アフリカの野生動物事情

            野生生物情報センター『ワイルドライフ・レポート』No.6(1987)を基に一部改変(禁転載)

 僕は過去3回にわたり,合計2年3ケ月の間,ケニアを中心にタンザニア・ザンビア等のアフリカ諸国において,自然保護と野生動物保護の実情を調べる機会に恵まれた。アフリカと一口に言っても国によって様々な事情があり簡単に総括することは出来ないが,東アフリカを中心としたいくつかの国々の現状を報告したい。北海道において野生動物保護の今後を考える多くの方々にとって,少しでも参考になれば幸いである。

1.
 アフリカといっても実に広く,その中の国々は政治的にも宗教的にも多くの点で異なっている。まず,古くからヨーロッパとの交流をもち,アラブ文化圏であるサハラ砂漠以北の北アフリカと,それ以外のいわゆるブラック・アフリカとを分けて考えた方が良いだろう。そして多くの場合,アフリカと言ったら,サハラ砂漠以南のブラック・アフリカを意味することが多い。
 アフリカの野生動物保護を考える前に,忘れてならないことが2点ある。一つ目は,ほとんどの国が独立してまだ間もない若い国である点である。そしてこれらの国々は20〜30年前の独立以前には,イギリスやフランスをほじめとするヨーロッパ列強によって植民地として支配されていたのである。
 もう一点,一般的に言って人々の生活はひじょうに厳しいということである。政治的に不安定な国も多く,内戦等で多くの人々が傷つき死んでいる。また,飢餓募金で知られるように,周期的に襲いかかる干ばつ等自然条件も厳しい。もちろん,同じアフリカ人でも大都会でベンツを乗り廻す富裕階級もいる。
 この2点に関連して,野生動物保護についても理解すべき点が出てくる。まず,種々の自然保護制度・野生動物保護制度の基本は,植民地時代にヨーロッパの国々によって築きあげられたものだということだ。したがって,日本と同じくアフリカ諸国においても,欧米の自然保護思想・野生動物管理学がモデルとされている。イギリスは自国内よりも先に,植民地であるケニアにおいて国立公園を設立している。また,アフリカには公園面積が2万平方キロ(四国よりも広い)といった国立公園や,なかには5万平方キロといった保護区がいくつか存在する。西欧諸国にとっての理想的な自然保護の実践の場をアフリカは提供してきており,中にはどちらかと言うと強引に押しつけられた制度もある。
 もう一つは,平和や十分な食糧といった人々の生活に基本的なことがらが守られないところでは,野生動物保護の説得力は薄れてしまうということだ。家族が飢えている時に,人々に野生動物保護の理念を理解してもらうことは難しい(決して不可能ではないかも知れないが)。
 アフリカを訪れる機会を得て,ツアーで有名な国立公園や保護区を訪れライオソやゾウの群れに感銘を受けた日本人にとって,アフリカの野生動物保護は実にうまくいっており,むしろうらやましいとさえ思えるかも知れない。しかし,知れば知るほど様々な問題が生じて来ていることがわかり,まだ混乱状態にあると言った方が良い位なのである。

2.
 アフリカの多くの国々は貧しく,人口の急激な増加が問題となっており,多かれ少なかれ人間と野生動物の衝突という事態をかかえている。
 二つの例を紹介しよう。アフリカでも最高の人口密度をもつルワンダでは1970年代に,アフリカゾウと人間の共存は不可能という結論が出され,政府によって国内各地から残る130頭ばかりのゾウを移動させ,一ケ所の国立公園内に集めてしまった。これは野生動物が人間に席を譲ってしまった例である。
 観光産業が最も成功している国であるケニアでは・野生動物保護のために1977年,すべての狩猟が禁止され,翌78年には象牙や毛皮等の野生動物製品の取引が禁止された。これによって多くのプロ=ハンター・毛皮業者・剥製業者やディーラー・小売店経営者等が職を失った。
 この直後・ケニアは世界銀行の援助を得て・強力な密猟取締部隊を組織した。しかし,83−84年の干ばつ(特に北部乾燥地帯)と北部に隣接するソマリア・エチオピア・スーダン・ウガンダの政治的不安定の影響で,武装難民の流入という問題が現在もある。内戦の続くこれらの国々でほ単に密猟にとどまらず・兵士達による射撃訓練の標的にされたりして,野生動物が壊滅的な打撃をこうむった地
域がある。ウガンダでは,現在ようやく国立公園や保養区のリハビリテーションが進行している。しかし,その野生動物の現状は知られていない。
 もう一つ,人間と野生動物の対立の例をあげよう。タンザニアのセレンゲティ国立公園は世界的にも有名である。そしてそれに隣接するゴロンゴロ・クレーターはかつて,セレンゲティ国立公園の一部であった。しかし,昔からクレーターを牛の水場として利用していたマサイ族の生活に配慮して,1959年に国立公園からはずして自然保護区として独立させ放牧も一部許可した。しかし,その後の調査では,本来遊牧民であるマサイの人々を強制定住させようとした試み等も重なり,依然としてマサイの人々に負担をかけていることが指摘された。一部の人穎学者からは,自然を保護するためにマサイの人々の文化を破壊したとして強く批難されている。

