釧路会議

 ラムサール条約第5回締約国会議は1993年6月9日~16日の8日間にわたって、北海道の
釧路市において開催された。日本を含む締約国72ヵ国からの政府代表、非締約国23ヵ国から
のオブザーバー、国際機関・国際NGO・海外からの各国NGO合わせて37団体、日本の地方公
共団体・NGO・報道機関合わせて188団体等、総勢1217名の参加となり、ラムサール条約史
上最大規模の締約国会議となった。
前回のモントルー会議(1990年開催)の時点では、締約国の数は54であったが、釧路会議の
時点では77ヵ国となっていた。また登録湿地の数も497から610ヵ所となり、その総面積も
日本の国土面積とほぼ同じ広さになっていた。

 独立した条約事務局の設置が決定されたのは第3回締約国会議(1987年)においてであり、
当初は秘書を入れてわずか3名の体制でモントルー会議にのぞんだ。モ
ントルー会議で事局体制の強化が決定され、スイスのIUCNと英国のIWRBの中に分かれて
いた事務局体制がスイスに統合される形で釧路会議の準備が開始された。「ワイズユース」プ
ロジェクトほか様々なプロジェクトによって事務局体制は補強されていたが、釧路会議以降
はこうしたプロジェクトの継統が望めなかった。したがって、事務局及び常設委員会は釧路
会議以降に事務局体制が弱体化することを望まず、予算全体を増額することによって釧路会
議の準備で培われた経験を活かそうと考えた。

 世界的に経済状況の悪化が進行する中、懸念も表明されたが、結局釧路会議以降はそれま
での倍額の予算によって事務局業務を継続することが決定された。
また釧路会議のちょうど一年前、1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された
「地球サミット(環境と開発に関する国連会議)」、新たに採択された「生物多様性
条約」に対応する形で「釧路声明」が採択された(決議5.l)。湿地の生態学的特徴に変化がす
でに生じた、あるいは生じつつある登録湿地のリスト(モントルーレコード)の運用が検討さ
れた(決議5.4)。これは、その名の示す通り前回のモントルー会議で採択された仕組みである
が、モントルーレコードに登録湿地が記載されることにより、スペイン政府からはドニヤー
ナ国立公園の保全状況が改善される契機が与えられたという根告があり、またヨルダン政府
からはアズラク・オアシスが地球環境基金(GEF)から3億ドルの援助を獲得するために有効
であったという報告がなされた。また米国政府もエバーグレーズ国立公園がモントルーレコ
ードに記載されることに同意した。賢明な利用に関しても、プロジェクトの成果をふまえて
新たに詳細な「手引き」が作られた(決議5.6)。また、条約運用の特に科学技術的側面に対応
するための諮問委員会「科学技術レビューパネル(検討委員会)」が設置された(決議5.5)。こ
の委員会は、モントルーレコードの検討の他に、次回締約国会議までに後述する魚類の生息
地及び漁業の観点から登録湿地の候補を選ぶための基準作り、そして勧告(5.2)で求められて
いる条約第3条第2項の湿地の「生態学上の特徴」及び「生態学上の特徴の変化」の定義に
関して検討することが決定されている。また、すべてのラムサール登録湿地はそれぞれ管理
計画が策定されることが望ましいとし、そのための指針が採択されている(決議5.7)。ここで
求められている管理計面とは、大きく2つにその内容が分けられ、湿地の評価と目標(何をな
すべきか)と行動計画/処方菱(どうやるべきか)が明確にされることが必要とされる。目標設
定に当たっては、長期的管理目標とその達成に影響を及ぼす要因の分析が求められている。
また、行動計画においては、いくつかの管理計画のオプションが考察され、具体的なプロジ
ェクトの記録、管理、担当部局の明確化、業務予定、評価見直しの手順が求められている。

 また、勧告においては、ラムサール条約を各国で運用するためのNGOの果たす役割が強調
され(勧告5.6)、関連する政府機関やNGO間の調整を目的とする国内湿地委員会(または国内
ラムサール委員会)の設置が勧告されている(勧告5.7)。また、水鳥以外で湿地に依存してい
る生物に着目する一環として次回締約国会議で魚類の生息地として国際的に重要な湿地を選
定するための基準が検討されることが勧告された(勧告5.9)。

 世界の開発援助資金のわずか0.4%のみが、湿地保全のために費やきれているにすぎないと
いう発表があり、開発援助機関が湿地保全に留意し、湿地保全型のプロジェクトを増やすこ
とが求められた。

