ケニア:野生動物による被害について

                 アジア経済研究所『アフリカ レポート』(1990年9月)を基に一部改変(禁転載)

1 はじめに

 ケニアは観光立国をめざしている。観光による外貨収入は,今やコーヒーの輸出額を抜いた。毎年,多くの観光客が欧米や日本をはじめ世界中からやってくる。ケニア政府は観光の目玉と言える野生動物の保護に力を入れている。1977年には全ての狩猟を禁止し,翌78年には野生動物から作られる一切の製品の取引を禁じた。これによって,象牙やサイの角,キリンの尻尾で作った腕輪や,シマウマの皮を貼った太鼓やヒョウの毛皮等は街角で売ることができなくなって,多くの人々が職を失った。また,狩猟の全面禁止によって金持が娯楽として行なうスポーツ・ハンティングだけでなく,それまで野生動物の肉を蛋白源としていた人々の狩猟も禁止され,農民や一般の人々が自分たちの作物や家畜を守るために動物を殺すことさえ簡単にはできなくなってしまったのである。
 野生動物の保護は,主として欧米の「動物が殺されるのはかわいそう」というセンチメンタルな考えを持つ人々が,動物を守ろうとしているのだという考えがある。捕鯨問題で国際的に叩かれた日本には,そう考える人々が多いのではないだろうか。
 アフリカにおいては,植民地時代に多くの野生動物保護のための法令が施行された。たとえば,ケニアにおいては東アフリカ最初の国立公園であるナイロビ国立公園が設立されたのが,植民地時代の1946年のことである。実はこれは宗主国であるイギリス本国に国立公園ができるよりも前のことなのだ。
 また,人に慣れてしまったライオンを野生に帰す過程での人間とライオンの交流を描いた『野生のエルザ』で世界的に有名になったジョイ・アダムソン夫人が1980年に殺された。この時の犯人はトゥルカナ族の青年で,解雇された恨みによる犯行だと判明した時,アダムソン夫人は人間よりも動物をだいじにしていたという非難が起こった。
 確かに,ケニアをはじめとするアフリカ諸国は,いろいろな面で野生動物保護のための理想的な実践の場を提供してきたと言える。また,一部の白人たちのなかには,現地の実状を顧みるより動物保護(愛護?)のみに力を注いだ者もいるようだ。
 しかし,動物を含む野生生物保護の問題は環境問題である。野生生物保護・自然保護を無視した開発は,いずれ破綻してしまうだろう。保護と開発の調和を図り,野生動物と人間の共存の道を探らなければならない。
 著者は,ケニアにおいて人間と野生動物との共存の道を探るため,まず問題を明らかにしようと数年来調査を行なってきた。今回は,そのなかで最近大きな問題となってきた「野生動物による被害」について,かいつまんで紹介しよう。

2 野生動物被害補償制度

 ケニア政府は,狩猟を制限した代わりに,野生動物による被害に対しては補償金を支払うという制度を導入した。
 被害の申請の方法を簡単に説明しよう。被害を受けた人間は,各県(District)ごとにある野生生物事務所へ行って申請を行なう。人間が野生動物によって殺されてしまった場合,あるいは負傷した場合は本人に代わって親族が行く。申請をもとに,事務所からレンジャー,そして農業被害の場合は農業省の県の担当官,家畜被害の場合は獣医,人間の死亡または負傷の場合は医師が同行して,被害の認定と被害額の査定を行なう。これを年に数回開催される県の委員会で審査を行ない,パスした場合は書類を中央の観光野生生物省に送る。
 被害を引き起こした動物が特定できない場合や,作物被害があっても早ばつによる影響が大きいと思われる地区では申請が却下されることが多い。
 被害申請額は年々増加して,1986年には7238万ケニアシリング(以下シリング)となった。87,88年は多くの県で申請内容を審査する委員会が開催されなかった。申請総額があまりにも大きくなったためと考えられるが,89年には各地で委員会
が再開され始めていた。
 1979〜88年の10年間の申請総額は約2億6000万シリング(88年末で1シリングは約7円)で,これに対して支払われた総額は約5000万シリングにすぎない。申請額の約19%である。約2億シリングが未払いとなっている。

