釧路会議(1993年)以降のラムサール条約の歩み
 〜特に温地のワイズユースに焦点を当てて〜~
 
1. 2つの地球サミットとラムサール条約
 
 2003年は、ラムサール条約第5回締約国会議(1993年釧路会議)を行って10年目に当たっている。会議の開催地となった釧路市では、地元自治体や環境省等が10周年記念行事を行った。
 釧路会議以降、第6(1996年、オーストラリアのブリスベン市)、第7(1999年、中米コスタリカの首都サンホセ市)、そして21世紀最初の会議が第8(2002年、スペインのバレンシア市)と合わせて4回の締約国会識が行われてきた。
 この10年はラムサール条約にとっても湿地生態系や水鳥を中心とした生物多様性といった概念にとどまらず、地球レベルでの環境問題と密接に結びついた重要な期間となった。
 釧路会議とパレンシア会議の2つの会議における最大の共通項は、それぞれが国連主催の環境と開発を考える国際会議である『地球サミット』に対して、ラムサール条約の対応を明らかにした点だ。釧路会議の前年である1992年、ブラジルのリオデジャネイロにおいて「地球サミット」が開催され、そのために生物多様性条約と気候変動枠組み条約が誕生した。この地球サミットに対応するためラムサール条約では検討チームを作り、ラムサール条約としての対応を声明文としてまとめ、釧路会議の決議1において『釧路声明』が採択された。また、この釧路会議は地球サミット以降、全世界を対象とした環境関連条約の締約国会議としては初めてのものだったため、日本国内だけでなく世界的にもメディアの注目を集めた会議となった。この地球サミットから10年後、20028月には南アフリカ共和国のヨハネスブルグにおいて「リオ+10」と銘打った第2回目の地球サミットが開催された。
 それからわずか3ヵ月後に開催されたラムサール条約バレンシア会議では、釧路会議同様に地球サミットへの対応を迫られることとなり、決議[.1として「湿地と水」に関するラムサール条約の今後の貢献を誓った決議が採択された。
 
2. 釧路会議とワイズユース
 
 次に、ラムサール条約締約国会議の内容からこの10年間の進展として重要なポイントは何かをみてみよう。それはラムサール条約のフラッグシップと呼ばれる『ワイズユース』すなわち湿地の賢明な利用概念の展開だ。
 湿地ははるか昔から人々を引きつけてきて、様々な人間活動の舞台となってきた1971年に全世界レベルの自然環境保全条約としては初めての政府間条約として誕生したラムサール条約は、そうした湿地を保全するために人間活動の排斥を試みることは不可能であり、現実的なアプローチではないとして、「ワイズユース」を考慮することを加盟国に求めることにした(条約第3条)。しかし、当然の事ながら当初は加盟国及び登録湿地の増加を図ることが関係者の活動の中心であった。
 1987年の第3回締約国会議(カナダのレジャイナ)でようやく「ワイズユースの定義が採択され、1990年の第4回締約国会議(スイスのモントルー)では『ワイズユース概念を実施するための指針(ガイドライン)』 が採択された。しかし、これらの定義や指針ではまだ具体的にワイズユースとは何かを世界各国の湿地管理関係者が判断する材料としては十分ではないとして、1993年に日本で締約国会識を開催することが決定されてから、第5回締約国会議の中心テーマはワイズユースとなることが確認されていた。
 ワイズユース研究のための特別プロジェクトチームが結成され、世界各地からワイズユース(と思われる)具体例を収集し、その企画検討が行われた。その結果、国家レベルで湿地政策を作成したカナダの例やウガンダ、ギニア=ビサウの国家としての取組、国境を越えて協力を行った地中海とドイツ、オランダ、デンマークにまたがるワッデン海、そして個別の湿地に関して12ヶ国12箇所の例、合計17例がワイズユースを知るための参考例として選ばれた。
 分析の結果として、6つの要素が湿地のワイズユースを成功するための要素として抽出された。すなわち@社会経済的要因への考慮、A地域住民の関与、B他の公共機関・民間企業との連携(パートナーシップ)、C(法体制を整えたり担当者を配備するなどの)制度上の改善、D集水域や沿岸域全体での考慮、E予防原則、といった考え方だ。もちろんこれらをすべて兼ね備えないとワイズユースにならないとか、どれかひとつでもカバーすれば即ワイズユースになるというものではなく、これらのいくつかが組合わさった場合に湿地のワイズユースがうまくいきやすい、という判断基準である。また、これらの要素以外にもワイズユースを成功させるアプローチが見つかれば順次追加してゆけばよいだろう。
 釧路会議でこういった結果が報告されていた際に、「集水域で考える!そんなことは現実問題として不可能だ!」と日本政府代表団の一人が叫んでいたのを記憶している。現在、釧路湿原で進められている自然再生事業では『集水域での取組』がキーワードのひとつになっており、この10年で日本国内での取組も大きく進展してきている。
 条約関係者の話し合いの中で出された釧路会議の意義をまとめてみると、これまでに挙げた(1)『釧路声明』、(2)ワイズユースの検討、の他にも(3)普及啓発・環境教育・研修、(4)干潟の保全、(5)湿地の管理計画策定が挙げられる。地球サミットの影響もあり、ラムサール条約釧路会議はメディアの注目を裕び、当時のIWRB代表が「メディアの力」を強調していたように、情報発信/提供にラムサール条約も積極的に取り組む必要性が確認され、その後の様々なプログラムに結びついていく。また、公式プログラムにあらかじめ予定されていた発表の中で、環境庁(当時)の日本国内の湿地に関する調査の報告、そしてNGO代表の発言共に、日本国内で湿地タイプの中でも特に干潟が危機にあることが報告された。この両者の報告を踏まえて急遽新しく東アジアの潮間帯湿地(干潟等)の保全を呼びかける文章が勧告に盛り込まれるに至った。また、ワイズユースと並んで分科会の大きなテーマのひとつだったのが、湿地を管理するための計画策定ガイドライン作りだった。これは現在日本で導入され始めている『順応的管理』を取り入れたもので、『釧路ガイドライン』と呼ばれ、オランダ政府による世界各国の湿地管理者を対象とした研修の教科書として使われた。
 