 さらに、前回会議で採択された「湿地保全基金」の運用が検討された。この基金は途上国
の湿地保全や新規加盟を促進するために創設された基金であり、拠出は先進国の自主的な寄
付に頼っている。不況の時期でもあり、基金で運用可能な総額は日本円にして年間約3千万
円弱と大きなものではなかった。主催国政府として外務省から1千万円の拠出が行われたほ
か、会議開催中の広報グッズの売上、ボランティア団体、企業からの寄付も相次ぎ、さらに
日本国内のNGOによる共同寄付、また会議後に経団連による寄付もあり、1993~94年の日本
からの基金への貢献は2千万円を上回った。

 こうした点はそれぞれ大きな成果であるが、釧路会議の果たした役割として特に忘れてな
らないのは、湿地保全及びラムサール条約の意義に関する普及啓発に多大な成果を収めたこ
とであろう。前年の地球サミットや、同じく前年に京都で開催されたワシントン条約第8回
締約国会議によって、地球環境問題が大きくクローズアップきれるようになってきていたこ
とは間違いないが、「湿地」保全の問題が日本国内はもとよりこれだけ注目を集めたことは前
例がない。釧路会議のニュースを世界に発信したメディアも、AP、Agence France Presse、
Voice of America、BBC World Service、BBC Radio News (UK)、BBC (America)、ABC
(Australia)、UPI、ロイター、ワシントン・ポスト、The Times、 Telegraph,National Geographic、
Nalureとこれまでに例を見ない数であった。こうした成果をふまえて、湿地保護区において
湿地の価値の普及啓発をはかる勧告5.8、また次回締約国会議は条約誕生25周年目と重なるた
め、「ラムサール条約25周年事業」として普及啓発活動に力を入れることが決定された(勧告
5.10)。

 釧路会議に合わせて、登録湿地の概略である「国際的に重要な湿地目録」が、登録湿地が
増加したことにより地域別の4分冊の目録として出版された。また、会議の最中に本書の中
でも述べられている「オセアニア湿地目録」と「オーストラリア湿地目録」の出版が報告さ
れた。本書のオリジナルであるマシユーズ博士による「湿地に関するラムサール条約:その
歴史と発展」の英語版も出版された。また、日本からの協力により「湿地の賢明な利用」と
題した16分のビデオが制作され、会議開会式の中で上映されたほか、条約の公用語である英
語・フランス語・スペイン語そして日本語版が作られ会議後に世界各地に配られている。ま
た、釧路会議には間に合わなかったが、世界17ヵ所の賢明な利用研究事例をまとめた「湿地
の賢明な利用に向けて」も出版されている。もちろん会議の議事録も、1993年の終わりには
会議内容の記録を載せた第1巻が出版され、翌年には分科会の内容と各国の国別報告をまと
めたものがそれぞれ第2巻、第3巻として出版されている。さらに、1994年には「ラムサー
ル条約25周年記念行事」の一環として条約に関する様々な情報をわかりやすく解説した
「ラムサール条約マニュアル」が出版されている。また、郵政省による記念切手も発行され、
会議開会式に事務局に贈呈されている。会議関連事業も、WWF日本委員会と朝日新聞の共催
による湿地写真展や児童絵画展をはじめ、数多く行われた。児童絵画展に出展された作品の
いくつかはその年のラムサール事務局のクリスマスカードのデザインとして採用され、世界
中に配布された。

 こうした映像、出版物やメデ''アによる報道によって、また日本にラムサール条約締約国
会議を誘致することによって、日本国内においてはもちろんアジア全体でも聞き慣れない「湿

地」という概念が浸透する機会を得、また湿地の保全が急務の課題であるという意識が広ま
りつつあることは、釧路会議の大きな成果である。しかし、これらを一過性のものにしない
ためにも、さらなる努力が必要とされている。これをふまえて、会議開催地の釧路市からは
釧路会識中にIWRBをはじめとする国内外の団体・政府機関と協力して「国際ウェットランド
センター」を設立し、特にアジア地域の湿地管理者のための研修の機会を提供する計画が発
表されている。

また、湿地保全の考え方や実践に先んじている欧米諸国においても、様々な環境保全の中
で「湿地保全」はこれまでどちらかと言うと地味な課題であり、専門家の数やこうした会議
に参加する政府関係者の数も限られていた。条約に加盟している途上国の数が少なかった為
もあり、国際条約の本来の意義である国際協力のための話し合いも活発とは言えなかった。
そうした背景から、ラムサール条約関係者以外からは、条約は水鳥のためだけの条約、ある
いは登録湿地の管理しか諾し合われない場と考えられていたきらいがある。しかし、釧路会
議に世界の目が集まったことにより、湿地保全が自然環境保全の中でも重要な位置を占める
ものであること、そして湿地保全のための国際協力、特に先進国と途上国との間の協力を進
める上でラムサール条約が強力な機構となり得ることを訴えることが出来た。