             [写真1]リカオンの群れ。現在では東アフリカで激減しており,                  めったに見られなくなっている。
             [写真2]ブチハイエナの親子。
                  ケニアのマサイマラ国立保護区で。


3.
 戦乱のみならず国家の経済的悪化も,野生動物の脅威となる。タンザニア,そしてその南のザンビアでも経済的状態の悪さが,特に密猟に拍車をかけている。ザンビアでは19ある国立公園(そのうちの一つ,カフェ国立公園は前述した四国よりも広い国立公園の一つである)の密猟を監視するレンジャーの数は約80名で,移動のための四輪駆動車は動くのが10台前後という状態である。特にクロサイの最後の砦の一つと言われるルワングワ狭谷における密猟が問題視されている。また,南部では国境のザンベジ川を越えて,隣りのジンバブェに密猟に行く者が跡を断たない。彼らの主目的はサイの角である。香港の闇市場では1s300万円することもあり,厳しい保護をしなければ絶滅してしまう恐れもある。アフリカ全土に残ったクロサイは,4,000〜6,000頭と言われる。
 この越境も辞さない密猟者は近代的兵器で武装しており,尋問しようとする前に射ってくる場合もある。そこでジンバブェ政府は「(密猟者は)見つけ次第,射殺せよ」という強行策を採用し,これまでに20名近くもの密猟者が殺されている。
 この一方で,ジンバブェは野生動物保護の資金を稔出するために,狩猟免許のオークションを行っている。ビッグ=ゲーム=ハンティングの好きな白人狩猟家が集まり,免許を競り合うのである。一番高い値を掲げた者には,ゾウやライオソも含めた,一番多くの野生動物を射つことの出来る免許が与えられる。昨年の最高値は,2週間の期間でゾウ・ライオン・ヒョウ・カバ・バッファローを含む
野生動物の狩猟許可に対して,200万円以上の値がつけられた。その他の免許を入れると,政府に,4,000万円以上が支払われた。

4.
 アパルトへイトで悪名高い南アフリカは,東アフリカと共に初期に白人が侵入していった地域である。特に南アとその周辺では,北米のバッファロー狩りに匹敵する大量の動物虐殺が行われ,たちまちのうちに野生動物はその数を減少させられた。そして,その反省から南アは,アフリカでも最も早い時期に種々の野生動物保護制度を導入した国となった。1860年代にはすでに一部地域でアフリカゾ
ウを殺すことが禁じられた。また,アフリカで最初の動物保護区が設立された。
 絶滅寸前まで減少した(ミナミ)シロサイは厳重な保護下におかれ,増殖計画が進行した。現在はその個体数も3000頭以上になり,ケニアをほじめとする他の国々に輸送されたりしている。南アフリカにおいては欧米の野生動物管理の考え方がほぼ忠実に受入れられており,毎年の個体数調査に基づいて,保護区内におけるアフリカゾウ等の間引きが政府によって行われている。多くの国々では南アと異なり,野生動物の個体数調査もままならないのが現状である。

           [写真3]南アフリカから運ばれたシロサイは,武装したレンジャー                に守られている(ケニアのメルー国立公園で)