3. ブリスペン会議とサンホセ会議
 
 釧路会議でワイズユースの成功要素が確認されたわけだが、これでワイズユースを推進するための努力がとりあえず終了したというわけではなかった。釧路会議で抽出されたワイズユースの要素のいくつかはブリスベン会議(1996年)でも、さらに検討が加えられることとなる。ブリスベン会議における重要な決定としては、(1)魚類資源、(2)生態学的な特徴とその変化、(3)湿地の経済的価値、(4)地域住民参加、に関するものが挙げられる。魚類資源に注目して登録湿地(リストに挙げられる「国際的に重要な湿地」) を選定するための基準が新しく採択された。そして湿地の経済的価値と地域住民参加とは、すなわち釧路会議においてワイズユースの要素として考えられたものをさらに深めたものにほかならない。湿地の経済的価値の問題に関しては世界的な環境経済学者達の協力を得て、条約事務局から『湿地の経済評価』に関するテキストが出版された(KIWCから日本語版発行、他にも条約の公式言語である英仏スペイン語以外にも中国語版やドイツ語版等がある)。湿地管理における住民参加のあり方に関しては、さらに検討をして欲しいという要望が強く、ワイズユースに関してプロジェクトチームが作られたように、住民参加に関する国際的なプロジェクトチームが立ち上げられることがブリスベン会議で決定され、次回締約国会議でその成果が発表されることとなった。
 また、上記4つ以外にも地域的には、第5回締約国会議の主催国日本政府と第6回締約国会議の主催国オーストラリア政府とが中心的役割を果たし、東アジア〜オーストラリア地域の水鳥ネットワークが立ち上げられた。
 さらに付け加えるなら、日本国内向けに『ラムサール条約第6回締約国会議の記録』を日本政府の担当省庁である環境庁と湿地を抱える各地の自治体関係者、そしてNGO/研究者とが協力して翻訳出版することが決まった。関係者の努力によるところが大きいが、これは日本の自然保護史上画期的な作業となった。釧路会議では上記干潟の問題や千歳川放水路計画等、NGOによる政府批判もあり、それを国内の報道機関がことさらに「対立」として強調している傾向もあった。しかし、世界中から関係者が訪れている最中、日本人同士がいがみ合ってばかりいてそれに時間がとられてしまえば、日本人は国内の問題にしか興味がないのかと批判を受けてしまう。アジアの途上国における湿地保全等に官民共同で支援を行う体制が求められていた。釧路会議の後半には、政府側とNGO代表達との会話の機会も設けられ、ようやく「対立」から「協力」への足がかりが出来た。
 ラムサール条約は道具であり、それを生かすも殺すも各国の対応次第だ。釧路会議を契機に日本国内で醸成された湿地保全への動きを促進するためには、ラムサール条約が提供する様々なガイドラインや知見を使いこなすことが求められ、そのためにはまず日本語で決議や勧告を提供する作業は最初のステップとなる。自分違の勉強のためもあるとは言え、環境庁、自治体職員、NGO関係者、研究者や学生が分担し翻訳作業を進め、最後に内容について意見を交わす機会は単に翻訳作業にとどまらず、その後の国内外の湿地保全促進に貢献するものとなった。環境省が関与する様々な国際条約のうち、このような取組が行われてきたのはラムサール条約だけだ。
 1999年、戦争と環境破壊の世紀ともいわれた20世紀最後の締約国会議は中米のエコツーリズムのメッカ、コスタリカで開催された。途上国で開催される初めての締約国会議であると共に、締約国会議が首都で開催されたのも初めてのことであった。ここでは中南米から多くの先住民代表の参加者もあり、議論が紛糾し合意形成が難しいかと思われたが、何とか住民参加(より正確には、先住民と地域住民による湿地管理への参加)に関するガイドラインを採択することが出来た。ガイドライン案をプロジェクトチームで作成するに先立っては、釧路会議の際のワイズユースプロジェクトと閉じような手法がとられた。すなわち世界各国から住民参加による湿地管理の好例(もしくは失敗例)を収集し、そこからエッセンスを抽出するというものだ。世界23ヶ国からの23箇所の湿地管理と住民参加の試みが選択されて分析が行われた。住民参加による湿地保全が成功するための要素を簡単に並べると、@奨励策、A信頼関係、B柔軟性、C情報交換と関係者研修の実施、D継続性、が考えられた。
 また、サンホセ会議ではイスラエルの参加形態をめぐり、イスラエル政府とアラプ諸国との間の外交上の対立が表面化するなど、他の国際条約や国連の舞台同様、湿地の問題を話し合おうとする前で政治の問題が障害となる場合もあることが明らかになりった。
 