 日本国内の湿地保全との関連では、まず釧路会議を契機に国内で霧多布湿原、厚岸湖・別
寒辺牛湿原、谷津干潟、片野鴨池、琵琶湖の5ヵ所の湿地が新たに登録湿地に指定され、
会議開会式の中でそれぞれ関係自治体の長が登録湿地認定証を授与された。

 また、すでに登録湿地に指定されているウトナイ湖に関連して計画中の千歳川放水路計画
が環境に悪影響を及ぼす可能性があるとして、国内NGOがウトナイ湖を「モントルーレコー
ド」に掲載すべきではないかと主張し、大きな論識を巻き起こした。モントルーレコードに
登録湿地を掲載するか否かは、締約国の判断によるものであり、モントルーレコードは湿地
のブラックリストではなく、湿地保全のための具体的な行動を起こす擾先順位を決定するこ
とを目的とした参考資料であることを条約事務局があらためて確認した。これに対して日本
政府は、千歳川放水路計画はまだ計画段階であり環境影響評価も行われていないため、ウト
ナイ湖に影響があるか否か判断する段階ではないこと、日本政府が責任を持って環境影響評
価を実施しこれを公表することを約束した。また、これに対して条約事務局からも協力の申
し入れがなされた。

 この他、環境庁とNGOからの発表により、これまであまり関心を払われてこなかった沿岸
地域の湿地である干潟が日本各地で急速に消失していることが明らかにされ、その保全が急
務であることが確認された。これは釧路会議の勧告(5.1)の中で、「東アジアの渡り鳥のルー
トとの締約国が湿地、特に干潟を登録湿地として追加することを求める」ことに結びついた。

 会議7日目の「特別報告の日」のプログラムは「ジャパン・デー」と題して、日本各地の
湿地の現状が報告された。

 会議最終日には「釧路声明」を含む様々な決議・勧告が採択され、次回締約国会義は1996
年にオーストラリアで開催されることが決定され、再会が約束された。(その後、才・一ストラ
リア政府によって開催地をクイーンズランド州ブリスベーン市とし、1996年3月19日~27日
の9日間にわたって開催されることが正式に決定された。)



〔釧路会議概要〕
会議名称:   ラムサール条約第5回締約国会議
会議期間:   平成5年6月9日(水)~16日(水)
会場:      釧路市観光国際交流センター(主会場)
         釧路市生涯学習センター(第2会場)
参加国数:     95カ国 151団体  (登録:104カ国)
参加者数:                       1,217名 (内、海外参加者338名)
                              締約国    72カ国     221名
                              国際機関   7団体       7名
                              オブザーバー国 23カ国    33名
                              国際NGO    l4団体     49名
                              各国国内NGO          39名
                              海外       22団体    292名
                             国内       68団体    115名
                              地方公共団体 40団体
                              プレス              287名
                              条約事務局           56名
                              その他             118名
会議従事者:
ア.接遇等ボランティア 延べ4,446名
         *実人員   1,470名
イ.釧路市実施本部職員延べ 4,400名〔市職員〕
         *実人員    668名
ウ.地元事務局員    19名
   〔ラムサール会議準備室・国際交流課〕
   〔ラムサール条約釧路会議地域推進委員会〕


〔釧路会議の決議・勧告件名一覧〕

決議5.1 釧路声明及び条約の執行のための枠組みに関する決議
  5.2 財政及び予算に関する決議
  5.3 国際的に重要な湿地の登録簿への湿地の最初の登録手続
  5.4 生態学的特徴が既に変化しており、変化しつつあり又は変化するおそれがある
     ラムサール登録湿地の記録(「モントルーレコード」)
  5.5 科学技術レビューパネルの設立
  5.6 湿地のワイズユース
  5.7 ラムサール登録湿地とその他の湿地のための管理計画
  5.8 ラムサール湿地保全基金の将来における資金調達と運用
  5.9 国際的に重要な湿地を特定するためのラムサール基準の採択

勧告5.1 特定の締約国の領域内にあるラムサール登録湿地
 勧告5.1.1. ギリシャのラムサール登録湿地
 勧告5.1.2  クアレ、ベネズエラ
 勧告5.1.3 ドナウ河下流域
勧告5.2 条文第3条の解釈のための指針
     (「生態学的特徴」及び「生態学的特徴の変化」)
  5.3 湿地の重要な特徴及び湿地の保護区に関するゾーン分けの必要性
  5.4 ラムサール条約と、地球環境ブァシリテイー及び生物の多様性に関する条約との係わり
  5.5 多国間及び二国間の開発協力プログラムへの湿地の保全とワイズユースの組込み
  5.6 ラムサール条約における非政府組織(NGO)の役割
  5.7 国内委員会
  5.8 保護区において湿地の価値の普及啓発を促進する方法
  5.9 魚類の生息地として国際的に重要な湿地に関するラムサール指針の設定
  5.10 1996年の25周年記念湿地キヤンペーン
  5.11 スイスの新事務局
  5.12 開催国への感謝
  5.13 中南米地域におけるラムサール条約の推進と強化
  5.14 地中海地域の湿地に関する協力
  5.15 締約国の会合における使用言語