3 被害の実態−ナロック県

 政府の記録では詳しい実態はつかめないので,筆者は1986年と88〜89年に各地を訪れて聞き込み調査を行なった。
 まず,ケニアで一番野生動物が多いといわれるマサイマラ国立保護区を有するナロック県。ここは,過去10年間の被害申請総額も全国一となっている。1986年にはヌー,シマウマ,ガセル,バッファロー等の草原性の動物が小麦畑,トウモロコシ畑,トウモロコシと豆の混作地域等に侵入し,大きな被害を生んだ。
 家畜の被害も多く,特にライオンによる牛の被害とヒョウによる羊の被害が多い。
 人間の被害では,調査期間中に報告のあったうち死亡例を見ると,殺された11名中6名がバッファローに殺されていた。ゾウに殺された者が2名で,残りはライオン,ヒョウ,カバに1名ずつ殺されている。
 1989年1月,赤ん坊を背負って病院へ行こうとしていたマサイ族の婦人が,途中ゾウに襲われて死亡した。目撃者の話によれば,事件が発生したのは午前10時頃で,襲いかかったゾウは牙を婦人の足の間に入れ上下に揺さぶった。9カ月になる赤ん坊はこの時背中から落ち,幸いにも一命をとりとめたらしい。ゾウは牙を婦人の胸に突き刺し逃走,婦人は間もなく死亡した。
 また,12歳のマサイの少年が父親の牛の番をしていた時,ライオンに襲われた。少年は父親の牛を守ろうと,持っていた槍でライオンの胸を突いた。ライオンは少年を襲い,右足を折り頭部にも傷を負わせたが,牛には向かわずそのままやぶのなかに消えた。マサイマラ国立保護区へ行こうとしていた観光客が近くを通りかかり,少年を病院へ運んでくれた。
 ナロック県では申請未払い額が大きくなり,1987,88年と審査委員会は開催されなかった。89年に再開されたが,作物被害に関しては扱われず,人間と家畜の被害についてのみ取り扱われている。

4 被害の実態−マチャコス県

 次に10年間の被害申請額が3番目に多いマチャコス県では,実に多くの動物が被害を引き起こしていることが分かった。ライオン,チーター,ヒョウといった肉食獣,バッファロー,ゾウ,カバ,イボイノシシ,カワイノシシやウォーターバック,ブッシュバックといったレイヨウ類等の有蹄類,そしてサル,ヒヒの仲間などである。
 ここでも9人の子供をもつ男性が妻をゾウに殺されている。彼は近くの町の店の夜警をしていた。その夜も,家族との夕食をすませた彼は職場へ出かけた。いつもは一人で行くのだが,その晩は奥さんが途中まで見送ってくれた。不幸にもその直後に奥さんはゾウに殺されてしまった。ゾウはその前に別の女性と少年を襲っていたのだが,彼女らはかろうじて近くの民家へ逃げ込んだ。殺された奥さんは,悲鳴を聞きつけてゾウに近づいてしまったのだろうと考えられている。9人もの子供がいて,妻を殺された男性は働きにも行けず途方にくれてしまった。補償金申請はしたものの,いつ支払われるか見当もつかず,彼は親戚の助けによって生活している。
 マチャコス県の南には東西合わせると四国よりも広い面積となる広大なツァボ国立公園がある。このツァボ国立公園の一部を県内にもつタイタ=タベタ県では被害件数の7割がゾウによるものであった。
 1989年新年ディスコ・パーティからの帰り,近道をしようとサイザル麻畑の中を通っていた少年たちがゾウの群れに襲われた。4名はからくも逃げのびたが,1名が殺されてしまった。
 ある町の近くでは,午後6時頃になると時には200頭近くにもなるゾウの群れが出現するため,町の人々は恐怖におびえ家の中に閉じ込もるという事態となった。
 また,この県にはかつてモンバサとナイロビ間の鉄道敷設の際に,人喰いライオンによって多くの労働者が殺されたことで有名な地域がある。現在でもライオンによる被害は多く,被害件数の17%がライオンによる家畜の被害である。
 さらに南へ行って,インド洋に面したクワレ県でもゾウによる被害が多く,4分の3がゾウによる被害であった。この県の北にツァボ国立公園が位置し,県内にはシンバ・ヒルズ国立保護区がある。また,国境を越えたタンザニア側の動物保護区からもゾウが侵入してくるとのことである。
 クワレの町中に,ある晩20頭余りのゾウの群れが侵入した。酒場で酒を飲んでいた人々は翌朝まで酒場に閉じ込められてしまった。