4. バレンシア会議
 
 コスタリカ会議に続いて2002年の第8回締約国会議(バレンシア会議)はスペイン語圏での会議となった。第1回締約国会議からバレンシア会議までに採択された決議(及び勧告)のリストを概観すると奇妙なことに気づくだろう。
 第1回締約国会議(1980年、イタリアのカリアリで開催)及び第2回締約国会議(1984年、オランダのフローニンヘンで開催)では採択されたものはすべて勧告となっていた。第3回締約国会議以降決議も採択されるようになり、釧路会議ではまだ決議よりも勧告の数が多かったが、ブリスベン会議ではその数は逆転する。そしてバレンシア会議では勧告案はなく、すべてが決議として採択されることになった。
 基本的には勧告よりも決議の方が『強い』決定と捉えられる。もともと罰則規定のないラムサール条約のような環境条約では最終的な強制力は弱く、各加盟国の努力に委ねられるところが大きい。そこでこういった取組を期待するという趣旨の勧告から始まったわけだが、締約国数も増えてくると、例えば条約運営のための各国負担金の支払い要請が勧告では具合が悪い。そこで、条約改正案を議論した1987年以降、決議と勧告とが並べられることになった。条約の構成要素である、各「締約国」、その地域代表国から構成される「常設委員会」、そして「条約事務局」の取組に関しては『決議』、これら条約の構成機関以外、例えば他の国際条約や国連に対する要請、そして特定の締約国に名指しで湿地管理上の改善を求める場合には『勧告』が用いられることになった。しかし、これもブリスベン会議で決議として採択された『戦略計画』 (決議VI.14) の中で、入れ子式に各機関の取り組むべき目標や活動がリスト化されてくると複雑化し、決議と勧告の区別が明確ではなくなってきた。また、ラムサール条約と密接な関わりを持つ生物多様性条約でこのような区分をしていないこともあり、バレンシア会議からはすべて決議として採択されることとなった。
 では次にバレンシア会議の重要な決議を見てみよう。
前述したように、第2回地球サミット(もしくは開発と環境に関するヨハネスブルグサミット)に対応する形で採択された決議1は、これからますます貴重な資源となり紛争の原因にもなりかねない淡水(特に途上国の多くの人々にとっては、飲むことの出来る清潔な水)の確保がますます重要な人類の課題となってくることに対し、ラムサール条約として、水を蓄える場所、そして浄化機能を提供してくれる場所としての湿地の確保を通じて貢献していこうとするものだ。
 決議2は、『世界ダム委員会』の報告を受けて「ダムと湿地」に関してまとめられたものだ。バレンシア会議の開催国であるスペイン政府が進めている巨大な水利用開発事業が、ラムサール条約登録湿地はじめ多くの水系に悪影響を及ぼす懸念があるとして、スペイン国内だけでなくヨーロッパ各地のNGOが集結して懸念を表明していたことが記憶に新しい。スペイン政府は苦しい答弁のあと、今後も様々な情報を提供し影響の有無についてはオープンに議論していくことを約束していた。
 ラムサール条約と他の環境条約との関係では、特に生物多様性条約との協力が常に課題となってきたが、決議[.3は「気候変動と湿地」すなわち地球温暖化と湿地の関係についてまとめられたものだ。地球が温暖化していく中で、湿地は被害者か?救世主か?が問われる。すなわち海水面が上昇したり氷河が溶けたりすることによって湿地は甚大な影響を受けてしまう恐れがあると共に、湿地は森林と共に多量の二酸化炭素の吸収源であり、気候変動を緩和する役割を果たしていると考えらる。故に気候変動の観点からも湿地保全は極めて重要になってくる。