〔釧路声明〕

湿地に関するラムサール条約は、天然の資源と生息地の保全及びワイズユースに関する初め
ての近代的、地球的規模の条約である。1971年イランのラムサールにおける採択以来、当条
約は湿地に関する各政府間の協力体制の枠組みを提供してきた。

湿地はその維持する生物の多様性一ラムサール条約における湿地の定義に包括される、豊か
で多様な生息地で見いだされる特徴のある植物相や動物相一にとって重要である。条約の湿
地の定義は「天然のものであるか人工のものであるか、永続的なものであるか一時的なもの
であるかを問わず、更には水が滞っているか流れているか、淡水であるか汽水であるか鹹水
であるかを問わず、沼沢地、湿原、泥炭地又は水域をいい、低潮時における水深が6メート
ルを超えない海域を含む。」である。環境と開発に関する国連会議によるアジェンダ21(章18,
39)は全ての国々がラムサール条約に加盟することを目標とするように提言している。ラムサ
ール条約が生物多様性条約と密接な連携を保つこと及び湿地の生物多様性を保全
するためのリーダー的役割を果たし続けていくことは当然のことであろう。

さらにラムサール条約ではその発足当初から、湿地の重要性とは、その真価と多様性のため
に、特定地域の保全の必要性を超えたものであるということが認識されてきた。湿地が持続
的に維持されるということは人間の生活にとって重要である。ラムサール条約の「ワイズユ
ースの概念を実行に移すための指針」は、「堆積土砂と浸食のコントロール、洪水調整、水質
の保全と汚染の緩和、地上及び地下の水供給の保持、漁業、牧畜業、農業の擁護、人間社会
のための野外レクリエーション及び教育、気候安定への寄与」といった湿地の利点と価値を
示している。

1971年以来ラムサール条約によって達成されてきた成果、特に湿地の重要性に対する意識が
著しく高まっているにもかかわらず、世界中の多くの地域において、湿地の喪失、破壊、質
の低下、誤った利用が続いている。1992年水と環境に関する国際会議で提起されたダブリン
宣言は、(その第4節15項でラムサール条約締約国がその勧告を支持するように呼びかけてお
り、)ラムサール条約の目標は、「最も高いレベルの政府から、最も小きな自治体全体にわた
る、公約と協力を通じてのみ達成され、その公約には、速やかかつ充分な投資、啓発キャン
ペーン、法制上及び制度上の改革、技術の進歩、能力養成プログラムの裏付けが必要となる。」
と述べている。

アジェンダ21及び湿地の生物多様性の保全と賢明な利用を推進する必要性に答える形で、そ
して生物多様性条約を即時に実行するために、ラムサール条約は次の3年間で地
球環境問題の解決を希求しながらこれらの基本方針を強化していく。
次の3年間で、締約国は、以下の活動を通じて、ラムサール条約におけるそれぞれの公約を
果たして行くことを目指す。

1. 国際的に重要な湿地の保全と管理
 - ラムサール条約登録湿地の各国国内における一貫したネットワークを設立する。
 - これらの湿地の状況をモニターし、その生態学上の特徴を維持するための方法を採用する。
 - 集水域に関する配慮を加味しながら、これらの湿地を管理する方法論を確立し適用する。
 - 低質化した湿地の再生及び失われた湿地の補償をする。

2. 湿地の保全とワイズユースの推進計画の立案とその実施
 - モントルーで採用された、ラムサール条約の「ワイズユースの概念を実行に移すため
   の指針」に示されている、各国の及び各地域における湿地政策を発展させる。
 - ワイズユースの原則に従った湿地の管理をする。
 - 国内の他の政策の策定や適用をする上で、湿地の機能と価値を考慮に入れる。

3.開発援助を通しての国際協力及び多国間にわたる湿地生態系、水資源及び(移動を行う)種の管理
 - ラムサール事務局にその業務の完遂を可能にさせるという観点において、他の全地球
   的又は地域的な条約や機構、特にラムサール事務局と生物多様性条約の当
   面の事務局との活発な協力を推進する。
 -湿地の保全とワイズユースに役立たせるべく湿地に関する現在の開発援助の影響をレビューする。
 - 二国間及び多国間の基金機関からの援助を取り付ける。
 - 共通の関心事である湿地の問題に関する地域的な調整を高める。
 - 重大な生態学上又は水文学上の連携を持った湿地の国際的ネットワークを設立する。
   そのためには、首尾一貫した管理及び共有の湿地の為の共同管理プログラムの発達が要求される。

