 序論・世界環境史

PartT. 環境科学概論〜序論〜
  ・未来の子供たちのために
  ・生命とは何か
  ・公害と自然保護

 環境とは何か
  (1) 外と内
  (2) 人間と環境、生物と環境
  (3) 生態学とエコロジー

PartU. 世界環境史

1956年5月1日 水俣病正式発見の日
1962年 レイチェル・カーソン(1907-1964)が『沈黙の春(Silent Spring)』を発表。
1970年 第1回アースディ開催
1971年 日本では環境庁誕生
      ラムサール条約が採択される。
1972年 ストックホルムにて国連人間環境会議
      ローマクラブ『成長の限界』を発表
1974年 フロンガスのオゾン層破壊説
1976年 セベソ事件(農薬工場事故によるダイオキシン汚染)
1979年 スリーマイル島原発事故
1982年 南極昭和基地オゾンホール発見
1984年 アフリカ大飢饉
  12月 インドのボパール、殺虫剤工場の事故によって住民多数の犠牲者
1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故
1987年4月 環境と開発に関する世界委員会が報告書
        『われら共有の未来(Our Common Future)』発表
1989年 雑誌『タイム』が地球環境特集
  9月24日 バルディーズ号事故
1990年 アースディ20周年記念行動大キャンペーン
1992年 リオデジャネイロ地球サミット
   「環境と開発に関する国連会議」

[1] 1972年 ストックホルムにて 国連人間環境会議
          Only One Earth 「かけがえのない地球」
                ⇒ しかし南北問題

※ローマクラブ『成長の限界』を発表
[参考] トマス・ロバート・マルサス (1766-1834)
  イギリスの経済学者で、人口過剰と食糧不足の問題を予言。

   18世紀末に『人口の原理』において、人口の等比級数的増加に対して、
  食糧は等差級数的にしか増加しないために食糧は不足すると説いた。

   この古典的なマルサス主義は、19世紀から20世紀にかけて、家族計画政策の  推進や技術進歩による食糧増産などによって克服されるかに見えた。
   しかし、最近では先進国と途上国の貧富の格差は縮まるどころか、ますます
  拡大しつつある。
 

[2]  1976年 セベソ事件(農薬工場事故によるダイオキシン汚染)
 イタリアのミラノに近いセベソで7月10日、 除草剤や枯葉剤の原料である化学薬品や殺菌剤を製造していた工場の反応器が爆発。
 異常加熱によってダイオキシンが発生、ダイオキシンの雲が付近を覆い、人々が目や背中等、体中の痛みを訴え次々に入院。22万人が影響を受けた。
※ダイオキシンは1キロの食物に1億分の1グラムを混ぜただけで、実験用のウサギの半分が死ぬ。

1984年 インドのボパール
 アメリカのユニオンカーバイドの殺虫剤工場の事故によって、イソシアン酸メチル(MIC)ガスが大量に付近に流出し、住民多数の犠牲者が出た。

[3] 1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故
 ウクライナ共和国(当時はソ連)キエフ近くのチェルノブイリ原子力発電所で4号炉が爆発、ソ連国内ばかりでなく、東欧、北欧、西欧などにも放射性物質が放出されるという大事故が発生した。
 事故を起こした4号炉は、黒鉛チャンネル炉というソ連が開発した独特の原子炉であるが、構造上、事故の危険性が高いと言われていた。事故直後、31名が死亡したが、放射能汚染の被害はその後も続き、日本でも輸入食品に対する安全性が問題となった。
 なお、事故から半年後には、4号炉を「チェルノブイリの石棺」と呼ばれるコンクリートで建物ごと密封して放射能が漏れないようにする工事が終了。約185トンの核燃料と死の灰が閉じ込められた。

[4] 1987年4月 環境と開発に関する世界委員会が報告書
           『われら共有の未来(Our Common Future)』発表

 この委員会は日本政府の提唱をきっかけとして、国連決議に基づき1984年から活動を開始した賢人会議。委員長はブルントラント・ノルウェー首相。この報告書は「持続的開発」をメインテーマとしている。

                 
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