 決議[.16は2003年1月に施行された「自然再生推進法」との関連で日本国内のNGOも度々取り上げてきたが、『湿地復元(もしくは再生)の原則とガイドライン』です。湿地復元は、釧路会議で採択された『釧路声明』の中ですでに唱われているように、特に先進国では世界の趨勢だった。ブリスベン会識の勧告6.15「湿地の復元」、サンホセ会議の決議Z.17「湿地の保全と賢明な利用のための国の計画策定のー要素としての復元」を踏まえて、今回ガイドラインが誕生した。
 ガイドラインと言えば、これまで世界各国で高い評価を得てきた「湿地の管理計画策定のためのガイドライン(釧路ガイドライン)」 がほぼ10 年間の役割を終え、新たに改訂版として新ガイドラインが採択された(決議[.14)。まことに残念なことに、日本国内の湿地、中でも登録湿地の保全を考える上で、管理計画策定のガイドラインが「釧路ガイドライン」と呼ばれていたこれまでの期間に、ガイドラインが十分に検討活用されることはなかった。欧米先進国と違い、日本人の性格なのかも知れないが、どうも将来的な目標を定め、計画を作り、実施しながら計画に変更を加えていくという作業は苦手のようで、ラムサール条約の管理計画策定ガイドラインや『戦略計画』に対する対応は遅れてしまっている。
 
パレンシア会議
ラムサール条約第8回締約国会議(バレンシア会議)について
 
1.会議の成果
 ラムサール条約は、国際協力が必要なことが最もわかりやすい水鳥と、その生息地としての湿地の保全を出発点としている。しかし条約はその後、湿地生態系構成要素全体の保全のための国際条約に発展してきた。1996年の第6回締約国会議(ブリスベン会議、オーストラリア)では魚類資源にも注目して新たな登録湿地選定基準も設定された。
 今回の締約国会議の大きなテーマは、水資源とラムサール条約の役割であった。やすなわち、21世紀には貴重な資源として絶対的な不足が生じると予測され、その確保が人類全体にとって大きな課題となりつつある『淡水』を対象とし、その確保のためにも湿地を保全するという観点から、条約をさらに発展させていこうというものだ。[決議1]
 これは南アフリカ共和国のヨハネスプルクにおいて同年8月に行われた「(持続的開発のための)地球サミット(WSSD:World Summ .ti for Sustainable Development)」で確認された課題に対し、ラムサール条約で積極的に対応していこうというものだ。
 また、「世界ダム委員会」の報告をもとに世界的な規模でダムのあり方が検討される中、これまでにダムが多くの湿地に悪影響を与えてきたことを鑑み、湿地の保全の中でダムのあり方を見直そうという点が強調された。[決議2]
 しかしながら、会議開催地スペインで大きな問題となっていたのは「国家水利用計画(NHP:Spanish National Hydrological Plan)」で、国内に100以上のダムを建設する計画が進められている。スペインのいくつかのラムサール条約登録湿地に影響を及ぼすことが会議中も内外のNGOから指摘され、スペイン政府も会議主催国として苦しい答弁が続いた。
 さらに文化的重要性から湿地を考える決議、農業と湿地の関係を考える決議などでは、いくつかの政府代表団からそのような決議案採択には反対であるとの意見が表明され、議論が長びいたり、水面下の調整が必要となった課題があった。農業と湿地に関していえば、農業利用を肯定することによって湿地破壊が促進されては元も子もないし、その意義をどのようにわかりやすく伝えるかが課題だ。また、文化的重要性に関しては、特に先住民との関係が強調され、生物がそれほど多様でなくても、伝統的に先住民が利用してきた場所を将来的に登録湿地にすることができる可能性が出てきた。逆に、生物多犠性が高い湿地を政府が保護区にしようとした場合でも、そのために先住民の生活権を奪うことを否定することにもなる。条約のワイズユースの概念を考慮すれば、本来地域住民の生活をも考慮しなければならないはずだが、間違った保護のあり方に一層の歯止めがかかることになる。
 