5.
 北海道でもヒグマによる人間の死傷やエゾシカによる食害等が問題となる。大型獣の多いアフリカにおいても,野生動物による種々の被害が多い。南アフリカではモザンビークからの難民が徒歩で侵入してくるため,国境近くの国立公園で保護下におかれているライオンが人食いとなっている。南チャドでは内戦が20年あまり続き,野生動物は時にキャノン砲やロケットランチャーを用いて殺された。ゾウやバッファローは多くの地域で姿を消したが,ライオンは内戦がおさまるにつれて再びその姿が見られるようになり,やっと平和を見いだした人々の脅威となっている。

                [写真4]早朝,殺したバッファローを食べるメスライオン達

 野生動物を狩ってはいけないケニアではどうなっているだろうか。1984年に野生動物による被害の調査を行ったが,それによるとゾウによる被害が最も多く,次いでヒョウ・カバ・ライオンによる被害も多かった。また湖や川の近辺で行方不明になった人間も多く,多くはワニによって水中に引きずり込まれたものと考えられる。耕作地の被害ではヒヒやゾウによるものが多いが,野生動物に殺される人も多い。通学途中でゾウに襲われた小学生,夜寝ていてカバに踏み殺された人,夜明けに宿舎から出るなりバッファローの突撃を受けた軍人,母親が家事をしている目の前で台所に侵入してきたヒョウに赤ん坊を連れさられた例……枚挙にいとまがない。実際に被害にあった多くの人々にインタビューを行った。ゾウに妻を殺された例を紹介しよう。

        ☆    ☆    ☆
 彼の名はベンジャミン,9人の子持ちである。長男は11才だが,3ケ月になったばかりの赤ん坊がいる。彼の仕事はマーケットの夜警であり,その夜は夕食後,職場への道を妻が途中まで送ってくれた。そして家への帰り道,彼の妻はゾウに襲われて突然に帰らぬ人となった。そのゾウは彼女を襲う前にも,一人の女性と少年とを襲っていた。二人はかろうじて近くの人家に飛び込んで助かった。おそらく,ベンジャミンの妻は彼らの叫び声を聞きつけ,何事だろうかと不用意にゾウに近づいてしまったのだろう。
 狩猟を禁止したケニアでは,こうした被害に対して補償金を支払う制度がある。ベンジャミンも村の役人に頼んで,補鍍金を請求した。しかし,役人が提示した金額は約6万円であった。しかも3ヶ月たっても支払われていない。9人の子供をかかえて彼は仕事へも行けず,友人や親戚からの援助に頼っている。

 実際に調べて見ても,補償金の多くは支払われないままになっている。政府側の役人の言うことにも一理ある。通常,申請自体が数日後に提出されるため,レンジャーや政府の役人が被害の現場へ調査に出かけるのは,何日もたってからになってしまい,被害の事実確認が難しくなってしまう。また,耕作地の被害では,誰かが補償金を申請すると他の人々もわれもわれもと申請を行う。身内に行方不明者が出ようものなら,野生動物に襲われたことにしようと口裏を合わせる。
 1986年末に,補償金の未決済額は10億円を越えてしまった。これではせっかくの補償金制度もうまく機能しているとは言えない,というのが正直な感想であり,問題の難しさを考えさせられる。

6.
 狩猟を禁止した以上,ケニアも野生動物保護の費用を捻出しなくてはならない。一つは観光であり,ケニアには年間60万人以上の観光客が訪れ,コーヒーに次いで2番目の外貨獲得手段となっている。もう一つ,将来を有望視されている手段に,野生動物の家畜化がある。
 これは特に南アとケニアで研究が進められている。今でこそアフリカ各地で遊牧民達にウシが飼われているが,ウシは野生動物と違ってツェツェバェに媒介されるトリパノゾーマに対して耐性がない(これは人では眠り病となる)。また,ウシは野生動物に比べると,著しく水に依存しており,水場の近くのわずかに残された植生も踏みつけて破壊してしまう。また,単位面積当たりの肉の収量も,ウシよりは野生動物である中〜大型のレイヨウ類の方が多いという研究報告もある。
 そこで,レイヨウ類を飼育して.その肉を商業ベースにのせようという試みが行われているわけだ。ケニアの首都ナイロビでは,すでにいくつかの専門レストランや一流ホテルのレストランでゲーム=ミートとして,イランド・ハーテビースト・インパラ・ガゼル等の肉が食べられており,輸出も検討されている。また,タンザニア・ザンビア・マラウィ・ボツワナにおいても実験農場が計画中である。