4. 条約に関する啓発及びその目標の推進
 - 湿地の機能と価値に対する理解を促進する。
 - 湿地の保全に不可欠な研究分野における適切な職員の研修の機会を増やす。
 - 地域レベル、全国レベル、地方レベルで当該条約の普及のための教育的資料及び情報資料を準備する。



☆☆☆ 

釧路会議(その1)

 1993年6月9日がやってきた。今日は皇太子の結婚の儀が行われるため、日本政府要人が出席できない。そのため、開会式自体を翌日に行い、今日はいきなり議題を始めるという、変則的な締約国会議となった。
 アメリカ政府代表としてラリー・メイソン氏に加えて、彼のボスであるリチャード・スミス氏がやって来た。演壇の中央にはスミス氏とネイビッドが座り、脇をマイク・スマート、記録係としてティム・ジョーンズ、そのサポートとしてモニカが座った。
 「ただ今より、国際的に重要な湿地に関する条約の第5回締約国会議を開催します。」
 スミス氏が宣言、さっそく事前に配布された会議書類の一番目、会議議題の検討が行われた。特に異議はなく、すんなり議題は了承された。会議規則に関しては、日本政府の財政的援助、アメリカ合衆国とスペイン政府による技術支援により、今回からスペイン語が正式に会議用語として使われることになり、その点が規則に新たにつけ加えられた。日本政府が議長を提供、アメリカ合衆国とベネズエラ政府がそれぞれ副議長を出すことになった。
 そして、会議オブザーバーの承認である。国際機関やIUCNやWWFなどの国際NGOはまったく問題ないが、各国の国内のNGOについては政府の承認がいることになっている。もっとも、これまで政府の反対により会議に参加できなかったという例はなく、形式的なものと言えるかも知れない。
 「本日配布されたリストにあるNGOは、各国政府の承認を得ている団体です。星印がつけられた団体は、昨日までに登録を済ませた団体、したがって本会議に参加している団体です。さらに今日、登録をした団体についてはこれから団体名を読み上げますので、各自でリストに星印をつけていただきたいと存じます。」
ネイビッドがブラジルや中国からのNGO名を読み上げる。日本からは雁を保護する会、知床百㎡運動推進関西支部、宮城県伊豆沼・内沼環境保全財団、そして....
「フジヤマを守る会が登録済みです。」
おいおい、ダン、それはフジマエだ、藤前干潟を守る会だよ。富士山は湿地と関係ないだろ。
 が、しかし、日本の名前の読み間違いはしょうがない。特に問題はなく、すべての団体の参加が認められた。
 「次は常設委員会の報告です。常設委員会の議長にお願いします。」会議の議長を務める佐藤教授がアナウンスする。
 アメリカ合衆国の政府代表である、スミス氏は自分のことを常設委員会の議長と自己紹介していたが、この報告はこれまで実際に常設委員会の議長を務めてきたメーソン氏によって行われた。
「.....という訳で、昨年10月にもこの釧路市で常設委員会の会合を開いたのでありますが、その時点ではこの会議場もいくつかのホテルも完成しておらず、果たして今年の6月に釧路に再び集まった際に会議が開けるのかという疑問もあったのですが、みなさんおわかりの通りすべてうまく行っているわけであります。」これはもちろん、ラリーおじさんのユーモアである。
 コーヒーブレイク(休憩)の前に、ダンが会議のために必要な書類の数々を確認の意味も含めて紹介した。
「昨日までに皆さんの巣箱の中に配布されている資料は次の通りです。
 まず、事務局の3年間の活動報告書。資料5として各締約国の担当省庁の住所録。ラムサールのニューズレター15号、これはもちろん今回の会議の特集となってます。『湿地保全基金』に関する資料。昨日の夕方行われた晩餐会の招待状も入っていたはずです。また、釧路市街の地図、今晩行われる日本政府主催の晩餐会の招待状、それからスペイン語圏からの参加者には会議前に英語とフランス語で配布された書類のスペイン語版が配布されました。
 それから、今日は締約国のリスト及び登録湿地のリスト、会議書類19番目としてラムサール条約の法的発達を分析した資料、新熱帯地域からの参加者用にそこでのラムサール関係の活動の内容、それからビデオを持ってきた参加者のためにどうやってビデオを上映するかの案内、『日本の湿地』と題した美しいパンフレットも配布予定です。また、最新版のオブザーバーリスト。
 会議の内容に関しては非公式のものとして毎日会議ニュースが発行されます。これは今日は英語版だけでしたが明日からは、会議の公用語の英語、フランス語、スペイン語とそれに日本語の4カ国語で毎日昼前に発行される予定です。
 一方、会議内容の正式の報告については毎日午前9時までに皆さんの巣箱に入れられているはずです。
 さらに、参加者の登録が一通り済み次第、会議参加者のリストも配布されます。」
 というわけで、これら約束された書類の原稿を書き、検討し、校正し、他の言語に翻訳し、印刷し、巣箱に言語ごとに分けて配布するという地獄の自転車操業が行われていることがここでほのめかされたのである。しかし、実際にどれだけ大変か理解している参加者が、まだ開会式も行われていない段階で、どれだけいただろうか。
 スペイン語の配布書類の中に技術的な翻訳ミスがあることが発見され、すべての会議書類のチェックが行われ、訂正後、昨日までにすべて配布されている。しかし、これは突貫作業で急遽行われたため、会議1日目の朝には早くも徹夜明けとなり、ホテルで仮眠をとっていたスタッフもいた。あれだけ準備に時間をかけてきた、釧路会議の始まりを見る元気も残っていなかったのだ。