2. 日本との関連
 締約国会議の主催国は締約国会議開催前と開催後の期間、自動的に常設委員会のメンバーとなる。そのため日本政府は第5回締約国会議の開催国として、1990年から1993年までと、その後の1993年から1996年まで常設委員会のメンバーであった。その後、アジア地域におけるリーダーシップを期待され、再び1999年から2002年まで常設委員会のメンバーとして、インドとともにアジア地域の代表をやってきた。そのためもあってか、日本政府の会議に挑む態度は真撃なもので、条約運営上の諸問題から専門的な内容まで多くの問題に関して意見を述べる努力を行った。さらに今回の締約国会議では、引き続いて2003年から2005年までも常設委員会のメンバーに再選された.
 日本政府の発言を考慮すると、どうやら日本政府としてはラムサール条約の枠組みが拡大しすぎて各国政府が対応しきれなくなったり、条約運営上の困難が生じる可能性を懸念していると考えられる。これはある意味では正しい考え方だろう。概念ばかりが先行して、せっかく世界で唯一の個別生態系を守る仕組みが損なわれては、ラムサール条約の存在意義が薄れる危険性があることは確かだ。しかし、これを主張して条約の方向性の舵取りに貢献するためには、足元の湿地保全で条約本来の精神を世界に誇れるように促進していかねばならない。残念ながら国内の対応をみると、独立した湿地政策はないし、条約に対応するための法整備も行われていない。登録湿地の数も十分ではないし、わずかな湿地が登録される一方で、重要な湿地、広大な湿地が失われ続けている。
 独立した「国家湿地政策」については、湿地のワイズユースのためには最も重要な取組ととらえられてきたのだが、日本では総合的な「生物多様性政策」 があるからよい、湿地の問題はカバーされているという対応を繰り返している。登録湿地の指定については、釧路会議以降、3年に一度の締約国会議の度に、かろうじて1カ所ずつ指定するだけにとどまってきた。幸いにも今回は、ようやく藤前干潟と北海道宮島沼の2カ所が指定され、さらに今後一気に国内の指定湿地を倍増する意図が環境省によって表明されているが、諌早湾や沖縄県泡瀬干潟など国内の重要湿地の損失に歯止めがかかつてはいない。
 ラムサール条約事務局からはこれまでに、諌早湾の問題、そして2002年は泡瀬の問題に関して日本政府の説明を求める書簡が外交文書として送られてきている。締約国会議の準備に忙しいはずの時期にこのような書簡が送られることは異例のことと考えてよいだろうし、このような書簡を何度も送られるようでは国内の対応が懸念されていることの現れだ。
 様々な見地から国際的に重要な湿地の選定基準が提唱されてきているが、日本政府がこれまで特に量要規してきたのが、具体的な数値基準が提供されている「水鳥2万羽」もしくは「(水鳥)世界推定個体数の1%」という基準であった。これは逆説的に言えば、湿地の破壊が進行すればするほど、行き場のなくなった水鳥が残された湿地に集中し、結果として選定基準を遙かに上回る場合があることになる。諌早湾が失われ藤前に国内最大数のシギ・チドリが集中するようになったり、沖縄県で漫湖を登録湿地に指定したものの、他の重要湿地を次々に埋め立てているようでは、日本政府の対応はとても常設委員会の重要メンバーであり、米国に次いで最も資金提供をしている国としての責任を果たしているとは胸をはって言えないであろう。
 
