§8. 自然観の変遷
PartT. 自然保護から環境保全へ
日本の自然保護を考えるKeywordsの変遷
1. 天然記念物 巨木・奇岩・風光明媚な場所
2. 国立公園 欧米に見習え、国威発揚
3. 生態系 ←利用による影響を考慮
4. 絶滅危惧種 「種」の保護=絶対的命題
5. 生物多様性
種と生態系(+遺伝的多様性)の概念的統一
●歴史的流れ
1. 思想 自然を愛でる、慈しむ(by知識人)
2. (自然破壊)反対運動 登山家、猟師
3. 公害反対運動との合流 → エコロジー/環境
住民運動、理論武装
4. 地球環境問題
PartU. 米国における自然観の変遷
参考:(西)ヨーロッパ
16〜17世紀に原生林破壊
[1] アメリカの自然保護思想
1836年 ラルフ・エマソン 『自然』
1854年 ヘンリー・ソロー
『森の生活』
1889年 ジョン・ミューア
1892年 「シエラ・クラブ」発足
[2] ヘッチーヘッチーダム論争
1891年 ヨセミテ国立公園設立
1904年 サンフランシスコ大地震
1908年 サンフランシスコ市
ダム申請
◆ジョン・ミューア vs ギフォード・ピンショー
[3] 「環境倫理」の確立へ
アルド・レオポルド
アメリカ生態学会会長、
「原生自然協会」設立に参加
1949年 『砂原の歳時記』
→「土地の倫理」 (Land ethics)
[4] もうひとつの「ワイズユース」運動
1980年代後半〜:
国有地の開放、『賢明な利用』を求める林業、工業、牧畜業者、土地利用者らの
連合体。超保守的な運動と評される。
原生林戦争―「雇用か環境か」
オレゴン州を舞台に
「絶滅の危機にあるNorthern Spotted Owl(フクロウの一種)を守れ」と
環境NGOが運動。
PartV. 日本人と自然
明治時代の英和辞典
Nature →→ 森羅万象、
<絶対他物> 天地山川、花鳥風月
言葉がなかった、すなわち認識していなかったとは言えない。
<もの> ×「物」モノ ― goods 財
<もののけ> という際の「もの」
<もののあわれ>
⇒自然の内面化(のちの混乱の元?)
1. 都市は自然と対立する概念か?
中国:風水思想 都市とその外側に広がる自然界とを全体性として
構成しようとする学問
西洋:都市を数学的構成によって組織 (ここにも全体性が)
日本:モンスーン地帯になって水稲耕作を行っており灌漑などで共同作業を
強いられるため必然的に集団的心性が養われてくる。
→社会や国家の人工性あるいはイデオロギー性という観念を理解しにくい
→人工という観念が理解できなければ、
その反対の自然という観念も
実は理解できない。
2. 「全体性」と連帯
キリスト教文化圏では自然と人間が分離した後、神が両者を媒介しながら
包括的な全体性を体現していた
→神が信じられなくなってくると、代わっ
て自然科学が、全体性の概念を
提供するものとして信仰の対象に
日本:思想的に重要な意味を持つ神や自然科学に相当するものが
出現しなかった
日本人における連帯: 個性を消去する形でしか共同性の構築が可能でない
(自由であることと個性的であることが同義である)
「互いに他に対して不安を抱き疑心暗鬼の状態に陥っている人々にとって唯一共有可能
なものである無力感とか悲哀感などを逆手にとって連帯の絆にするという、きわめて屈折した
心理主義的なやり方による。」
お互いの存在の卑小感を絆に他者同士が手を握り合おうとする
近世以降の日本の感情的共同性の構造
⇒自分のような弱小な存在がどのようにあがいてもこの世は爪の先程も動きは
しない、という絶望感を逆手に取る
絶対的な真理を体現する唯一の神という観念が存在しない
政治権力を凌駕あるいは相対化し得るような強力な宗教権力が存在しない
(上記の事情と関わるが)現実を越えて自立するだけの力を持った論理つまり
思想が見あたらない島国であるため、空間的に閉じられていて外部世界の影響力が微弱
皆がほぼ同一の言語を使用していて感性的な共通性がある程度すでに存在していた。
3. 「日本人に科学が出来るか」
自然の対象化に失敗?
●日本では「自然」であるということは「よいこと」
自然体、自然に生きる 「あの人はやることが自然でいい」
→西洋では良くとられない [教養がない、洗練されていない]
Nature calls me. natural child
日本人と自然―まとめ…..
・人工と自然〜曖昧
→「自然」の対象化に失敗
例)自然を壊す代わりに人工干潟?
・全体性構築の思想に欠ける
総論で自然保護賛成、
各論ではこれくらい「いいじゃないか」
・正しいことをするのはカッコ悪い
★自然と人工の区別がはっきりしないと言うことは、自然そのものと、
人工によって破壊された自然との区別がつかない