小林聡史
 [ラムサール条約初代アジア地域
       担当官:1991-1996]
トム・カビイ (Thomas Kabii)
 [ラムサール条約初代アフリカ地域担当官:
       1994-1997]


      スイスのグランにあるトム・カビイ氏宅にて⇒
      長女サッシャ(Sarsha/Njuguine)の1歳の
       誕生日を祝う

二人は同僚であり、互いの仕事の困難さを理解し合う
友人でもありました。1996年のラムサール条約COP6
(ブリスベン会議)では部屋を分け合い、毎日一緒に
仕事をしました。

私のアフリカ時代、ケニアの有名なマサイ=マラ国立保護区
に行く道路は何度も車を運転していったものでした。確かにアフリカの道路は危険です。
マラリア等の熱帯病よりも交通事故のほうがずっと危険だと、日本人アフリカ研究者は
よく言い合ったものです。誰もが一度くらいは危ない目に遭ってます。

長女のサッシャ(父親の出身地キクユ名はジュグイネ)、長男デビッドの二人は学校に、
次女のエマは未亡人のキャロラインさんと家にいます。
 三人がきちんと学校を卒業できる日が来るまで出来る限りの支援をしてあげたいと思っています。


>>>>>>>>>>>>>>[WWF東アフリカの機関誌の記事より]>>>>>>>>>>>>>>>>>>
WWF(世界自然保護基金)東アフリカ事務所自然保護部長、トム・カビイ博士の死去

2004年11月28日、WWFの方針を議論するワークショップに出席するためにマサイ=マラ国立保護区に向かう途中、彼は交通事故のために亡くなった。

その前に彼はWWF東アフリカ事務所の職員を指揮し、企業幹部との協働のために様々な会合を行ってきた。紅茶栽培で有名なケリチョーやマウ森林においては、そういった会合の議長も行ったほか、実際に企業のクラブメンバーをプロジェクトが行われている場所に案内したり、植樹も一緒に行った。

故トム・カビイ氏はオーストラリアのエディス・コーワン大学で博士号(PhD)を取得後、2003年の3月にWWFに自然保護部長として加わった。その前には、1994年から1997年までラムサール条約事務局にアフリカ地域コーディネーターとして勤務した。

トムはケニアで公務員として業務に就き、ケニア林学研究所そしてケニア野生生物公社で働いてきた。WWF東アフリカ事務所に加わってから彼は、ユーモアと人間関係の重要性を大切にしつつ、いつもプロとしての意識を持ち続け、それを仕事で証明していた。とても友好的であり、組織のために最大限の努力を惜しまなかった。彼は自身の原則、アイデア、そして献身の力を通じて、人々を刺激し続けた、まさにリーダーであった。

彼は、自らが持つ展望を実行に移すための明確な見通しと戦略的な精神を持っていた。彼を信頼できる人物であり、プロであり、ユーモアを持ち、方策に長けたリーダーと見なしてきたWWF東アフリカ事務所の職員は彼の死を心から悼んでいる。彼の遺体は2004年12月7日、故郷ケニアのムランガ市サバサバにおいて埋葬された。オーストラリア人の奥さんとの間には3名の子どもを残している。トム・カビイ氏のご冥福をお祈りする。