3. 次回締約国会議の開催国
 次回はこれまでに締約国会識が開催されたことのなかったアフリカ大陸で行われることになり、東アフリカのウガンダで開催されることが決定された。
 ウガンダは1987年の締約国会議開催国カナダに次いで、ラムサール条約締約国としては2番目に、途上国加盟国としては初めて「国家湿地政策」を採択した国である。
 登録湿地はクイーン・エリザベス国立公園内にあるジョージ糊ひとつのみであるが、鉱山からの廃液・農業利用に伴う化学薬品の流入等から生態学的特徴に変化が生じているとしてモントルーレコードに記載されている。首都カンパラからは400kmくらい離れており、陸路で日帰りは難しい。会議場とエクスカーションのアレンジが思案のしどころだろうか。 [2002.12.2]

  註: ウガンダはその後追加の登録湿地を指定している。
 

ラムサール条約第8回締約国会議(COP8)において
採択された決議のリストおよび解題
 
決議1. (湿地の生態学的機能を維持するための)「水資源」の配分と管理に関するガイドライン
 今世紀において国際紛争の火種となりかねない「淡水」 資源確保とその利用が、第2回地球サミットやその後の国連会議等一連の国際行動における重要課題となってきている。ラムサール条約がこの問題、そして第2回地球サミットへの対応としてかねてより準備していた決議。ラムサール条約をメカニズムとして利用し、内陸湿地を保全することにより淡水資源の確保につながることを謳っている。また逆に、水の利用に際しても湿地の持つ他の機能にも留意しなければならない。
 
2. 『世界ダム委員会』報告及びラムサール条約との関係
 前回の締約国会議で要請された報告書を高く評価。世界各地で湿地の多面的機能を十分配慮しないダム建設が進められ、その結果湿地の破壊が進行している。尚、2番目という重要な位置づけの決議にもかかわらず、スペイン政府が国家政策として進めている計画によって、新たに100ヶ所ものダム建設が予定されており、ラムサール登録湿地にも影響が懸念されると、ヨーロッパ各地からのNGOが会議の主催国政府を追及し、会議議長であるスペイン政府環境大臣等が今後の検討課題について言明する場面があった。
 
3 気候変動と湿地: 影響、適応、影響緩和
 STRPメンバーであり、WI会長も務める世界的な湿地学者マックス・フィンレイソン博士らが中心となって作成した報告書(会議資料として配付された)は、高い評価を得た。また、2001年9月に国立環境研究所が主催し、釧路で「地球温暖化と湿地保全に関する国際ワークショップ」が開催されている。
 
4. 総合沿岸域管理に湿地の問題を組み込むための原則及びガイドライン
 治岸域関連の学会等で世界的に議論されてきたICZM(総合沿岸域管理)に対して、沿岸湿地との関連を議論したもの。

5. 国際環境条約及び他の組織とのパートナーシップと協働
 他の国際環境条約や国際機関との協働を唱えたもの。釧路会議以降ほぽ毎回、関連決議が採択されてきている。他の環境条約事務局や組織との聞で、個別に多くの「覚え書き(MoU)」が交わされている。
 
6. 湿地目録の枠組み
 登録湿地を選定する助けとなる、国別の湿地目録を作成する際の枠組みを提供するもの。
 
7. 湿地の生態学的特徴、目録、評価及びモニタリングに係るラムサール条約の手引きの不足部分と整合性
 ラムサール条約条文に登場する湿地の「生態学的特徴」とは何か、どうやって把握するのか、決議6とも関連する湿地目録作り(の促進)、影響評価や経済評価、そして湿地の状態のモニタリング、これらは重要な課題であり、これまでにも多くの決議勧告やガイドラインが提供されてきた。しかし、たくさんあるため、整理が必要との声もあり、一方でこれらの決議勧告やガイドラインを組み合わせれば、十分かと問われれば、まだカバーし切れていない課題もある、という視点からまとめられた決議。
 
8. 湿地の現状と傾向の評価と報告、及びラムサール条約3条2項の履行
 第3条1項は湿地の賢明な利用について述べているが、2項は湿地の生態学的特徴の変化について条約事務局に速やかに報告することを要請している。そのための湿地の状態の把握、過去何年かの変化の傾向を分析し、報告することを議論している。
 