 休憩の後、ネイビッド氏から事務局からの活動報告が行われた。モントルー会議後の事務局強化によって、現在では8カ国から14名が事務局運営に参加、スタッフがしゃべる母国語の数は6カ国語に及ぶと説明がなされた。6カ国語?英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、そして日本語と....あと1つはなんだろう?その時はあまり重要なことではないので、ちょっと首をかしげてみただけで終わったが、なんと最後の1つはカタロニア語であった。スペインの中であっても、バルセロナの近くの出身のモンツェの母国語はスペイン語というよりはむしろカタロニア語なのであった。わかった人がいただろうか、いないだろうなあ。
 この後、ダンはラムサールの様々な活動をスライド写真とともに説明。国際協力の推進のところでは、ナクル湖の例にも言及した。また、広報活動におけるNGOとの協力の例として、WWF日本委員会が製作したTシャツ、ネクタイとスカーフに触れた。
 ラムサールでは図書の充実も図っている、と言うダンの説明の際に映し出されたのは新しいラムサール事務局の一角の図書コーナーで何やら本のタイトルをメモしている日本人のねーちゃん2名のスライドであった。スイスでけなげにも大学の先輩の仕事を手伝っている後輩達の姿であった。なにもこんな写真を使わなくても....と思ったが、あとの祭である。映し出されたのは一瞬だったが、本会議は北海道で行われている。政府関係にもNGOにも北大関係者は少なくない。噂は噂を呼んだようだ。おかげで釧路会議の後にもスイスに行って仕事を手伝いたいという先輩愛に満ちた美しい後輩やその友人からの手紙をたくさんもらう羽目になった。
 ともあれ、ダンの次は地元を代表して鰐淵釧路市長による満を持して製作されたハイ・ビジョンによる釧路湿原の紹介ビデオとスライドによる湿原保護の歴史の紹介である。