7.
 次にこうしたアフリカ地域の野生動物保護と日本との関係を考えてみよう。前述したように日本やアフリカ諸国の自然保護・野生動物保護制度は欧米のそれの模倣から始まったと言える。そして各国の事情によって様々な応用が試みられている(日本においては応用が試みられているとは言えないかも知れないが)。
 では,日本とアフリカとで直接的に関係があると考えられる二つの事例を紹介しよう。まずは,日本がアフリカとの関係において批判を受けている例である。それは日本が野生動物や動物製品の輸入大国であると言われ続けている事実に関係がある。日本は1980年にワシントン条約を批准するまでに,アフリカからサイ角を輸入しており,それは種々の漢方薬に混入されていた。アフリカのサイ2種のうち,シロサイは前述したように南アフリカで強力な保護策が講じられている。しかし,その亜種であるキタシロサイはウガンダでは絶滅,残る数十頭がスーダン・ザイール等に生存するのみで絶滅が懸念されている。クロサイはアフリカ全土で,4,000〜6,000頭と考えられており,各国でサイを救うためのキャンペーンが行われている。クロサイの大きな個体群を有すると考えられていたタンザニアのセルー動物保護区やザンビアのルアングワ峡谷では密猟が激しく,他の国々でも過去20年間に著しい減少を示して,推定総個体数は10分の1以下にまでなってしまった。ケニアでは60年代の終わりには2万頭近くのクロサイがいたと考えられているが,今日では400頭ちょっとを残すのみである。
 一方・アフリカ全土にまだ70〜100万頭いるのではと推定されているアフリカゾウもクロサイと共に密猟の標的にされている。100万頭もいれば安全と誰もが思うかも知れないが,実際には各地で孤立した群れが密猟者に狙われるなどして,その減少傾向は著しい。日本は1983年と84年でで合計900t以上の象牙を輸入し,これは5万頭以上のアフリカゾウの死を意味している。日本をはじめとするアジア諸国のみならず,欧米においても象牙の利用は長い歴史をもっており,最近では世界市場に毎年平均して800tもの象牙が流れ込んできていた。1986年からは協定に基づく割当制が採用されている。しかし,大規模な象牙密輸のスキャンダルは後を絶たない。

            [写真5]アフリカゾウの子ども(ケニアのアンボセリ国立公園で)

 汚名挽回に一役買っているのが日本の国際協刀である。タンザニア西部,タンガニーカ湖畔に面積約1,500平方キロのマハレ国立公園がある。これは日本からの援助が効を奏して,1985年に大統領により国立公園として宣言されたものである。ここでは1966年に西田利貞氏がチンパンジーの餌付けに成功して以来.京都大学と東京大学の研究者が中心になってチンパンジーの研究を行って来た。1976年からは日本の国際協力事業団の援助が始まった。国立公園に指定されたものの,まだ問題は多い。すなわち,レンジャーの養成,密猟の監視,地域住民の理解を得ること,観光客の誘致と研究との調和を図る必要性等,山積みの問題をかかえ国立公園業務はまだほんのスタートラインについたばかりだと言える。日本側が手を引いても,タンザニアが独自でマハレ国立公園の維持・管理を継続していくことが望まれるわけだが,10年かかって国立公園になったものの野生動物保護に関する協力としてはやっとこれからなのである。

              [写真6]タンザニアのマハレ国立公園の野生チンパンジー

8.
 こうしたアフリカの野生動物保護の事情,そしてその背景についてももちろんのこと,日本側からの理解はまだまだこれからである。最近のアフリカブーム・動物ブーム(?)の影響からか毎年多くの日本人が東アフリカを中心としてアフリカを訪れているし,写真集やTV番組による野生動物の姿の紹介も多い。しかし,アフリカの真の野生動物保護の問題,アフリカの人々と野生動物がいかに密接に暮しているか,それによって生じている問題がいかに多いかを正面から報告しようという姿勢が少ないように見うけられる。ゾウやライオンの赤ちゃんの写真を眺めて,アフリカは野生動物のパラダイスだなどと思える時代はとうの昔に過ぎさったと考えて良い。日本と同様,いやそれ以上に深刻な問題がある。心ある人々の理解と協力を望みたい。
                                        (1986年4月)

                       
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