9. 生物多織性条約において採択された『環境影響評価の法制度/プロセス及び戦略的環犠影響評価に生物多様性関連事項を組み込むためのガイドライン』及びそのラムサール条約との関連
 ラムサール条約と密接な関係を持つ生物多様性条約の動きに対応したもの。 アセスメントの実施は、ラムサール条約釧路会議でも湿地の「賢明な利用j の要素のーっとして取り上げられている、
 
10. 『国際的に重要な湿地(登録湿地)』のリストの戦略的枠組みと展望実施の改善
 前回締約国会議(COP7、サンホセ会議)で採択された決議7「リスト拡充のための戦略的枠組み」と付属ガイドラインで述べられている展望(ビジョン)をより活用することを要請したもの。
 尚、この決議の段落36で、本締約国会議のための国別報告書の中や会議中の発言として新たに登録湿地を増やす意思を表明した加盟国が76ヶ国に及び、すべてが指定されれば登録湿地数が451ヶ所増えることを明示している。会議において日本は11ヶ所の登録湿地を新たに指定すると言及した。一方、この決議の付属書に、これまで指定された登録湿地に関する情報を更新していない国のリストが掲載されているが、日本の名もあげられている。
 
11. 登録が不十分なタイプの湿地を国際的に重要な湿地として特定し指定するための追加手引き
 前回のラムサール条約『戦略計画』では、これまで十分に登録が進んでいるとは言えなかった珊瑚礁、マングローブ林、海草藻場、泥炭地の登録促進を要請していたが、新たに湿性草地を加えるなど各国の取組を求めたもの。
 
12. 山岳湿地の賢明な利用と保全の推進
13. 国際的に重要な湿地(ラムサール条約登録湿地)に関する情報の拡充
14.ラムサール登録湿地及びその他の湿地に係る「管理計画策定」のための新ガイドライン
 1993 年の第5 回締約国会議(釧路会議)において採択された湿地の「管理計画策定のためのガイドライン(釧路ガイドライン)」の改訂版。
15. 湿地管理を推進するための『サンホセレコード』
 生態学的特徴に変化の兆しがあり、国際的な注目、対応が求められる登録湿地のリス卜である『モントルーレコード』に対して、前回締約国会議で採択された『サンホセレコード』は湿地管理の成功例から学ぶためのリスト。成功している湿地管理の具体例を登録湿地について求めている。
 
16. 湿地再生の原則とガイドライン
 原案段階から日本国内で議論されていたほとんど唯一のCOP8決議だろうが、「自然再生推進法」 には反映されないまま、国内で湿地再生が進められてしまっているのが現状と言えよう。
 
17. 泥炭地に関する世界行動のためのガイドライン
 前回締約国会議で採択された勧告「泥炭地の賢明な利用と管理のための世界行動計画」に対応。
 
18. 侵入種と湿地
 前回締約国会議で採択された決議14「侵入種と湿地」に対応。
 
19. 湿地を効果的に管理するために、湿地の「文化的側面」を考慮するための基本原則
 会議中も先進国、途上国ともに多くの議論が出された決議。基本的には地域文化で重要視されている湿地、遺跡や考古学的資料のある湿地、宗教的な役割を果たしてきた湿地を登録湿地に指定してもよいのでは、という考え方からなる。しかしながら議論が十分ではないと登録湿地選定の基準にはならなかった。
 
20. 条約第2条5項に基づく『緊急な国家的利益』の解釈及び条約第4条2項に基づく代償措置検討のための一般的手引き
 「生態学的特徴の変化」と並ぶ、条文解釈の手引きの背景の一つにドイツの登録湿地(ミューレンバーガー湖)内でエアバス航空機製造工場を建設し、その代償措置をとろうとしている例で「緊急な国家的利益」のためだという言い訳が通用するかどうか議論が巻き起こった事件がある。
 
21. ラムサール情報シートにおける登録湿地の境界の正確な記述
 特に途上国では登録湿地について、ある程度の調査情報があっても、正確な境界や地図が準備できないことがあるため。
 
22. 「国際的に重要な湿地」を選定するための基準を講たさなくなった、あるいは元々満たしていない登録湿地に闘する事項
 これに該当する議論としては、今のところ初期に登録されたパキスタンの登録湿地の例があるのみ。
 