 午後の部が始まる前に、マイクからの提案が行われた。釧路会議に参加予定だったケニア野生生物公社のリーキー博士は、会議の前に軽飛行機で事故に遭い重体に陥った。マイクと僕は2年前にもナイロビで会っているし、その後僕はワシントン条約の京都会議でも会っている。一命は取り留めたが、足を切断する必要があったらしい。マイクの提案は会議全体として、リーキー博士に御見舞い状を送ろうというものだ。もちろん、この提案に反対はなく、マイクが代表して手紙を書くことになった。
 ダンがこの日の夕方行われる各地域ごとの会議についてのアナウンスを行う。
そして、議題はそもそもの会議の目的である「条約の履行状況についての討議」に入る。マイクがこの半年間、ほとんどかかりっきりになっていた会議書類16を紹介する。これは今回の会議のための各締約国が提出した国別報告書を分析したものだ。この国別報告書は会議の半年前までの提出が決められている。しかし、実際に半年前の昨年12月までに報告書を提出した国はごく一握りの国々であった。会議2カ月前の4月の段階でも、提出した締約国は会議主催国日本を入れても38カ国に過ぎなかった。
「モントルー会議の際の締約国数は54カ国でありましたが、今会議ではブラジルを新たに加え77カ国となりました。」
したがって、報告書を提出したのは全部の締約国の半分にしか過ぎない。
「4月以降に受け取った国別報告書も、考慮の対象に含めたため、現在この分析の最新版は残念ながら英語でしか作られていません。ただ今、大至急で翻訳中ですので、2~3日以内にはフランス語版もスペイン語版も配布される予定です。」
裏方は大変である。
 こうやってダンやマイクが壇上でマイク片手に会議を進めている間にも、懸命の書類製作作業が続けられていた。最新鋭のコピー機もさすがの書類量にオーバーヒート、代わって原版を作っての印刷機の登場となった。
 まだ、登録は現在進行形だが、ゆうに千人を越える参加者がいることは確実であった。できた原稿の英語版は750部印刷することが決定された。市役所の中から3台の印刷機を運び入れて2人1組となって250部づつ印刷する。その間に、フランス語とスペイン語の翻訳チームがそれぞれの翻訳原稿を作る。必要に応じて日本語版も作られる。
 今回はすべて再生紙が使われることになったが、それでも使われる紙の量は膨大だ。できるだけ両面印刷で書類を作らねばならない。しかし、そうするとその分作業は複雑になる。
 印刷された書類は別の大部屋に運ばれる。テーブルを並べ、印刷された紙束はページ順に並べられる。人海戦術で何人もの人に手伝ってもらって、ページを揃える。大型のホチキスで留める。登録デスクへ書類を運び、英語圏というかフランス語とスペイン語圏以外からの国々(日本も含まれる)からの参加者の巣箱に書類を突っ込む。
 これらの手順を決定するのは、事務局側では書類担当のアネッタおばさんだが、言葉の問題もあって監督までは出来ない。この間を取り持つのは僕を含め3名の日本側スタッフということになった。24時間体制。したがって、基本的には8時間交代である。しかし、一方で会議の方の進行の手伝い、アジアの国々からの参加者の手伝いもしなくてはならない。
 てなわけで、会議第一日目と言っても前述したようにすでにへたばって仮眠をとっている者もいれば、まったく裏方に徹して会議場で何が行われているのか全然知らない者も出てきていた。僕は時々書類作業の様子を見に戻りつつも、会議場に出ていた。誰か呼びに来てもすぐに見つけられるように、後ろはじに位置するように心掛けていた。
 マイクが国別報告書の分析を述べている間に、WWF本部のサイモン・リスターが忙しくWWF日本委員会のスタッフと打ち合わせをしているのが良く見えていた。
 マイクが国別報告のまとめとして、各国でラムサール条約がうまく履行されるためには次のことが重要であると結論づけた。
 すなわち、まず湿地保全とラムサール条約についてより多くの人々に知ってもらう必要があり、そのためには広報活動が必要不可欠であること。そして、ラムサール条約に対応した法的枠組みが必要であること。そして最後にNGOの協力が不可欠であること。
 2番目の法的枠組みに関しては国内法の整備、またはワイズユースの指針の中にも見られる「国家湿地政策」の策定によって対応することが望ましいと考えられる。しかしながら、いまのところ何とか国家湿地政策の策定までこぎつけているのは全締約国の中でもカナダとウガンダの2カ国にすぎない。省庁間の協議に時間をかけねばならず、簡単な道のりではない。省庁間の協議を速やかに行うための方法の一つに「国内湿地委員会」の設立がある。
 湿地とラムサールの広報活動に関しては、釧路会議のための様々な広報活動がその良い例としてあげられ、そのやり方を次回以降の締約国会議でも継承していこうという考え方に基づいて勧告案が作られることになった。
 また各国で国内NGOとの協力を促進するために、特別な勧告案も作られることになった。ラムサール条約は紛れもない政府間条約であり、国内の湿地保全の中心もやはり政府であるべきだという点から、NGOの意見はあくまで参考程度、という考え方もあった。しかし、国際的に重要な湿地と言えどもその所有形態は様々で、しかも湿地に関係する様々な科学的情報の収集蓄積、そしてそれらを広報していくことは、ラムサールを担当している省庁だけでは不可能という認識からこの勧告案は積極的に支持を受けることになった。
 マイクの出番の後は、世界7地域の代表がそれぞれの地域ごとの条約履行状況について報告する。アルファベット順にアフリカ、アジアと続いた。アジアでは昨年5月にイスラマバードで行われたアジア地域会議の議長、パキスタン政府代表のジャン氏が報告を行った。