5 被害の実態−メルー県

 申請総額第2位のメルー県は,作物被害が多いのが特徴である。人々の話では,例年作物被害の7〜8割,多いときは9割がゾウによるものとのことだった。
 メルーではさまざまな作物を作っているが,被害も多くの作物に及んでいる。トウモロコシ,豆類,バナナ,ジャガイモ,キャッサバ,サトウキビ,カボチャ,綿花,サツマイモ,小麦,ソルガム(モロコシ),マンゴ,パパイヤなどである。特にバナナ等の果物やカボチャはゾウの大好物である。
 メルー県の東にはメルー国立公園があり,西にはケニア山国立公園がある。また,メルー県の北に位置する県には,ジョイ・アダムソンが殺されたシャバ国立保護区をはじめいくつかの保護区がある。メルーの農民たちは,ごれらの国立公園・保護区からゾウやバッファローがやってくるのだと主張している。ゾウは日中は森林の中にとどまっていて,夜になると畑に侵入してくる。農民たちは交代で見張りを立て,ゾウの群れが現われると音を立てたり,松明を振り回したりしてゾウの群れを追い払おうとしている。ゾウはしかし,人間側に危害を加えるつもりのないことが分かると,こういった対策にすぐ慣れてしまう。また,大きな群れをまとめて誘導するのは難しく,今のところ効果的な解決手段はない。1989年8月,著者の調査期間中,メルー県で2名がゾウに襲われ死亡している。
 政府は対策として,メルー国立公園の一部を電気柵で囲う処置を行なっているが,耕作地へのゾウの侵入は続いている。

6 密猟対策

 一方で,ケニアは依然として行なわれている密猟にどう対処するか頭を痛めている。かつては公園周辺で行なわれた密猟によって多くのゾウがツァボ国立公園等へ逃げ込んだと言われる。しかし,現在では逆に国立公園内で堂々と行なわれる密猟によって,公園から周囲の人家周辺へとゾウが避難してきてさまざまな被害を引き起こしていると主張する者もいる。メルー国立公園ではフランスからきた観光客夫婦が密猟者に殺されるという事件が起きている。ジョイ・アダムソンの夫ジョージ・アダムソンもまた,1989年に密猟者と思われる武装集団によって射殺されてしまった。
 観光にカを入れているケニアにとって,こういった事件を起こす密猟者対策は死活問題である。ケニア政府は密猟者が暗躍するのは,特に密猟者が狙う象牙の市場があるためと考え,象牙取引の即時全面禁止を提案した。全面禁止を世界中に訴えるため,1989年7月ケニア政府は,それまで3年間にわたって押収してきた密猟者からの押収象牙12トン,約4億円相当を焼却した。そして10月にスイスで行なわれたワシントン条約締約国会議で,次回の京都会議まで象牙取引は禁止されることになった。世界最大の象牙消費国として非難の矢面に立たされていた日本は国際世論を配慮して,(捕鯨問題のときのような)孤立化を避けるためその決定にしたがうことにした。
 激減しているといわれるアフリカゾウ,そして他の野生動物を守るためには,農民や一般の人々が野生動物を敵対視するようなことがあってはならない。野生動物による被害を防ぐためには,まずパトロールのための人員,そして移動用の四輪駆動車等の機材の増強が必要である。また,それぞれの野生動物の移動パターンや行動様式も調べる必要があり,特に大きな被害をもたらすゾウや他の動物に対する適切な防御法の研究を進める必要がある。残念ながら,ケニアでもこの方面での設備投資・研究は大きく立ち遅れており,多くを海外からの援助に頼らざるを得ない状況にある。これまで大量の象牙を消費してきた日本に,この分野での協力が期待されている。


                     
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