23. 湿地の賢明な利用を達成するための手段としての奨励措置
 前回締約国会議の決議15「賢明な利用原則の適用を促進する奨励措置」 への対応。

24. 国際環境条約の遵守促進のためのUNEP(国連環境計画)ガイドライン、及び国際環境条約履行に関する国内法を実施しその違反防止に国際協力を行うためのUNEPガイドライン
 国際環境条約(UNEP管理下にある条約が多いが、ラムサール条約は例外)の履行に関するUNEP管理下ガイドラインへの対応。

25. 2003-2008年『戦略計画』
 第6回締約国全議(ブリスベン会議)で採択された『戦略計画』の第2版。

26. 2003-2005年の3年間(次回締約国会議まで)におけるラムサール条約2003-2008年『戦略計画』の実施及び第9回締約国会議の国別報告書
 新『戦略計画』に対応させて次回国別報告書をどのように準備すればいいか。
 
27. 財政及び予算事項
28. 「科学技術検討パネル(STRP)」の運用指針
29. 湿地保全及び賢明な利用のためのラムサール小規模助成基金の評価及びラムサール信託基金の設立
 第4回締約国会議(1990年、モントルー会議)で設立された「湿地保全基金」は「小規模助成基金」と改称されたが、10年以上に渡って途上国と経済移行国の湿地保全や新たな締約国の加盟準備に貢献してきた。今回はさらに「信託基金」を設立。
 
30. 条約のさらなる実施のための地域イニシアティブ
31. 2003-2008年『広報教育普及啓発(CEPA)プログラム』
 前回締約国会議の決議「1999-2002年ラムサール条約普及啓発プログラム」を拡充、特別プログラム化。
 
32. マングローブ生態系及びその資源の保全、総合管理及び持続可能な利用
33. 一時的水系を特定し、持続可能な方法で管理し、国際的に重要な湿地として登録するための手引き
34. 農業、湿地及び水資源管理
 特にヨーロッパ諸国で関心の高かった内容。
 
34. 湿地生態系に対する自然災害、特に干ばつの影響
35. 湿地の管理及び賢明な利用のための手段としての参加型環境管理
 釧路国際ウェットランドセンターと米国カドー湖研究所、WWFとIUCNのプロジェクトチームで世界各地の事例を検討、原案を作成し、前回締約国会議で採択された決議8「湿地管理へ地域住民及び先住民の参加を確立し強化するためのガイドライン」への対応。同決議はサンホセ会識が途上国で開催された初めての締約国会議であったことから、中心的議題のひとつとなった。
 
36. アジア太平洋地域における渡り性水鳥及びその生息地の保全に関する国際協力
 日豪両国政府が指導的役割を果たし促進してきている、ブリスベンイニシアティプ(第6回締約国会議、プリスベン会議にて始動)への対応。
 
37. 水鳥個体数推定と国際的に重要な湿地の特定及び登録
 ラムサールは水鳥だけではないとは言え、国際協力の必要性を訴える原点でもある水鳥の世界的減少に関係者は危機感を募らせている。
 
39. 戦略的生態系としての高地アンデス湿地
40. 地下水利用を湿地保全と両立させるためのガイドライン
41. 中央及び西アジアにおける研修及び研究のための地域ラムサールセンターの設立
 条約誕生の地となったイラン政府はこの地域の湿地管理促進のため、研修や研究を行うための地域センター設立に意欲を示している。(注:その後設立されている)
 
42. オセアニア地域の小島瞬開発途上国
 ブリスベン会議(1996年)にオブザーバーとして参加したオセアニア地域の途上国は未だ未加盟の国が大部分である(サモアは加盟に積極的意思表示をした)。担当機関の人的資源や予算不足等多くの問題を抱えている。(例えば、バヌアツ政府の担当者はラムサールだけでなくワシントン条約や気候変動枠組み条約等、多くの国際環境条約を担当しているが、ほとんど会議に参加するだけで精一杯となってしまう)
 
43. 南米地域のための小地域戦略
44. アフリカの開発のための新たなパートナーシップ及びアフリカ地域におけるラムサール条約の実施
45. 締約国会識の運営ならびにラムサール条約決議及び勧告の有効性
 さすがにこれだけ多くの決議や頁数の多い『戦時計画』をまんべんなく対応するのは困難だ。決議を採択するだけでなく、これまでの決議勧告の有効性を検証する作業も必要だ。
 
46. スペイン政府及びスペインの人々への感謝