 釧路会議の直前、国別報告書と格闘しているマイク・スマートに尋ねた。
「会議1日目の地域ごとの報告だけど、これはパキスタン代表と協力して原稿を作る必要があるの?」
マイクの返事はこうだった。
「いや、地域ごとの報告はほんとに短くていいんだ。国別報告の分析から作られるレポートの中からアジアに関するのはこの点とこの点である、というふうに強調してもらえればいい。わざわざ原稿を作る必要はないよ。」
と言うわけで、これまでラムサールの締約国会議に参加したことの無いパキスタン政府のジャン氏と僕は、そのつもりでいた。しかし、いざ釧路に来て明日が初日という時になって、みんなちゃんと独自に原稿を作っていることがわかった。僕もさすがにこれから原稿作りのお手伝いをしている時間的余裕がなく、イスラマバードでの地域会議の報告を中心にし、あと必要な点だけ箇条書きにしてジャン氏に渡し、最終的に原稿を作るか否かはジャン氏に一任することになった。
 しかし、ことはすんなりとは行かなかった。ジャン氏はパキスタン政府では水戸黄門様なみに偉い職にある。会議1日目の午前中、しゃべる内容を考えてメモを作っていただいたまでは良かったが、彼の出番までに誰かにタイプしておいて欲しいという連絡が入ったらしい。らしい、と言うのは僕のところまで連絡が到達するまでの間に3~4人の人間が伝言ゲームに参加したために、詳しい点が曖昧だったからだ。僕を含めて事務局スタッフに今はそんな余裕はない、そもそもどの締約国からの政府代表も基本的に自分達の事は自分達で何とかしてもらわなければ、とても対応できるものではない。
 そうは言っても、イスラマバードでは御世話になっているし、なんせアルファベット順なのでアジア代表の出番はアフリカの次、あと数時間しかない。やむを得ず、この仕事は日本人に頼むことにした。
 しかし、日本人にとって英語の筆記体は慣れないと判読が難しい。しかも、明らかに急いで書かれたものだ。結局、釧路市内で英語講師をしているアメリカ人に文字を判読してもらい、それを英語のできる日本人が日本語のワープロを使ってタイプするという、聞いただけで不安を呼び起こしてしまうようなアレンジとなったらしい。らしい、というのは他にやることが山ほどあったので人任せにしてしまい、すべて後で聞いた話だからだ。日本語のワープロを使ったのは他に空いているワープロがなかったからだ、と思う。
 結局、ジャン氏にタイプ原稿が届いたのはぎりぎりの時間。
「これくらい、アジア湿地局の代表だったら10分でやってくれる。」と、ジャン氏は少々不満。そりゃアジア湿地局の代表はイギリス人、英語は母国語ですよ。だったら最初からそっちに頼んで欲しかったんですけど。
 ともあれ、ジャン氏は政府代表の大物。細かい事を気にしていては、仕事にならないことは百も承知。夕方の地域会合では再び上機嫌に議長を務めてくれた。そして、釧路会議後も条約事務局にアジア担当の職員を継続して置くようにという要望をとりまとめた。夕飯を食べるひまもなく突入したこの地域会合では、疲れていて気がつく余裕がなかったけれど、釧路会議が終わりさえしたら日本に戻ってこようと思っていた僕がさらに2年とちょっとスイスに残ることになったのは、ここら辺が原因だろうか。
 地域会議が終わったら、早速話し合いの内容をまとめなければならない。そして明日までに作成しなければならない書類作りだ。会議の事務局は、会議場内にある部屋を使っているが、1階は地元釧路市役所中心の事務局部隊だ。会議場設営に関する細かい計画や、会議運営に必要なサポートを提供するために24時間体制で運営されている。
 2階には条約事務局と同時通訳担当の人々の部屋、そして集中して仕事が出来るように奥の方には文書作成(英仏西の書類タイプ)と翻訳担当の人々の部屋がある。3階には日本政府代表の事務局、そして常設委員会用の小会議室と条約の事務局長、常設委員会議長、締約国会議議長の部屋があり、それぞれ簡単な打ち合わせが出来るようになっている。
 夜もふけてきたが、まだまだ仕事は山ほどある。事務局の部屋へ戻ると、条約事務局のスタッフはもちろん、今回の会議運営を手伝ってくれているIWRB、IUCN、WWFや翻訳担当らが黙々とコンピューターに向かって仕事を続けている。モウリーンが書類を手に、ファックスの機械の前で困った顔をしている。どこかへファックスが送れないのだろうか。
「そうなのよ。ケニアの野生生物公社へマイクのファックスを送ろうとしてるけど、ダメなのよ。向こう側で誰かが受話器を取るんだけど、なに言ってるかちんぷんかんぷんで。」
マイクのファックスというのは、事故にあって入院中のリーキー博士への見舞い状のことらしい。しゃべっていることがちんぷんかんぷんて、ひょっとしてスワヒリ語か?
「もう一度、やってみてくれる?」
送る手紙をファックスの機械に差し込んで、モウリーンがメモを見ながら相手先のファックス番号を押す。呼出音がしばらく鳴ると、受話器を取る音とともに相手側がしゃべりだした。案の定、スワヒリ語だ。
「こちらは、×××家です。だんな様はお留守です。」
「え、野生動物局へファックスを送りたいんだけど、そちらは違いますか?」
「まったく、違います。番号違いでしょう。」
「そうですか。どうもすみませんでした。アサンテ(ありがとう)。」
「クワヘリ(さようなら)」
「クワヘリ」
こちらも受話器を置き、間違い番号だったことを告げると、その部屋で仕事をしていた連中はみんな僕のスワヒリ語の会話を聞いていたらしく、WWFスタッフが「ブラボー、さとし、よくやった。」と叫んで、モウリーンはじめみんなが拍手。こんなことくらいで盛り上がるのは、みんな焼けくそになって仕事をしているに違いない。マイクがあわてたのか、モウリーンに間違ったファックス番号を手渡してしまったようだ。